※2016年7月24日のコラムの再アップです。

 

 

人はこれが自分だ、と思っている自分しか認識していない。

自分が知っている自分を自分だと思い込む。

それは人からのフィードバックでもそう思うだろうし、

それをやってうまく行けば、そう思うだろう。

 

それはある程度、そういうものなのだと思う。

自分はそれでうまく行っている、

他人もそれをあなた自身だと言う。

 

内も外も一致している。

そこに疑う余地はない。

 

ただそれが本当に本質的な意味で一致してれば

それは素晴らしくなんの問題もない、かもしれない。

 

でも本質的に一致していなければ

それはいつかのどこかの時点でひずみとなって

現れるのだろう。

 

人はいつでも、きっとどんな人でも

本当の自分でいたい、と思っている。

それは成功とか幸せとかそういうものではなく

『どう生きて行くのか』ということ。

 

何かがひずみとなって現れたとき、

そのひずみがなんなのかがわかったとき、

自分の生きて来た生き方が、

自分本来ではないと気がついたとき、

人はショックを受ける。

 

人によっては後悔をするのかも知れないが、

でも、そのときは、そうでなければならなかったのかもしれない。

その局面では、それが必要だったのかもしれない。

そしてそれは既に過去の自分であり、今の自分ではない。

 

内も外もマッチングして、うまく行っているから、

そのひずみを無視して生きて行く事は可能だ。

ただそれは非常に苦しい人生になるだろう。

 

 

何かを成し得たいと思い続けて来たが、

今もって、何も成し得ていない。

成し得たいという欲求自体の前提が間違えているのかもしれない。

何も成し得る必要など、最初からなかったのかもしれない。

 

そうかもしれないし、

そうじゃなかったのかもしれない。

 

何が正解か、などは誰にもわからない。

真実などコロコロ変わる。

 

どう生きて行くのか。

それはうまく行くこととは違う次元の話しである。