人はいつも真実から目をそむける
核兵器廃絶という。通常兵器はいいが、核兵器はダメだという。
人の命の大切さというが、究極自分というこのかけがえのない一人の命に行き着く。
百人死んでも自分ひとりが生き残ればこの世は存在し続ける。
百人助かっても、自分ひとり死ねばそれですべてはおしまい。この世は消え去る。永遠に。
人ひとりの命を奪うのにバット一本、ロープ一本あれば充分。
原爆廃絶というが、そう声高にいう者も大体それを見たことすらないのではないか。
仮に原爆がそこにあっても誰もそれで人を殺すことなどできやしない。
見たこともないのに発射方法など分かりようがない。ましてや標的に照準など合わせようがない。平和、核廃絶、言葉だけが情緒的に走り回り、実がついてこない。
多くの者にとり原爆など幽霊と同じだ。自分の周りのどこに原爆を見たものがいるか。ましてやそれを扱える者などいようはずもない。
誰でもバット一本、ロープ一本で確実に標的の命を奪える。
原爆が悪いのは多くの一般市民の命を奪うからだという。放射能が後世まで影響するからだという。
あまりにも非人道的な兵器だという。
バット一本、ロープ一本の方がどんな兵器よりも扱いやすい。
ロケット弾、機関銃の類が通常兵器として所有、使用が容認される、このことにいっぺんの理も無い。
ロケット弾がいいなら原爆がなぜ悪い。どちらも人を殺す道具だ。
原爆が悪いのではない。原爆自身が意思をもって人を殺すことは無い。
たかがバット、ロープが人の意思で生き物を殺す凶器になるのだ。
人を殺すのは原爆を作り、その発射ボタンを押す人間だ。
核廃絶を唱えることに根本的解決は無い。
生き物を誰かれなく殺戮する原爆を作り使用する人間を殲滅しない限り真の平和は来ないと森のカラスがカーと一声鳴く。