最近の感動の中で








2つ、共通して









私の心を動かすものがあった。










それは、英語を話したい。

英語をわかりたい。

ということ。










オランダ人の作家の本を

パートナーが作っていて 

私も手伝っているのだけど

本の出版に合わせて

彼の展示も行われた。

展示のDMをデザインした時に、

彼のコンセプト文やプロフィールを

日本語で読んだ時に









なんてシンプルでピュアなのに、

詩的でロマンティックで明快なんだろう。










そう感じた。











日本でよく見るコンセプトとは違って

そして、日本より

とってもスピリチュアルだった。










いや、スピリチュアルなことが

当たり前のように、

エネルギーという言葉が使われていたり、

セレンピリティという言葉が使われていたり、

だけどそれがとても自然で心地いい。










彼が他の参加者の説明をしてるんだけど、

それもとても素直で、且つ考察的で、

ロマンティックな共通項を話すものだった。










海外の人に興味が湧いた。

これは、彼だけの特徴なのか。

それとも、海外の人はこんなにも素直なのか。










もしかしたら、

日本語と英語の

表現の差にもあるのかもしれない。









もう一つ、

私の好きなアーティスト

ソフィカルの作品集を見た時だ。









目の見えない人と

額縁に入った写真が数枚

一緒に並ぶ作品。

隣には、英文が書いてある。










私は英文を読まずしても

目の見えない人が

その写真を見ているかのように感じる事で

感動したのを覚えている。

作品で、

しかも、本で、

涙が出てきたのは、初めての経験だった。










友人が、その英文を読んだら

さらに感動して涙が出たと話していた。











英語が読める彼に

その文を教えてもらおうと

聞いた。









だけど、彼が感動したように、

私は感動できず、

全く言葉が入ってこなかった。









俺が読んでも違うかも、、と。

俺は英語でそのまま読んでるから

すごく感動したけど

日本語で訳すとなんか違う気がする。と。









これを聞いてハッとした。










えっ

日本語に訳して読んでないんだ。

私は、英語を読む時

日本語に訳しながら読んでたけど

彼は英語をそのまま理解してると。

英語ではいい感じなのに、

日本語にすると、

全然その感じが出ない時がある。










確かにそれはすごくわかると思った。










昔外資系の広告会社に勤めてた頃、

上司がすごくいい英語のコピーを書いた。

そのニュアンスがすごくかっこよくて、

けどそれを日本語に訳すと全然良くなかった。









だから、英語を聞きたい、話したい

理解したい。











もっと日本だけじゃなく

世界のことを知りたい。

世界の人たちのことを知りたい。












久々に強くそう思った。











私の欲求が沸いた。












身体もやりたい。

それに加えて

英語もやりたい。

が増えた。











英語に通えるお金がないからじゃなくて、

今できることをしよう。

今日できないことは

明日できるわけがないんだから。

これすっごいパワーワードだな!

やばいの仕入れたな!愛先生、最高です!












身体、パーソナル行けないから、、

じゃなくて、自分でできることからやろう。

今やろう。

今日やろう。












パワーが湧いてきた。

ありがとう。