昨晩、夜中にオバマ大統領が行った追悼演説の映像に
ティムと共に見入っていました。
アメリカのアリゾナ州ツーソンで6人が殺害された
銃乱射事件の追悼式がアリゾナ大学で開かれたのです。
特設された別会場の1万人を含め2万4000人余りが参加。
オバマ大統領も追悼式でスピーチをしました。
銃撃事件が珍しくないアメリカであっても、
下院議員が町なかで銃撃されるというのはあまりなく、
国中を激震が走ったのです。
議員は重体。6人が死亡。
その内、最年少の犠牲者は9歳の少女クリスティーナちゃんで、
9.11に生まれた子供でした。
彼女を含め、この日に生まれた全米50州の子供たち50人は、
「希望の顔」として、報道されたこともあります。
クリスティーナちゃんは生徒会の役員を務め、
将来は政治家を目指していたそうです。
そして、銃撃されたギフォーズ議員が民主党であり、
彼女を激しく攻撃していた共和党の元副大統領候補、
ペイリンが、事件を誘発したのではというマスコミの論調に
かみつくなど、分裂が広がりつつある時の
オバマさんの演説だけに、注目されました。
ちなみに、ギフォーズ議員は、アンドルー・ワイルさんの
友人だそうです。(ワイルさんもツーソンに住んでいます。)
印象に残ったオバマさんの言葉を引用します。
***
私たちがしてならないのは、この悲劇を、またも攻撃のために利用することです。
この事件について語る際には、お互いに深い謙虚さをもちましょう。
人を非難するよりも、道徳的想像力を広げ、
もっと注意深くお互いの話に耳を傾け、
共感の感覚を研ぎすませ、
私たちの希望や夢をまとめる、あらゆる方法を思い出しましょう。
私たちが家族の一員を失った時、することと同じです。
とくに突然のできごとで失った時に。
私たちは日常のパターンから放り出されます。
自分の内側を見ざるを得ません。
(略)
突然の喪失は、過去のことを振りかえらせますが、
それはまた、私たちを前へ向かわせるものでもあります。
現在と将来、今の生き方や周囲の人たちとの関係の育て方について
見つめ直させるのです。
(略)
私たちは、自分自身が死すべき定めであることを知っています。
そして、改めて思います。
この地球上における私たちのつかの間の時間において、
重要なのは富でも、地位でも、パワーでも、名声でもありません。
どれだけ愛したか、ということなのです。
そして、他の人の人生をよくするために、
どれだけささやかな役割を果たしたかということなのです。
そしてそのふりかえりのプロセス、
私たちの価値観と行動を一致させるプロセスこそ、
このような悲劇が必要としていることなのです。
ティムと共に見入っていました。
アメリカのアリゾナ州ツーソンで6人が殺害された
銃乱射事件の追悼式がアリゾナ大学で開かれたのです。
特設された別会場の1万人を含め2万4000人余りが参加。
オバマ大統領も追悼式でスピーチをしました。
銃撃事件が珍しくないアメリカであっても、
下院議員が町なかで銃撃されるというのはあまりなく、
国中を激震が走ったのです。
議員は重体。6人が死亡。
その内、最年少の犠牲者は9歳の少女クリスティーナちゃんで、
9.11に生まれた子供でした。
彼女を含め、この日に生まれた全米50州の子供たち50人は、
「希望の顔」として、報道されたこともあります。
クリスティーナちゃんは生徒会の役員を務め、
将来は政治家を目指していたそうです。
そして、銃撃されたギフォーズ議員が民主党であり、
彼女を激しく攻撃していた共和党の元副大統領候補、
ペイリンが、事件を誘発したのではというマスコミの論調に
かみつくなど、分裂が広がりつつある時の
オバマさんの演説だけに、注目されました。
ちなみに、ギフォーズ議員は、アンドルー・ワイルさんの
友人だそうです。(ワイルさんもツーソンに住んでいます。)
印象に残ったオバマさんの言葉を引用します。
***
私たちがしてならないのは、この悲劇を、またも攻撃のために利用することです。
この事件について語る際には、お互いに深い謙虚さをもちましょう。
人を非難するよりも、道徳的想像力を広げ、
もっと注意深くお互いの話に耳を傾け、
共感の感覚を研ぎすませ、
私たちの希望や夢をまとめる、あらゆる方法を思い出しましょう。
私たちが家族の一員を失った時、することと同じです。
とくに突然のできごとで失った時に。
私たちは日常のパターンから放り出されます。
自分の内側を見ざるを得ません。
(略)
突然の喪失は、過去のことを振りかえらせますが、
それはまた、私たちを前へ向かわせるものでもあります。
現在と将来、今の生き方や周囲の人たちとの関係の育て方について
見つめ直させるのです。
(略)
私たちは、自分自身が死すべき定めであることを知っています。
そして、改めて思います。
この地球上における私たちのつかの間の時間において、
重要なのは富でも、地位でも、パワーでも、名声でもありません。
どれだけ愛したか、ということなのです。
そして、他の人の人生をよくするために、
どれだけささやかな役割を果たしたかということなのです。
そしてそのふりかえりのプロセス、
私たちの価値観と行動を一致させるプロセスこそ、
このような悲劇が必要としていることなのです。