超絶​生きづらかった半生。

3年前、子育ても仕事も夫婦関係も
絶望的になり八方塞がりに...

そこから流れが変わり、

頑固で無口な、the昭和男の旦那が
人が変わったように優しくなり
どん底から奇跡的なV字回復✨✨

宝石ブルー夫婦関係修復劇

宝石ブルー夫婦円満の秘訣

宝石ブルー真の幸せを追求

50代から幸せになるための、女の生き方や過程をブログに綴っています。

 

≪プロフィールはこちらから≫

 

 

「嫌われる勇気」第五夜後半。

いよいよ感動のラスト!!ベルベルベル

 

 

テーマは

「いま、ここ」を真剣に生きる



第五夜前半はこちら▼

 

 

 




人生を登山のように
考えている人は、
自らの生を「線」として
捉えています。




線として捉えるのではなく、
人生は「点の連続」

なのだと考えてください。




チョークで引かれた実線を
拡大鏡で覗いてみると、
線だと思っていたものが
連続する小さな点で
あることがわかりますびっくり気づき





線のように映る生は、
点の連続であり、
すなわち人生とは、
連続する刹那なのです。






「いま」という刹那の

連続なのです。
われわれは「いま、ここ」

にしか生きることができない...





われわれの生とは刹那の中にしか
存在しないのです。
我々の人生は点の連続でしかない。




計画的な人生など、
それが必要か不必要か
という以前に、不可能なのです。




例えば、バイオリニストに
なることを夢見た人は、
いつも目の前の楽曲だけを見て、
この1曲、
この1小節、
この1音、
だけに集中していたのでは
ないでしょうか...




人生とは、今この瞬間を
くるくると

ダンスするように生きる、
連続する刹那なのです
バレエバレエ

 

 




そして、ふと周りを見渡したときに
「こんなところまで来ていたのか」
と気づかされる。
ダンスを踊っている
「いま、ここ」が充実していれば、
それでいいのです照れキラキラ




それは

「いま成しつつある」ことが、
そのまま「成してしまった」
ことであるような動きです。





別の言葉で言うなら
「過程そのものを、
結果とみなすような動き」

と考えても良いでしょう。




ダンスを踊ることもそうですし、
旅などもそうです。




家から一歩出た瞬間、
それは既に「旅」であり、
目的地に向かう道中も、
すべての瞬間が「旅」であるはずです。
もちろん、何らかの事情で
目的地にたどり着けなかったとしても
「旅」をしなかったことにはならない。





またわれわれの人生とは、
劇場の舞台に
立っているようなものです。
 



人生全体に、ぼんやりとした
光を当てているからこそ、
過去や未来が見えてしまう。
いや見えるような気がしてしまう




もしも「いま、ここ」に
強烈なスポットライトを

当てていたら、
過去も未来も

見えなくなるでしょう。
 

 




われわれはもっと
「いま、ここ」だけを
真剣に生きるべきなのです。





人生は連続する刹那であり、
過去も未来も存在しません。






過去にどんなことがあったかなど、
あなたの「いま、ここ」に
何の関係もないし、
未来がどうであるかなど
「いま、ここ」で考える問題ではない。





フロイト的な原因論に立っていると、
人生を因果率に基づく
大きな物語として捉えてしまいます。




いつどこで生まれて、
どんな幼少時代を過ごし、
どんな学校出て、
どんな会社に入ったか。





だから今の私がいて、
これからの私がいるのだと。
その物語に沿った
生を送ろうとするのです。
私の人生はこうだから、
その通りに生きる以外にない、
悪いのは私ではなく、
過去であり、環境なのだと...
ショボーン





しかし、人生とは点の連続であり、
連続する刹那である。
そのことが理解できれば、
もはや物語は必要なくなるでしょう。





人生の目標など、
なくても良いのです。
「いま、ここ」を真剣に生きること
それ自体がダンスなのです。
深刻になってはいけません。




人生はいつもシンプルであり、
深刻になるようなものではない。
それぞれの刹那を真剣に生きていれば、
深刻になる必要などない。
人生は常に完結しているのです。
 

 




人生における最大の嘘、
それは「いま、ここ」を
生きないことです。





過去を見て、未来を見て、
人生全体に
うすらぼんやりとした光を当てて、
何か見えたつもりになることです。




青年に哲人が言う、、



あなたはこれまで、
「いま、ここ」から目を背け、
ありもしないこと、
未来ばかりに光を当ててこられた。




自分の人生に
かけがえのない刹那に
大いなる嘘をついてこられた。
 

 

