「発明の効果」理論の呪縛 (前半) | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

 同じ米国出願を扱う日米の特許実務家の間で、扱えば扱うほど溝が深まっていく現象が生じるのはなぜでしょう?本来なら、徐々に理解が深まるはずのところなのに、不思議なことです。

 溝が深まると、相手をバカと考えることでその溝を埋める(ほんとは埋めたことになっていないのですが)。そうなってしまう原因のひとつに、局指令に対する補正で新規構成を挿入する際の考え方の違いがあると思います。



 米国人は、構造上の違いのいいやすさで順位付けして、一番言いやすい違いから順に優先順位をつけます。一方、日本人は、特有の効果のいいやすさで順位付けして、一番言いやすい違いから順に優先順位をつけます。

 いずれも間違ってはいません。しかし、日本では特許を得るためにはその発明が特有の効果が奏するか否かが大変重要なポイントなのですが、米国ではそうではありません。したがって、この日本の常識を米国にもっていっても話は通じません。

 日本で「進歩性」と表現される概念に相当するのは、米国では「自明性」です。この違いが、日米間での考え方の違いを如実に説明していると思います。
 日本では、今までになかった効果が出る発明は世の中を進歩させたのだから特許されるべき、と考えます。米国では、従来技術との違いが自明な違いか否かで判断され、違いが自明でなければ特許されます。
 このように判断基準が異なるのですから、自ずと推奨補正案が日米の特許実務家の間で異なってきます。

 ところが、日米の実務家はいずれも、その違いに無頓着なんですよ。何年経っても無頓着。基本的な特許実務が「技術論争」であるという側面が、その違いを見えにくくしているからだと思います。

 結果として、米国人がつくる推奨補正案は、日本人の好みとはかけ離れたものになり、また、日本人がつくる希望補正案は米国人が「こうあるべき」と考える内容とは大きく異なるものになる。本来「技術論争」のはずなのに、意見が一致することの方がまれといってもいいくらいです。
 いきおい、米国人は日本人の考えていることがおかしいと思うし、日本人は米国人には技術理解力が無い等と思うことになります。そして、相手の意見が違うのは相手の能力が低いからだと考え、お互いが相手をバカと結論付けるのです。



 構造上の違いのいいやすさで補正内容に優先順位をつける米国に対して、特有の効果のいいやすさで優先順位をつける日本。
 進歩性(自明性)の考え方が違うからそうなるだけなのです。
 この相手の考え方の違いを踏まえれば、相手の考えがまともにみえてくるはず。そうなれば、相手をバカと思う必要がなくなり、米国での特許取得手続きがスムーズになるでしょう。