(若短歌)無償の愛
延元の 帝(みかど)哀(かな)しと 思ふまじ
民への思ひ 無償の愛を 
(素 心)
皇紀2679年1月11日
あわれとは 汝も見るらむ わが民を
思ふこころは  今も変わらず
         (後醍醐天皇 御製)
後醍醐天皇は 「気の毒だった、さぞお辛い日々だった」と
思うことは、間違いである。
後醍醐天皇は、武士の社会を庶民の社会にと思われて行動されていたのだから、足利を恨むということはなかった。
歴史を知らない人は、
後醍醐天皇(延元の帝)は、世を恨んで崩御されただろうと、思うだろうが、それは間違いである。
なぜならば、天皇が武将を恨むような狭い心は持たれるはずがないからである。
延元の帝は、いつも「民の幸せ」を祈られたのだから。
明治維新に、やっと後醍醐天皇の夢と理想が実現された
むしろ、吉野の3年は素晴らしく花と勤王の人々にかこまれ
過ごせて幸せだったのだから。