日本人の72%、経済格差感じる…世論調査
(2009年9月21日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090921-OYT1T00761.htm
>読売新聞社が英BBC放送と共同実施した20か国対象の世論調査で、自国で経済的な豊かさが公平に行き渡っているかどうかを聞いたところ、日本では「公平だ」と思う人は16%にとどまり、「公平ではない」が72%に達した。
> 「公平ではない」はフランスの84%が最高で、日本はロシア、トルコ各77%、ドイツ76%、フィリピン74%に続いて高く、国民が「格差」を強く感じていることを浮き彫りにした。
最初のここだけ読むと、日本の経済格差はひどくなっている、ということを強調したような書きっぷりである。
しかし…
読み進めてみると…
>米国は「公平だ41%―公平ではない55%」
あれっ、米国の方が経済格差がひどかったんではないかい?
この記事の内容をちゃんと読んでみると、格差が大きいかどうかの話ではなく、格差を「感じている」レベルが強いかどうかの話なのである。
この記事の書き手は意図してはいないのだと思うが、この記事から本当に読めることは、日本では格差が広がっているということではなくて、日本人は不公平を感じやすい人びとである、ということなんだと思う。
他人と違うことを恐れ、他人に合わせることを美徳としてきている日本では、格差が小さくても、直ぐにそこに不公平感が生まれてくるということなんだと思う。
さらにちゃんと読んでみると、調査では「公平」さを問うている。「公平でない」を「格差がある」という方向に意味を変えて議論しておかしくない、という感覚も、日本ならではのことかもしれない。
米国なら、「公平である」を「格差がある」にすり替える方が自然である。公平なら、金持ちと貧乏人ができる、と考える。金持ち側にある経済的な豊かさを貧乏人側に行き渡らせることを強制すると、これは「公平でない」ということになる。
こういう観点で、たとえば、オバマ大統領の国民健康保険プラン関係の米国民の動きを読むと、全然違ったものにみえてくるはず。
「公平」は、なかなか複雑で扱うのが難しい概念である。