確定申告申請の期日が例年より一か月も先になっても、
この手間のかかる仕事を早めに終わらせるためにPCに向かい、
最後の作業をしていた時に携帯が鳴りました。
声優アワードの事務局の方からでした。
私がフリーランスでしたので、連絡先が分からず、
某プロダクションの方に尋ねてから、電話を下さったようです。
声優アワードという賞があることは知っていましたが、
私は賞とは無縁の人でしたので、
受話器の向こうから聞こえてきた「声優アワード」「高橋和枝賞」という言葉を、
最初、
“はてさて、???”
という感じで聞いていました。
「高橋和枝賞」は、
この一年間に、声優という仕事を広くメディアに知らしめた人に送られるもので、
今年度、それに、私が選ばれたと、そのようにお話を理解したときに、
受話器に向かって何か、変な声を出したように記憶しています。
「ハァぁ~~~? 何で私が? 何で選ばれたんですか??
どなたが選んでくださったのですか???根拠はなんですかぁ?」
2020年の私の記憶は、
予想以上にたくさんのお仕事を頂けて、それを熟しながらも、
徹底した自粛に励み、その生活を楽しんでいた、というものです。
メディアに取り上げられるようなことをした“記憶”が全くありません。
しかも、このコロナ禍です。
昨年の今頃はまだ、パンデミックがこれほど長く続くとは、
ほとんどの人が想像していなかったのではないでしょうか?
私はあの時、もしかしたら全く仕事が無い日が長く続くかもしれないと考えて、
どう生活するかを、通帳と睨めっこしながら月々の生活費と必要経費をはじき出し、
“2年の巣ごもり生活”を覚悟していました。
そして、コロナ禍は、2年目に入っています。
様々な重いニュースが報じられています。
私は必ず“Nスぺ”やBSのドキュメンタリー番組を見るのですが、
経済的に追い詰められている方々の計り知れない苦しみは、
昨年の5月以降、民放の報道番組等でも伝えられています。
こんな時節に…。
そして、今年は、「東日本大震災」から10年目。
(あの時父母はまだ健在でした)
正直、どうしようかと思いました。
何もしていないのに、受けて良いものなのだろうか?
いただいてしまうのは、ちょっと図々しいのではないかしら??
しかも、社会全体が苦しんでいる時期に。
あの、東日本大震災が起きてから10年目になるのに…。
と、短い間の心の錯綜は、意外と、凄まじいものでした。
担当の方が
「この賞を、受けていただけますか?」
と尋ねたので、
「私で、よろしいんでしょうか? 何か、自分のこととは思えないのだけれど」
というようなことを口走ったのではないかと・・・。
担当の方の「ど真ん中のストレート声」に、
ふと、並々ならぬ情熱のようなものを感じてしまったので、
お断りしてしまったらこの方の気持ちを無駄にしてしまうのかもしれない…、
私は瞬間そう“思ってしまった”ので、何とも間の抜けたような声で、
「ああ、はい。では、お受けします」
と答えました。
う~~ん。
何だか、なぁ~。
こういう時、後藤さんの口癖が突いて出てきちゃうのです。
苦しいとき、辛いときに、この後藤さんの口癖を言ってみると、
どういうわけか、気持ちが楽になり、まだまだ頑張れるぞ、という意欲が湧きます。
そして、電話を切ると、そのまま、ごく普通に確定申告のまとめに取り掛かりました。
おかげさまで、完了!
一日、二日過ぎて、私の子供、といっても良いくらい親しいご夫婦に、
シークレット扱いでこのことをメールしたところ、
「高橋和枝賞」がとても素晴らしい賞であること知りました。
「ヒエ~、どうしよう!!着ていくものがない」
もうすぐ65歳の私は「おばあちゃん」なのですが、
一応、「女性」であることはまだ捨ててはいませんので、
どうぞ、ご理解の程を…。
洋服、どうしよう? などと考えたのは、何年ぶりでしょう。
この一年、通販で3枚4,000円程度のインナーを一組と、
溜まっていたポイントで、ストッキングを買ったくらいでしたので、
洋服など買っていません。
万が一のために、非常用の食材を購入し、
何か大事があったら仲間や身近な方々にそれをお分けしようと、
緊急事態の生活を優先して考えていました。
「備えあれば憂いなし」ですから…。
受賞理由???
