たわいのない「素心宮司」の思い出話
宮司がまだ大阪府警の特殊部隊にいた時の話
30歳の僕は、大阪府警察の機動隊の小隊長だった。
「よど号ハイジャック事件」が起き
そのあくる年に「浅間山荘事件」が起きた。
警察本部の警備部で「ハイジャック事件とか人質事件」そして
「爆発物処理」の部隊として、
SATの前身ともいえる
特殊部隊が編成された、
その当時レンジャー部隊の指揮官だった僕は
其の年に若き警部補に昇任させていただき
特殊部隊の小隊長となった。
若い指揮官として自衛隊で訓練を受けた
陸上自衛隊の基礎訓練を受け
雨の日も風の日も信太山の駐屯地で
野を駆け山を駆けた
伊丹駐屯地で
ライフルマンとしての訓練も繰り返し
2年目には300メートル離れた1メートルの標的の
中央を外さなくなった。
そして宇治の自衛隊では
爆発物処理能力を磨き、
チッ素ガスで凍らす技術も学んだ
その訓練を通じて5年間で出会った自衛隊の方々
親切でまさに苦労を共にする同士として指導していただいた
夜の訓練泥沼での早がけやほ伏前進・・・
汗と涙が出そうな厳しさの中で
励ましてくださった自衛隊のみなさん
ドラム缶の風呂でお互いに背中を流し合ったみなさん
別れを惜しんだ自衛隊の指導教官
そのおかげで、ヘリコブターから
ロープで降下する
リペリングにも自信がつきました。
夜間・・音も無く敵に近づく技も学びました・・
そして・・・僕は、自衛隊員のみなさんの御蔭で
警察の特殊部隊の訓練指導者になれました。
思い返せば、
「国民の生命財産の保護」に任じる警官と
自衛隊の目的は国民を守る事で共通していました。
あれから・・僕達の組織では
自衛隊での訓練があらゆる分野で役立ちました
どんな荒れた現場でもびくともしなくなりました。
成田闘争の火炎瓶の飛び交う中でも
三菱銀行北畠支店での特殊部隊の行動にも
自衛隊での訓練知識が役立ちました。
しかし・・・・今・・ふと思うのです
自衛隊は軍隊と呼ばれるべきではないかと
尖閣列島に常駐し
領土の防人であるべきではないのかと
戦後日米安保と言う傘の下で
雨にも濡れずに平和ボケしてしまった
日本人は・・・これでいいのかと思うのです
自衛隊は、自らの存在さえも否定する
占領憲法の下で
自衛隊は何ができるのかと
歯がゆいのです
自衛隊は皇軍としての誇りを
回復すべき時期ではないのかと
思うのです。
自衛隊の方々と5年間寝起きを共にして
今の憲法での自衛隊の立位置では
もどかしいぐらいに国民を守り、領土を守ることが
おぼつかないように
僕には思えるのです
自衛隊ではなく
早く「日本国軍」の誇りある名に
戻して欲しいと思うのです。
ふと・・・昔を思い出しながら
責任は重く
危険で苦労の多い任務の
自衛隊の皆さんに
心からのエールを送ります。