韓国挺身隊女性「訴えてやる!」戦時中の三菱重工・・・執拗な恨み

韓国人は65年恨み続ける・・・最高裁で敗訴してもまだ・・・恨む

<韓国>元挺身隊女性ら三菱重工提訴へ ハンギョレ新聞報道

毎日新聞 5月26日(土)12時48分配信
【ソウル澤田克己】26日付韓国紙・ハンギョレ新聞は、戦時中に勤労挺身(ていしん)隊として三菱重工業名古屋航空製作所(当時)などで働いた韓国人女性(84)ら9人が来月、未払い賃金など1人当たり1億ウォン(約670万円)の支払いを求める損害賠償訴訟を韓国で起こすと報じた。韓国最高裁が24日、元徴用工の個人請求権を認める判決を下したことを受けての動きで、今後もこうした訴訟が相次ぐ可能性が高い。

同紙によると、女性らは日本でも99年に日本政府と三菱重工業を相手取って訴訟を起こしたが、08年に最高裁で敗訴が確定している。日本の裁判では65年の日韓請求権協定で個人請求権も消滅したとして訴えが認められなかった。韓国政府も同じ見解を取ってきたが、韓国最高裁の24日の判決は「個人請求権は消滅していない」という初判断を下した。

支援団体は来月5日、東京で、三菱重工業側と損害賠償交渉を行う予定だという。日本での敗訴確定後、これまで同社と15回の交渉を行ってきたが、進展はなかったという。

従軍慰安婦・・・この言葉は戦後捏造されたものです。南支派遣軍福山部隊看護婦婦長・若狭ももえさんによると「慰安婦」という言葉すらそもそもあまり使われていなかったといいます。戦前は「慰安所」という言葉があり、そこで働く女性は「おんな」と呼ばれていました。戦前は朝鮮半島にいた私の祖父の半島での回想記録を見ると「慰安婦」「売春婦」「遊郭」という言葉が見られます。

慰安所業者は軍のそばで商売すれば儲かるので慰安所を設置していたのです。そして軍は衛生上の都合や軍事機密の都合上、監視していたのです。(※1) 軍が強制的に「おんな」を狩り集めたということはありません。そのようなことをすれば軍の威信にかかわります。業者でも悪質なものは憲兵が取り締まりしています。(※2) また慰安所は民間女性の被害を防ぐ目的もありました。シンガポール首相となったリー・クアンユーは慰安所の設置でシンガポール女性の貞操を守ることができ、現実的で効率的な選択とみていました。

韓国では「慰安婦」と「挺身隊」は同じだと教えられているそうです。「挺身隊」というのは昭和18年(1943年)に創設された14歳以上25歳以下の女性が市町村長、町内会、部落会、婦人団体等の協力によって構成されていた勤労奉仕団体のことです。女性の労働力を産業の現場に動員したということです。男性が戦争にいってしまうので、国内の労働力不足を補うためのものです。戦争があった時代はどこの国でも同じでした。韓国では在韓米軍相手の慰安婦は挺身隊とも呼ばれていたようで、このあたりから後々ごっちゃになったか、悪意ある反日思想から生まれたものでしょう。ソウル大学教授の李榮薫(イ・ヨンフン)教授によると1969年の「修羅道」という小説の中で挺身隊が慰安婦になったと書かれたことから混同が始まったのではないかと述べています。

「慰安婦」となった女性たちは貧しい家の女性たちが多かったようです。また、業者に騙された人も多かったようです。(就職斡旋と称して) たしかに軍の強制ではなかったにしろ、慰安婦になった女性たちの運命は同情を禁じえないものがあります。しかし、そんな面だけでしょうか。
当時は今とは全く「豊かさ」が異なります。「貧困」の中で生きるため、家族にお金を送るために耐え忍び、強く生きた女性たちの姿もそこにはあるはずです。

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