“飲み会”感覚を扱える能力の持つ価値 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

このニュース
オバマ大統領、安倍首相の「サシ会談」提案を何度も拒絶
Record China 2014年04月29日

http://news.livedoor.com/article/detail/8786309/
を読んで(もともとは、日経の有料コンテンツとしてある類似記事を読んで)、日米間の感覚の違いを感じました。


そう思ったもともとのきっかけは、うちのヨーロッパ事務所で働く日本人弁理士から、

>○○さんとXXさんとがご来所され、楽しく色々情報を交換しました。直接仕事につながる雰囲気はまだまだありませんでしたが、リラックスしていただけたと思います。雰囲気は良かったです。

との連絡をEメールでもらったからです。

重要クライアントの日本企業にご勤務の○○さんとXXさんとは、数ヶ月か前にはワシントンDCにも来られました。当該企業はすでにクライアントなので、仕事に直接つながる話は(個別案件ではなく、ポリシーの共有みたいなレベルで)当然にありましたが、全体的な印象としては、「楽しく色々情報を交換しました」「リラックスしていただけたと思います」「雰囲気は良かったです」がそのときの印象です。うちのグループ事務所は、米国でもヨーロッパでも、その拠点の持つ文化は“半分日本”と言ってもよいので、自然にそうなります。また、意識して、そうしてきています。

当然ながら、現地の事務所は、普通そうなりません。おそらく、○○さんとXXさんはヨーロッパでも米国でも、上記記事にある「サシ会談拒絶」に類似する目に会われたことと思います。特にXXさんは「飲み会」好きなので、なかなか大変だったことでしょう。日本の大企業にお勤めのXXさんは“客”の立場で米国人のアトーニー連中に接することができるので、米国人側は合わせようとはしますが、たいてい本心はそうではないのです。ましてや、XXさんが“客”の立場で接することができない場合には、その本心がもっと直に表面化するでしょう。

仲良くなることは、交渉をスムーズに進める上で価値があります。それは、欧米も日本も変わりません。しかし、その仲良くなるための道筋が違うし、またその効果の大きさもだいぶ違うのです。仲良くならなくても正常に交渉できる環境を欧米では作れますが、日本では感情論が議論に先に立つようなところがたぶんにあるので、なかなかむずかしいです。欧米では、会ったことがない相手とでも普通に仲良くできますが、日本では仲良くなるには、まず会わなければなりません。

このような観点から、日本人は仲良くなるためだけに飲み会を持ちたがりますし、サシが重要な意味を持ってきます。日本人は、交渉相手とは、仕事の話は横においておいて、まず仲良くなる必要があるのです。仲良くならなければスムーズな交渉はできないし、仲良くなるためには「飲み会」が必要だし、サシで内輪の会話が必要だ…というようなロジックですね。

しかし、忙しい人であればあるほど(有能な人々、権限を持った人々はたいてい忙しく)、飲み会やサシ雑談に時間を割くことができず、単刀直入に必要事項を決めたがります。また、密談のような内輪の議論は避けたがります。この傾向は、世の中の変化が早くなり続けている中で、強まってきていると思います。

そして、そのような変化の速い環境で生活をしている人々には、その単刀直入な対話が仲良くなるためのツールにもなっているのです。お酒を酌み交わしながら(あるいは高級寿司を食べながら)、世間話やプライベートな話に花を咲かせ、そこから相手とのウマ(ケミストリー)を読み取る、というようなことをするのではなく、単刀直入かつオープンにビジネス上の議論をし、その議論を通じて相手とのウマも読み取る、というようなことを双方がやらなければ、変化の速い環境に慣れた人々は調子が狂うのです。

これは、オバマ大統領に限ったことではありません。決まったアワリーレートで使った時間を基準に手数料を請求するスタイルの米国代理人は、飲み会やサシ雑談のような“無駄”は避けたいのです。それを強いられると、相手がお客さんだからという理由で仕方なく従いますが、内心では、彼らはヤル気をなくしていきます。そして、世界の中で日本の存在が小さくなり続けていますので、“日本”は、欧米人が日本式に合わせる負担をあえてするだけの価値を徐々に失いつつあります。安倍首相を含め我々日本人は、その変化に気をつけないといけません。

一方、逆に言うと、こういう日本的なことが、日本の外(特に欧米、さらに特に米国)ではなかなか実現されませんので、日本の外で日本人相手にこれができれば、それだけで“傑出”した存在になれるということだと思います。その“傑出”した身のこなしができれば、日本人相手のビジネスを海外で成功裏に展開できることになるということだと思います。




話はそれますが…オバマ大統領が寿司を食べ残したことが大きく報道されているようですが、20貫中の14貫を食べたそうなので、
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140424/plc14042412470022-n1.htm
おそらくオバマ大統領は、“完食”しなかったことを日本国内で批判的に書かれているとは思いもよらないのではないかと思います。招かれた客が“完食”するのがマナーにかなうのは、私が知る限り日本だけです。他のたいていの国では、完食はむしろマナーに反し、食べ残すのがマナーです。