戦後・・一番日本人が忘れているのは「しつけ」
【躾けの三か条】
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること
「嘘はつかない」こと
「約束は守る」こと
「やると言ったことはやる」こと
「やめると言ったら辞める」こと
「あいさつ」ができること
「靴を脱いだら」そろえること
神社やお寺に行くと「手を洗い口をゆすぐ」こと
電車では「騒がぬ」こと
電車やバスで「化粧をしない」こと
「ものを食べながら歩かぬ」こと
「弱い者をいじめない」こと
「物を大切にする」こと
全国的に今日も暑いので皆さん熱中症等に気を付けてください。
安倍さん今日は書道です。
『躾』の一文字を力強く書いていました。
不思議なもので書道って見てるだけで涼しげになれますね。
凛とした日本文化だと思います。
安倍元総理の書・・・・・・「躾」
子供のシツケは母親の全責任!!
普通には、教育というものを大きく分けて第一 家庭教育、第二 学校教育、第三 社会教育というふうに考えられていますが、しかしこのうちで真の「人間教育」の場は家庭だけであって、残念ながら学校教育にはあまり多くを期待できないというのが実情です。ではどの程度かと申しますと、まあ1、2割からせいぜい3、4割程度と考えたらよいでしょう・・・
ではそれは、なんで決まるかというと次の二つです。一つは運よく校長さんが立派な方な場合であり、もう一つは担任の先生に運よく立派な方に巡り会えたという場合です。校長先生が偉い方だとなぜよいかというと、直接教わりはしなくても、学校全体の雰囲気が軌道に乗ってくるからです。また担任の先生がご立派ですと、やはり子供が変わってくることは皆さん方も既に十分ご経験でしょう。
そこで、わが子を「人間」としての軌道に乗せる八割以上の責任は、結局生んだ者の責任として親自身で背負うほかないわけです。では学校はどういう役目かというと、結局「知識」を授ける所ということです・・・ですから、誰が何ときれいごとを言おうと、わが子の「人間教育」の本当の正味は家庭教育のほかないというわけで、この点をこの際改めて心の底にはっきりと刻み込んでいただきたいのです・・・
【躾けの三か条】
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること
【躾けの三か条】
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること
「嘘はつかない」こと
「約束は守る」こと
「やると言ったことはやる」こと
「やめると言ったら辞める」こと
「あいさつ」ができること
「靴を脱いだら」そろえること
神社やお寺に行くと「手を洗い口をゆすぐ」こと
電車では「騒がぬ」こと
電車やバスで「化粧をしない」こと
「ものを食べながら歩かぬ」こと
「弱い者をいじめない」こと
「物を大切にする」こと
全国的に今日も暑いので皆さん熱中症等に気を付けてください。
安倍さん今日は書道です。
『躾』の一文字を力強く書いていました。
不思議なもので書道って見てるだけで涼しげになれますね。
凛とした日本文化だと思います。
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しつけの目的と習得の時期
幼年期はひとり立ちするための基礎をつくる時期であり、食事、排泄(はいせつ)行為、睡眠、清潔と整理、ことば、遊びと手伝い、安全教育などがおもに祖父母(老人)によって家庭内でしつけられた。この時期は父母は農作業などで忙しいため、老人や兄姉に世話をされながら、生活伝承の伝統を無意識のうちに体得していき、言い習わしや昔話など言語伝承を聞いて、ことばや生活慣習もしだいに身につけていったのである。
7歳ころから少年期に入り、家族の一員としての自覚も出てき、実際に両親に従って生産技術の習得をしたり、子供組や遊び仲間での活動や遊びを通して共同体への参加の準備をしたりする。この時期は、家から田畑等の仕事の現場に行って両親の仕事を見習ったり、初めに自分で行ってみて欠点を矯正してもらいながら技術を修得していく。また幼年時とは異なり、挨拶(あいさつ)や約束、行儀作法など社会的なルールを厳しくしつけられるとともに、「七つ鼻どり」などというように軽い作業からしだいに体力の要る下肥担ぎなどの生産技術を身につけていく。
この時期のしつけは、若者宿や娘宿などで先輩や仲間、あるいは宿親によってなされるのが普通であった。村人の一員として村の共同生活や秩序を維持するうえで必要な事柄は、ほぼこの時期にしつけられた。そこではなによりも共同生活を営むための一人前ということが重視され、さまざまな仕事について一人前の基準が設けられていた。
家庭ばかりでなく村の教育においても、まず実際に見習わせて現場で行わせながら、その悪いところや欠点を矯めていく方法がとられ、教えることよりも自分でこつをつかませ、悟らせることを主眼としていた。村という共同体にあっては、とくに叱(しか)られることよりも、むしろ笑われることのほうが身にこたえたのである。人前に出ても恥ずかしくない、また人に笑われないということが目標であり、人並みにできれば一人前として十全とされた。
しかし、単に家庭や村だけでなく、他人の飯を食って厳しくしつけてもらうということも一方で行われていた。
早くから家族労働を主とする小規模経営が一般化していた農業は別として、諸職人や商人、さらに芸能人などの徒弟奉公や門弟修業はその一例である。特別の技能を要する仕事の場合、このほうが生活技術を体得するうえでよいと考えられたのである。ここでも教えるよりも見習うことが第一とされ、実際に仕事に参与させつつ欠点を矯正する方法がとられ、本人の自覚や自発性を促すことを重視した。
叱られなくなり、一種の悟りに似た境地まで導いていくのがしつけの極意ともされたのである。
子供のシツケは母親の全責任!!
普通には、教育というものを大きく分けて第一 家庭教育、第二 学校教育、第三 社会教育というふうに考えられていますが、しかしこのうちで真の「人間教育」の場は家庭だけであって、残念ながら学校教育にはあまり多くを期待できないというのが実情です。ではどの程度かと申しますと、まあ1、2割からせいぜい3、4割程度と考えたらよいでしょう・・・
ではそれは、なんで決まるかというと次の二つです。一つは運よく校長さんが立派な方な場合であり、もう一つは担任の先生に運よく立派な方に巡り会えたという場合です。校長先生が偉い方だとなぜよいかというと、直接教わりはしなくても、学校全体の雰囲気が軌道に乗ってくるからです。また担任の先生がご立派ですと、やはり子供が変わってくることは皆さん方も既に十分ご経験でしょう。
そこで、わが子を「人間」としての軌道に乗せる八割以上の責任は、結局生んだ者の責任として親自身で背負うほかないわけです。では学校はどういう役目かというと、結局「知識」を授ける所ということです・・・ですから、誰が何ときれいごとを言おうと、わが子の「人間教育」の本当の正味は家庭教育のほかないというわけで、この点をこの際改めて心の底にはっきりと刻み込んでいただきたいのです・・・
【躾けの三か条】
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること。
第二 親に呼ばれたら、必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること