「相田家のグッドバイ」を読みました | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

 事務所内にCommunity siteと言う名のWeb上の書き込みサイトがある。所員のみがアクセスできるウェブサイトで、そこにはバーチャル掲示板があっていろいろなことが書き込めるようになっている。

 そこにメンバーの一人が「私的ブック・オブ・ザ・イヤー2013」というエントリーを書き込んだ。

>今年読んだ作品の中で「これは!」という作品を1作挙げたいと思います。
相田家のグッドバイ

  それに対して、他のメンバーが、

>むむむ、私の隠れベストブックの「相田家のグッドバイ」について言及する人がいるとは、、、驚きです。

と反応し、さらに他のメンバーが

>あまりにも飛び交っているので、「相田家の…」のキンドル版をポチってしまいました。

 と反応したので、私もキンドル版をポチッてしまった次第。


 で、「相田家のグッドバイ」を読んだ。「相田家のグッドバイ」には、或る“家族”の一生が描写されている。

 しかし、日本の伝統に照らすならば、家族は永遠に続くものであり、永遠に続けなければならないもの。“家族”に終わりがあってはならない。これが、私が生まれ育った家族の底辺に流れている基本ポリシーだ(今も、実家に帰ると現在形でそのポリシーは生きている)。その基本ポリシーを私の代で絶ち、次の世代にそこからの自由を与えることが私のライフワークである、と考えて私は生きてきたと言っても過言ではない。

 トピ主は、その私のライフワークとはほとんど無関係にみえる。私が米国に住み始めたのが1995年だが、それから20年近くを経て日本人の家族観がずいぶんと変わったようだ。

 トピ主は私の長男と同世代だし、トピ主が親の仕事の関係で海外の高校を卒業しているのに対し、私は日本の田舎の農家の長男として生まれ、今なお日本の田舎の風習と戦うことを余儀なくされている身であるしで、ずいぶんと違うように読んだと思う。ちょっと、ライフワークを失った気分である(笑)。

 米国に住み始めた当初、老人の一人暮らしが“普通”であることに違和感があった。当時の私には、彼らが寂しい思いをしていないことが不思議だった。また、私が間借り状態から出て初めて住んだ家は中所得層が住む地域で、ちょうど最初の世代が出て行き、新しい世代が入る(米国では中古住宅はそのように使われます)時期に当たっていた。その交代が起こるときに、古い世代の皆さん(老夫婦)は、意気揚々と老人ホームに移って行かれる。それにも違和感があった。100年以上前に、福沢諭吉が渡米して米国民を観察し「独立自尊」と評した米国民の人生観がそこにあった。

 しかし、おそらく、今の若い世代の日本人が、米国で私に代わって当時の経験をしても、当時の私ほどには違和感は感じないのだろう。「相田家のグッドバイ」は、もう日本人は私みたいに違和感を感じないんだよ、と教えてくれた気がする。





 「相田家のグッドバイ」を読んで私がハイライトを入れたのは以下の箇所だ。小説の前から3/4くらいのところにでてくる。

<以下、引用>

>動物の生き方としても、子供が老いた親の面倒を見ることは自然界にはない。だからそれは、もともと不自然なことなのである。人間だけがそれをしてきた。それが人間の美徳とされてきた。しかし、家族がしていたその役割を、今は社会が効率良く担おうとしている。そういう新しいシステムを人間味がないと批判する人も多いだろう。けれど、それはやはり育った環境の違いとしかいいようがない。


>親は子供と一緒に暮らしたいものだ、子供に面倒を見てもらうことが本当の幸せだ、と二人はまったく考えていない。親がそもそもそれを望んでいないのである。自分の始末は自分の中でつける。それが人間の尊厳であり、すなわち幸せだという価値観である。
>どちらが正しいとか、間違っているというのではなく、それぞれに信じる者が、信じたとおりに生きられればよい。他者に対して、こうあるべきだと非難したり、説教するようなものでは基本的にないはずである。
>ただ、感謝をしなければならない、ということは確かだと感じられた。親がそう考えて生きてきたこと、自分たちに負担をかけないように考えてくれたことは、まちがいなく子供に対する愛情の現れであり、ありがたいことである。


>親孝行という言葉があるけれど、それは親の面倒を見ることではなく、人間として成長し、立派になり、親の生き方を真似つつ、自分の人生を歩むことだ。息子や娘になにかをしてもらいたいとは、これっぽっちも思わない。ただ、彼らは彼らの人生を一所懸命に生きてくれること、それだけを願う。それが親として一番嬉しいことなのである。


<引用終>





 さらに面白いなと思ったのは、上の内容をCommunity siteに書き込んだところ、トピ主の若者は、

>私とは「ずいぶん違うように読めた」とのことですが、コメントを拝見している限りですと、むしろ概ね同じように読まれたのではないのかな?と感じました。

ときたこと。私は戦ってきたけれども、彼は戦う必要がなかった。しかし、思いは同じだ。というようなことのようだ。

 そして、私がハイライトした箇所を、彼もノートに書き留めていたそうである。なるほど、それなら意見は一致していると言ってよいのだと思う。



 さて、私にとっての「私的ブック・オブ・ザ・イヤー2013」を何にするかなと考えてみたのだが、私は次の1冊を挙げたい。

クラウドソーシングの衝撃
比嘉 邦彦;井川 甲作 (著)