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「やしきたかじんさん」のご逝去を悼む!

 
口に衣着せぬ「表裏の無い」真っ直ぐな「たかじんさん」を宮司は好きだった
 
「そこまいってもいいんじゃ!」と言い切る所が魅力でした 。
 
コメンテーターとしての自分のスタンスがはっきりしていた。
 
反日左翼宮根誠司のようなカスではない、毅然としていた所がいい
 

やしきたかじんさん 食道がん発見時に既に転移 いきなり週3本収録は負担に

スポニチアネックス 1月8日(水)6時50分配信
http://amd.c.yimg.jp/amd/20140108-00000007-spnannex-000-1-thumb.jpg
死去したしたやしきたかじんさん
 切れ味鋭いテレビ司会で“浪速の視聴率男”の異名をとった歌手でタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが3日、心不全のため都内の病院で死去していたことが7日、分かった。64歳。12年1月に食道がんを公表し同4月に手術、療養を経て昨年3月に復帰。再び体調を崩し同5月から長期休養していた。すでに近親者らで密葬が営まれ、後日、しのぶ会が開かれる予定。


 人間ドックで初期の食道がんが見つかったのは12年1月。すぐにテレビのレギュラー番組出演を取りやめ、休養すると発表。しかし、関係者の話を総合すると、この時すでに他のがんも見つかっており、楽観視できる状況ではなかったという。

 同2月には都内の病院に入院し、抗がん剤治療を経て同4月に内視鏡で切除手術を受けた。食道をほぼ摘出し、胃を持ち上げるような形で咽頭と直接つないだが、1週間後に合併症である縫合不全を発症し、再手術。その症状は同じ食道がんを患い、一昨年12月に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんと重なる部分が多く本人もショックを受けたという。

 だが、不屈の精神力で医師も驚くほどの回復ぶりを見せ、昨年3月に関西テレビ「たかじん胸いっぱい」(関西ローカル)の収録で約1年2カ月ぶりに仕事を再開。同時に冠番組2本にも復帰した。

 だが、いきなり週3本の収録は負担になったようで、同5月に体力低下を理由に再休養を発表。その後は「万全になってから帰りたい」と今度は慎重に慎重を期し、リハビリに努めていた。
 
やしきたかじんさん死去…視聴者の心つかんだ「毒舌と優しさ」
地元大阪を盛り上げようと自ら立ち上げた「OSAKAあかるクラブ」の創設会見を開くやしきたかじんさん(左)。親交があった桂ざこば(右)と一緒に気勢をあげた (2009年6月30日撮影)【拡大】
 高校時代に音楽に目覚めたたかじんさんは、大学時代にフォークにのめりこみ、親から勘当された。京都のネオン街で弾き語りをしながら生活していたが、歌を聴かない酔客には生卵をぶつけたり、二階の窓からほうり出したりとやりたい放題。おかげで「店を29回クビになった」と後に述懐している。
 美声とともに、そんな酔客との騒動が武勇伝として話題になり、1970年代から大阪のラジオ番組に起用された。80年代半ばには司会を任され、毒もある奔放なトークを持ち味にして支持された。
 負けん気が強く、努力家だった。「(人気パーソナリティーの)浜村淳さんに勝つんや」とむさぼるように映画を見て、テレビ番組もくまなくチェックした。日常の鬱憤を寄せるラジオのリスナーに、ぶっつけ本番でも気の利いたコメントを瞬時に返し、笑いも生み出せたのは、日頃の蓄積があったからこそ。
 80年代後半からはテレビを活動の中心に。ワイドショーでは、生活者の視点で時事問題を積極的に取り上げ、視聴率を稼いだ。行き過ぎた発言が問題となることもあったが、「時代の空気に敏感で、何が視聴者の琴線に触れるのか、本能的に分かった」と民放関係者。
 

そこまで言って委員会…やしきたかじんさん死去

読売新聞 1月7日(火)23時16分配信
 人気司会者で歌手、タレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが3日に死去していたことが分かった。

 64歳だった。告別式は近親者で済ませた。

 大阪府生まれ。大学時代から歌手活動を始め、1984年に「あんた」、86年に「やっぱ好きやねん」など次々にヒット曲を放つ一方、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が人気を呼び、関西の民放テレビで司会者として活躍、「関西の視聴率男」との異名を取った。

 また、大阪を明るくする目的で設立されたボランティア団体「OSAKAあかるクラブ」の呼びかけ人代表になるなど、古里である大阪への思いは強く、この団体の活動を通じて橋下徹・大阪市長、平松邦夫・前市長双方と交流があった。

 「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)、「たかじんNOマネー」(テレビ大阪)など、自身の名前を冠した数多くのレギュラー番組に出演していたが、2012年に食道がんを公表し、治療のため休業。13年3月に一度復帰したが、約2か月後に再び体調を崩し、休養していた。 
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