 

 

人生の嘘を振り払って
恐れることなく「いま、ここ」に
強烈なスポットライトを当てなさい。




あなたにはそれができます。
過去も未来も

存在しないのですから!
今の話をしましょう。
決めるのは昨日でも
明日でも

ありません。

「いま、ここ」です。





仮に、大きな天災に見舞われた時、
原因論的に
「どうしてこんなことに

なったのか?」
とを振り返ることに
どれだけの意味があるでしょうか?





われわれは
困難に見舞われた時こそ前を見て、
「これから何ができるのか?」

を考えるべきなのです。




「人生の意味は、あなたが

自分自身に与えるものだ」




哲人の祖父は、
戦時中、焼夷弾によって、
顔面に大やけどを負いました。
これはどこまでも理不尽で
人道的な災いです。




ここで「世界はひどいところだ」
「人々は私の敵だ」
という
ライフスタイルを選ぶことも
可能だったでしょう。





しかし、通院のために
祖父が電車に乗ると、
他の乗客が毎回のように
席を譲ってくれたそうです。





哲人は信じました。
祖父は「人々は仲間であり、
世界は素晴らしいところだ」
という
ライフスタイルを選択したことを...





人生一般には意味などない。
しかし、あなたはその人生に
意味を与えることができる。





あなたの人生に
意味を与えられるのは、
他ならぬ、あなただけなのだ。
 






人が自由を選ぼうとした時、
道に迷うことが当然あるでしょう。
アドラー心理学では
自由なる人生の大きな指針として
「導きの星」
と言うものを掲げます。





旅人が北極星を頼りに旅するように、
我々の人生にも
「導きの星」が必要になる。
それがアドラー心理学の考え方です。




この指針さえ見失わなければいいのだ。
こちらの方向に向かって進んでいれば、
幸福があるのだ、という巨大な理想になります。
 

 


 

それが"他者貢献"です。 




あなたがどんな刹那を
送っていようと
例えあなたを嫌う人がいようと、
「他者に貢献するのだ」
という導きの星さえ

見失わなければ、
迷う事はないし、何をしてもいい。
嫌われる人には嫌われ、
自由に生きて構わない。 






自らの上に、
「他者貢献」

という星を掲げていれば、
常に幸福と共にあり、

仲間と共にある。

 

 




そして、「いま、ここ」を真剣に踊り、
真剣にいきましょう。
過去も見ないし、未来も見ない、
完結した刹那を
ダンスするように生きるのです。





誰かと競争する必要もなく、
目的地も要りません。
踊っていればどこかにたどり着くでしょう。
誰も知らない「どこか」に...





あなたにとっての人生の意味は
「いま、ここ」を真剣に
踊りきったときにこそ、
明らかになるでしょう。






哲人は長年アドラーの
思想と共に生きてきて、
一つ気がついたことがあります。





それは「ひとりの力は大きい」いや
「私の力は計り知れないほど大きい」

ということです。




つまり、「わたし」が変われば
「世界」が変わってしまう。






世界とは他の誰かが
変えてくれるものでなく、
ただ「わたし」によってしか、
変わり得ないということです。





アドラー心理学を知った
私の目に映る世界は、
もはやかつての世界ではありません。




これは長年近視だった人が、
初めてメガネをかけたときの
衝撃と似ていますポーン
 

 

不透明だった世界の輪郭が
明らかになり、
その色までも鮮やかになる。

見える世界の

全てがクリアになる

 

 




「あと10年いや5年でいいから

早く知りたかった。

就職する以前の自分が

アドラーの思想を知っていたなら...」
と言う青年に対し哲人が、




「いやそれは違います。
あなたが『10年前に知りたかった』
と思っているということ。
それはアドラーの思想が
『今のあなた』に響いているからこそ、
そう思うのです。
10年前のあなたがどう感じていたかは、
誰にもわかりません。
あなたはこの話を今聞くべきだったのです 」




最後にもう一度
アドラーの言葉を送りましょう。




「誰かが始めなければならない。
他の人が協力的でないとしても、
それはあなたには関係ない...


私の助言はこうだ。
あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるか、
どうかなど考えることなく...」




〜おしまい〜