人は理性(文化)だけでは生きられない。

人は情(本能)だけでは生きられない。

 

人が生きるとは唯一無二の「自分(じぶん)」がその才に合わせ、本能(自然)と理性(文化)のバランスに苦心しがら日々、会社、学校での目の前の人間関係を如何にこなしていくかに尽きる。

人は動物の如く本能の赴くままに行動することは許されない。

人はマシーンの如く無味乾燥の「理屈」だけをもって生きてはいけない。

 

人はどれほど立派な人格を演出しても、誰も欲も見栄も恥も妬みも虚栄も憎しみもどうやっても捨てきれない。人はマシーンではない。

人はどれほど野卑でも絶対の権力者でも時所をわきまえず、下ばきも付けず、糞尿を垂れ流し、本能のおもむくままに行動することはない。

 

人だけが本能だけでなく唯一無二の「自分」を持つ。

自分無き動物達はこの場この瞬間をやり過ごすだけの繰り返しに何の疑問を持ちえない。それはマシーンの如く本能というプログラムで動く自然の作りしロボットにすぎない。

人は違う。自分という主体を持つ。本能(自然のプログラム)に疑問を持つ。

食い物の少ない自然環境に不満を持つ。これが現代の文明を築いた。

人は唯一無二の自分(エゴ)により文化を理解し、本能を抑制しながら、日々目の前の人間関係を自分の意(エゴ)に沿うように精一杯奮闘するものだ。

 

したり顔の文化の厚化粧で覆い隠された社会、人間の素顔をここで語り合いたい。