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今日の一言
 
「自分が発光体になる」
 
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宮司は、いつも思っています。
 
吉野の片隅で
 
「自分が一灯」をともさなければと
 
「ニコニコ顔で命がけ」の灯をともすのだと
 
自らが「笑顔を放射しながら」
 
宮司自体が「発光体」にならなければと思っています。
 
まわりを「明るくするのも」、
 
「暗くするのも」自分なのだと考えています。
 
本当にささやかな「小さな一つの灯」ですけれど。
 
家族も友達も・巫女さんも参拝者も
 
明るい灯をともせば・・・
 
みんなが「楽しく明るく元気」になるのです。
 
誰かが灯をともすのを待つのではなく
 
「自分が発光体」になるのです。
 
 
明るい日本の再生蘇りを祈っています。
 
そうであるなら
 
「自分が一人くらい明るくしても
 
世間は、そんなに明るくならないと
 
あきらめてはいけないのです。
 
自分を「見限」ってはいけないのです。
 
どんなにまわりが暗くとも
 
自分ひとりでも
 
まわりを明るく照らせばいい
 
一灯のつもりが
 
二灯になり
 
いつの間にか
 
千灯にも万灯にもなれば
 
世の中が明るくなる
 
そして明るい地球に平和が訪れる。
 
「一灯照隅、万灯照国」

一つの灯火を掲げて一隅を照らす。

そうした誠心誠意の歩みを続けると、
 
いつか必ず共鳴する人が現れてくる。
 
一灯は二灯となり三灯となり、
 
いつしか千灯にも万灯にもなって国をほのかに照らすようになる。

だからまず
 
「自分」から始めなければいけないのです。
そのためには「自分自身」が灯明にならなければならないのです。

それは手燭を持つことではない。

そんなものは吹き消されたらそれっきり真っ暗になってしまう。

そうではなく、自分自身が発光体になるのです。
 
 <一隅を照らす>
 
 「一隅を照らす。これ則ち国宝なり(照于一隅此則国宝)」という言葉を
 
好きな人が多い。
 
私も大好きである。
 
この言葉を拠り所に生きています。


一隅を照らすことなら、
 
私のように非力な人間でも、出来るのではないか。
 
それで社会の役に立つなら、一生懸命やってみようと生きてきました。

この言葉は、伝教大師最澄が818年、天台宗門後継者の修行規定として書いた「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の冒頭部分にある
  
  
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