里帰り | カサンドラなわたし

カサンドラなわたし

夫の行動に長年苦しめられてきました。
離婚して6年、やっとトラウマから脱出しつつあります。
同じような悩みを持つ人と共有できればと思い始めることにしました

〇〇〇コー

これは私が夫のSから

よく罵倒された言葉です

 

私の父は在日朝鮮人でした

しかし父は生まれたのも日本だったし

小学生の時に水害で両親と兄弟をなくし

残った兄弟とあちこちたらいまわしにされたようです

 

日本語しか話せなかったですし

残った兄弟しか親戚がいない状態だったので

あまり意識したことはありませんでした

 

母からは人前では言うもんではないと

言われていましたが

別に隠すもんでもないかなと思っていたので

自分としては特に隠したりもしませんでした

 

もちろん夫であるSにも結婚前に話しましたし

Sの両親にも話しました

 

普段はそのことに関して触れることはなかったのですが

酔っぱらってけんかになるとよくこの言葉が出てきました

 

〇〇〇コー

私はその言葉自体より 

その言葉を簡単に口にして私に投げかけるという

Sの行為自体がわからなかった

 

そしてSは私の父にもその言葉を使ったことがありました

 

私が二人めの子供の出産まじかのころ

実家に里帰りしたいと話したのですが

実際実家は狭すぎて

私が上の子供と一緒に長期間止まることは不可能に近かった

それなので上の子供をSの実家で預かってもらい

自分だけ里帰りすることになったのですが

Sはそれが気に入らなかった

「しょせん〇〇〇コーは日本の常識を知らねーな」と

電話口で父に言ったのです

 

当時私は切羽詰まっていて(Sと実家の間で)

それに対して何も言うことができなかった

結局私は一人で実家に行くことになりましたが

大きな溝ができたのは言うまでもありません

 

それを言われた人がどうおもうかなど

人の痛みがわからない人だったんです

 

一緒に暮らしていた時は

何とか穏やかに暮らしたくて

Sの言うことにあえて逆らうのは極力避けていました

でもどうしても譲れない部分もあって

それを口にすると

必ず暴力で押さえられました

酷いときはあざが消える間がないほどでした

 

今になるとなんで耐えていたんだろうと思います

自分が選んだ人がそんな人だなんて思いたくなかったのか

一度嫁に行ったのだからもう帰れないと思っていたのか

 

思い出せませんが結婚して5年くらいは何があっても我慢していた気がします