未だに自覚していません。
昨年の五月、
NHK―FMの「今日も一日ガンダム三昧」というラジオ番組に電話出演して語ったことが、
オリコン・ニュース(?というのかしら・・・)で取り上げられました。
私は全く知らず、友人からのメールで知りました。
もしこの時の記事が「高橋和枝賞」に結びついているのなら、
実際の功労者は、記事を書いてくださった記者の方なのではないかしら…。
昨年はガンダム40周年記念で、
ハマーン・カーンのセリフをたくさん収録しました。
相模屋さんの「ガンダム豆腐」のプロモーションや、
秋葉原のガンダム・カフェでも、ハマーン・カーンの声が流れました。
私はいつものように、ハマーン・カーンを演じただけで、
彼女を起用しようと企画した方々に、
本当の功労があるような気がしてなりません。
私は何もしていないのに…。
複雑な気持ちです。
前述した、私の子供と言って良い「ご夫婦」に、また、相談したところ、
「良子さんの、お父様、お母様が、きっと喜んでくれますよ!」
そうか…。
そう考えても、良いのかなぁ…。
父の命日は1月。
緊急事態宣言下のその日、墓参りをしました。
その時はこんなびっくりするようなお話はなかったので、
いつものように、父の好きだった和菓子をお供えしてきました。
コロナの影響かどうかはわかりませんが、
菩提寺には、その時、お参りに来ている人は私しかおらず、
霊廟は静謐としていたので、ゆっくりと手を合わせることができました。
帰り際、若い女性の方が一人、仏花を抱えながら、霊廟を訪れました。
『私の父と同じ今日が、その方の身近な人の命日なんだろうなぁ…』
暗黙の裡に理解していたのか、
お互いに笑顔を向け、一礼をして、通り過ぎました。
優しいお嬢さんですね…。
母の命日がもうすぐやってきます。
その時に、父母に報告しよう。
そう、思いました。
私はサービス精神があまりありません。
この仕事をしている以上は、その精神を身につけなければならない、と分かっていても、
なかなかできません。
歯の浮くようなことは言えない性格です。
子供のころは、調子のよい子で、
「良い子ぶりっ子」をする子だったと記憶しています。
そんな調子が良い子供だった私を、
父母は先行きを案じ、教えを授けてくれました。
「人には長所と短所があるもので、完璧な人はいない。
調子よく、お世辞を言うのは、その人を本当には尊重していないということで、
軽く見ていることの裏返しだ。
それは相手に失礼だ。
その人を褒めなければならないのなら、その人を、時間をかけてよ~く観察し、
ここが良いところだ、と自分が心から思えることを、その人に伝えなさい。
そうであれば、相手の方を軽視しているのでもなく、嘘を言うことにもならないから…。」
「じゃあ、良いところが無かったらどうするの?」
と、その時私は捻くれた質問をしたのを、覚えています。
「良いところが全くない人など、一人もいない!
お前がよ~く見ていれば、必ず良いところを見つけることができる。
それをしないのは、怠慢!」
と、叱られました。
小学生ですから“怠慢”の意味が分からず尋ねると、
「自分で調べなさい!わからないことはまず、自分で調べる!
調べても調べても分からなかったら、その時、改めて、尋ねなさい!」
と、二人から国語辞典を手渡されました。
この、父母からの教えは、年をとってもずっと守っています。
お世辞も嘘も言いたくない、というのが、私です。
私が「高橋和枝賞」に選ばれたその理由は、私自身、よくわかっていません。
謹んでお受けします、とお伝えしましたが、
引っかかっているのは、
自覚するものが何も無いにもかかわらず、受けてしまった自分自身の決断です。
私は一人では、何もしていないのだけど…。
そして、コロナ禍と、東日本大震災から10年というこの時…。
それが、とても気になります。
私は今年、芸歴41年になります。
その41年の中で、何回か「吹き替えの灯が消えるのではないか」という危機がありました。
それをどうにか乗り越えてきたのは、
アニメーションや日本語版の制作に携わっている多くのクリエーターの方々や、
作品を世に出すために現実的な方法を考えて組み立てて行った、
制作を担っている方々の尽力があったからだと思います。
そして、老若男女問わず、
声の演技に情熱を注いできたすべての声優の方々の熱意があったからだと思います。
この一年の、この世界への功労は、
このコロナ禍、この世界を支えてきたすべての人にあります。
目立たないところに、
スポットライトが当たらないところに、
本当の功労者が大勢いるということを、
私は多くの方々に知ってもらいたい。
私はその方々の“代理”として、
謹んで、この賞をお受けしようと思います。
そして、最大の功労者は、
アニメ作品や日本語版の作品をご覧になってくださる、多くのファンの方々だと・・・。
なぜなら、観て下さる人が居なかったら、私たちの仕事は成り立たないからです。
この場で、きちんとご挨拶をしなければ。
多くのファンの方々に、心より、お礼申し上げます。
私たちの世界を支えて下さって、
ほんとうに、ほんとうに、
ありがとうございます。(感謝・・・)
さて…。
この先、私は、今まで通りに過ごすつもりです。
このコロナ禍を、皆が乗り越えられるように、
実効再生産数を限りなくゼロに近づけるために、
でき得る限り、感染防止と自粛を続けます。
そして、
若い頃と同じ速度にはなりませんが、
老骨に鞭打って、少しでも進化できればと、
その努力を続けていこうと、
思っています。
ただ、日常は、
どこにでもいる「65歳のおばあさん」として、
楽しく暮らして行くつもりです。
母の命日は25日。
父と母に、報告します。