早田ひな 特攻に思う

日清日露から始まり連戦連勝の日本。アジアにあって中国を始め欧米列強の蚕食状態にあった中、日本だけが対外的不平等条約を解消、富国挙兵の国策の中、その力は欧米に迫ろうとしていた。

この連戦連勝が遅れたアジアにあった日本を神国日本、大和魂、輝ける優秀な民族と一億の民を大いに高揚させ、国民誰もがその力に酔い、日本国の輝かしき未来を確信した。

 

先の戦争はそれまで勝ち続けた勢いそのままに、その中で生じた慢心が日米の戦力の客観的分析を欠き戦争に突入して行った。

評論家学者のもってまわった最もらしい学説は兎も角、一億の民が総力で太平洋戦争に突入していったその原因は世間によくあるギャンブルでもちょっと勝つと負けることを忘れるという凡人の陥る業のようなものにあった。

 

戦後日本、戦争はいけないとただ教条的に言うだけで、なぜ、貴方が戦争に行ったのか。

あなたの父が戦争の名の下、米国人を何人も殺したのか、貴方の母がタスキを作ってまで家族、友人、隣人を戦地に送ったのか。学校では軍事教練が行われ、子供の夢は立派な軍人になり鬼畜米英をやっつけることだった。

戦後、誰も真剣にこれに向き合いその真実を求めるものはなかった。

 

戦後平和平和と唱える人間と戦前、戦争に加担した人間は同じこの一億の日本人なのだ。

 

この根本的矛盾を戦後誰も問わない。

 

毎年夏の平和記念式典でよく言われる尊い「先人の犠牲の上に今のこの平和がある」という常套句に一片の論理性もない。

戦死した者達の多くは日本の勝利を信じ、死んでいった者達だ。

それが、敗戦。こともあろうに敗戦後はすぐさまアメリカ万歳と来た。

昨日までの鬼畜アメリカが民主主義アメリカと来た。

 

昨日まで日本国の為、鬼畜アメリカを倒さねばならぬそのための正義の戦争だと言われた。

それが今日からは戦争は悪いことだと来た。

 

最後まで勝利を信じ戦死した者たちは日本のこの変わりようをあの世でどう思っているのだろうか。

早田ひなの今こうして卓球ができるという現実と特攻とどう考えても接点はない。