命は永遠じゃありません | AiKA

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ウォーキング講師、マナー講師として企業研修から個人レッスンまで幅広くやらせていただいています。モデルになりたい人へのカウンセリング、アドバイスも行っています。



あっちゃんが卒業かぁ…(´・_・`)




それとは全然関係ない話ですが、今日3月26日は母方のおばあちゃんの命日です。

母方…と言っても私には父親が居なかったので、私にとっては唯一のおばあちゃんですが。





みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんはご健在ですか?


私のおじいちゃんは、私が生まれる前に殉職で亡くなっていたので (じぃは警察官でした)、おばあちゃんはずっと岩手で1人で暮らしていました。

私はかなりおばあちゃんっ子で、私のお茶好きと和菓子好きは おばあちゃんの影響です。



おばあちゃんも私をものすごくかわいがって くれて、年に何回も岩手に会いに行ってました。







でも

20年の月日が経ち、おばあちゃんには徐々に痴呆が出てきたんです。


最初は同じことを何回も言う程度でした。




でも数年後には、

自分がどこに居るのかもわからない
今が昼か夜かもわからない
仲が良かった人の顔もわからない


状態になっていました。





他人の介護なしには生活が出来なくなり、 病院でほぼ寝たきりでした。

同じ事を聞いたり話したりする頻度はひどくなり、



『あいちゃん、ここはどこなのかねぇ?』

『ここは病院だよ。私がいるから安心してね』

・・・・

『・・・あいちゃん、ここはどこなの?』

『病院だよ。私も一緒にいるからね』

・・・・

『あいちゃん、おばあちゃん今どこにいるのかねぇ?』

『病院にいるんだよ。でも安心していいからね』


…こんな会話が1分おきに繰り返される毎日でした。



『私にとっては何十回目の質問でも、おばあちゃんにとっては 初めて聞くことなんだ・・・。だから毎回ちゃんと答えてあげなきゃ』

そう思い、イライラする気持ちを抑えて一生懸命会話をしました。







でも

病院での介護は24時間不眠不休でした。


目を離すとすぐに、自分がどこに居るかわからない恐怖からか、点滴を抜き、病院を徘徊したりするからです。

なので大部屋にあるおばあちゃんのベッド横にゴザを敷き、 そこで寝ずに見張ってなくてはいけませんでした。




自分が仮眠できるのは、おばあちゃんが先生の診察を受けている間だけ。

そんな状態が数日も続くと、疲労もイライラもピークになりました。







意識がモウロウとしながら、同じ事を何度もつぶやくおばあちゃんを見て、


『他人の力がないと生きてもいけなくて、自分がどこに居るのか何してるのかもわからない・・・夢も何もなく生きていて、そこまでして生きている意味があるのかな』


そう考えるようになっていました。





どうせ話しかけても意識モウロウだからわからないだろう・・・

そう思って私は皮肉を込めておばあちゃんに言いました。



『ねぇ、おばあちゃんの夢って何?』


すると、おばあちゃんは急に意識がハッキリとして、私の手をにぎってこう言いました


『おばあちゃんの夢はね、あいちゃんが幸せになることだよ。あいちゃんの幸せそうな花嫁姿を見るまでは、おばあちゃん頑張って生きるからね』


そう言うとまた意識がぼんやりしてうわ言を言い始めました。








私は涙がとまりませんでした。

夢も何もなく、ただ生きていると思っていたおばあちゃんが、 私の幸せを夢にして一生懸命生きていただなんて・・・。




それからしばらくして、

私は仕事が入ってしまい一時東京に戻っている間に、おばあちゃんは息をひきとりました。





とうとう花嫁姿を見せることはできなかったなぁ・・・。

でも今頃、一目惚れだったおじいちゃんと一緒に仲良く過ごしてることでしょう(*´ェ`*)







みなさーん

おじいちゃん&おばあちゃんがご健在の人は、 たまには顔を見せてあげましょうねラブラブ


大切な人が側に居てくれる事は、当然でもなければ永遠でもありません。

どうか悔いの少ないように…クローバーキラキラ