先週末は、ティムとちょこっとお花見に。

伊豆高原の桜祭りは相変わらずにぎわっていて、
屋台で昼食を買い、そばのテーブルに相席させてもらいました。

ちょっとあやしげ(?)なおじさん3人と真向かいに。
「よろしいですか?」と声をかけたら、
どうぞどうぞととてもフレンドリー。

ビールを飲み交わしている、仲のよい音楽仲間の3人組なのでした。
自然とよもやま話で盛り上がり。

自分とはまったく異質な感じの人たちと、話をしている内に意外なほどの
接点がたくさん見つかる、こういう体験は結構好きです。

最初にちょっと警戒心を感じる自分を素直に認めつつ、
それにあまりこだわらずに話していて、お互いの心が通ってくる感じ。

おじさんのひとりは、代々、琵琶法師なのだそうです。
ティムが、「琵琶ですか~。耳なし芳一とか~。」というと、
今の日本人は琵琶が何かも知らないのに、と驚かれました。

最後に私たちが席を立とうとすると、おじさんのひとりが、
「本当にご縁というものですね~」と挨拶された言葉が、
その時間を締めくくるのにあまりにもふさわしくて、
うれしく思いました。

若い時の自分であれば、興味をもっている話ができる相手
でなければ、眼中になかったかもしれません。
でも自分自身の成長と共に、探求心というものがあれば、
どんな初対面の人とも話を楽しめることがわかりました。

そして年を重ねるにつれ、自分の中の引き出しも増えることで、
相手との接点も増え、会話を楽しめるようになるのだと思います。

深い話ができる相手を求めていてなかなか得られなかった
30代の頃とは違い、心が通い合う関係をもてれば、
より広い範囲の人とつながりができることがわかりました。


出会いのご縁といえば、
かなり前ですが、伊東のバス停でバスを待っていた時のことです。

他に女性二人が待っていたのですが、70歳代とおぼしき女性と、
40歳代らしきその娘さんという感じでした。

そのおばあさんはオープンな人だったと思うのです。
私とはお互いに通りすがりにも関わらず、不思議なほど、
自由で楽しい会話が続きました。

一緒にいた娘さんの方は、「なんで知らない人とそんなに」
というような態度で(実際のところはわかりませんが)、
警戒して見ている雰囲気でした。

心を開いている人と、構えている人との明確な対比を
見せられているような、印象的な場面。

やがてバスが到着。

お互いに離れた別々の席に乗り込みました。

しばらくして、おばあさんは私より手前のバス停で娘さんと降りてゆきました。
車中ではバラバラでしたが、降りた後、私の方に振り向いて、
深々とお辞儀。

私も彼女に向かってお辞儀。

その目と目が合った瞬間は、一期一会への敬意の表現。

たぶん5~6年前のできごとだと思いますが、
今でも印象に残っています。



熱川の禅寺、「自性院」の桜。
桜や菜の花、すみれなどのカラフルな色。そして豊かに実ったみかんの木。
春の楽園のようなお寺でした。

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↓お釈迦様の誕生のお祝い、花祭りの跡。
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