大先輩の「古川登志夫さん」の一言が背中を押してくれたことで、

方向性が見えてきたとはいえ、

日常、人はどのように話しているのかを耳を欹てて聴きとり、

その感覚を自分の中に定着させようとすればするほど、

それまで築き上げてきた自分の演技スタイルを壊さなければならないという、

崖っぷちに立たされます。

 

自分の演技は意識的に抑揚をつけていただけなのではないか…。

それが自分のスタイルだったのではないか…

 

“抑揚”は、つけるものではなく、

『ついてくるもの』だと、今は思います。

 

自分が築き上げてきたスタイルを壊すことは、

自分が慣れ親しんできたリズムやテンポ、言葉の立て方等々を

すべて捨てることに繋がります。

慣れ親しんできたものを捨てることは、

もしかしたら自分自身を捨てることに繋がるのかもしれない。

自分を捨てれば、何もなくなるのではないか・・・。

不安でした。

 

大げさかもしれませんが、

それは、

自分が今まで一人の人間としてどのように生きて来たかが問われることになります。

その結果が見えて来てしまうことだと思います。

自分がどのように生きて来たかが、

アニメーションや洋画という「虚構の世界」の中、

確実に、白日の下に晒される、

ということだと思います。

たとえ役柄が“いい加減な性格の役柄”であったとしても、

表現されるその“いい加減な人物”の裏から、

表現者としての“表現の仕方”が、

その人の生き方とその内容として、現れてくるものだと考えています。

 

うまく説明できないのですが、一つの例として書かせていただくと、

攻殻機動隊の劇場用映画「イノセンス」です。

パトレイバーよりずっと後に制作された作品です。

 

大塚明夫ちゃん(私の後輩になります、可愛い弟、と勝手に思っています)の演ずるバトーと

山寺宏一さん演じるトグサがヤクザのアジトに殴り込みをかけるシーンで、

「若林」という組長が怯え切って言い訳をするシーン。

その若林を演じられた大先輩の声優・仲木隆司さんの表現に現れています。

     「先代があの会社と何をしてたかなんて、知らねえよ~」

 

仲木隆司さんは、私がこの世界に入ったばかりの時に、

外画の吹き替えなどで活躍をしていらっしゃいました。

脇役が多かったと思いますが、それでもその個性的な演技には、

常にインパクトと存在感がありました。

長い間舞台俳優として活動をしていらっしゃったと耳にしていますが、

演技に対しては相当の“熱”を持っている方のようです。

 

「先代があの会社と何をしてたかなんて、知らねえよ~」

の前の部分から、

突然「知らねえよ~」で、あのテンションに飛ぶ感じは、なかなか出せません。

どうしても、

「何をしてたかなんて知らねえよ~」と一つのテンションで繋がってしまうところを、

仲木隆司さんは、突然テンションを変えて、

震えるように、短いセリフの後半を「知らねえよ~~」と表現することで、

この若林という人物の性格や特徴を、とてもリアルに出しています。

「知らねえよ~」が口から出る寸前の“間”の“息遣い”に、

それが明確に出ています。

 

このような表現が出来る方は、

それほど多くはありません。

これは、長く生きて来ている中で、

どのように「人間」を捉え、一人一人をどのように洞察してきたかが見えてくる表現で、

仲木隆司さんの日々の「人間研究」の深さが分かる表現だと私は思いました。

「若林」を演じているのではなく、

それこそ“仲木隆司さん”が『そこに居る』、という印象でした。

 

日々、どのように生きているかが問われる…。

 

リアルな演技には、たぶん、

日々、何を見、何を感じ、何を考え、

どれだけのものを糧にしているかが関わって来るものだと、

まだ30代だった時期の私は、そう考えていました。

そして、もし、自分の演技にリアル感が感じられなければ、

もう一度、一人の人間として、最初から日々を生き直さなければいけないと、

まだ何も起きていないのに、「挫折感」に似たものを予感し、抱きながら、

「パトレイバーMovie2」に臨んだと記憶しています。

 

抑揚を意識から外した表現で、どこまで聞く人に“伝わるか”

わたし、自身を、晒す…

 

 “パトレイバーMovie2”では、

あの「あなたを逮捕します」のセリフ以上に私にとって重大だったことは、

最後のシーンで柘植行人から送られた手紙を、南雲しのぶが語るときの表現でした。

それが出来たか出来ないかで、自分が決まる、と考えていました。

 

押井守監督の作品は、Movie2やイノセンスでもわかるように、

相当量のセリフがあります。

演技者泣かせです。

延々と語るところはブレスを取るのが難しく、リズムを掴むのに四苦八苦します。

(押井監督は、普段、超早口。その特徴が作品に出てくるのですね)

 

南雲しのぶの最後の手紙の語りも、画に合わせずに練習して、

いざ、画に合わせたとたん、

セリフを言い終わるまでに画が何カットも先になっている、という感じでした。

サラサラと語れば内容は伝わらず、

また、柘植行人との間にある“何か”を意識すると、尺が伸びてしまいます。

演ずる側から捉えると、ニュアンスなど入れられない

“超急速セリフ”になります。(イノセンスもそうでした)

 

柘植行人を演じられていた俳優の根津甚八さんの声は、

私が想像していたよりも渋く、存在感がありました。

包まれるような感じの大きさです。

(亡くなられてしまったのは、とても悲しいです。

私はこの名優・根津甚八さんの隠れファンでしたので、

スタジオで、本当はサインをお願いしたかったのです)

 

個人的には根津甚八さんとお話をしたかったのですが、

南雲しのぶは柘植行人にある種の“わだかまり”を持っていますので、

もしお話をしてしまったら演技に影響すると思い、

私はご挨拶をしただけで、

根津甚八さんの席からずっと離れたところに座っていました。

 

ラストのシーンをテストし、「あなたを逮捕します」の一件がありました。

このことについてはすでに語っています。

 

柘植行人からの手紙の部分の方が気になり、

隣に座っていらっしゃった松井刑事役の「西村知道」先輩に、小声で

 「言葉が消えていない?スカスカになっていない?」

と思わず尋ねてしまいました。

(西村知道さんの松井刑事、すご~く素敵でしたね)

「西村知道さん」が

“ぜんぜん。大丈夫だよ、聞こえるよ”と言ってくださったので、すこし楽になりましたが、

演技者のほとんどの方は、

自分の演技は自分で見てみないと納得できない性分で、私もその性分です。

 

「Movie2」の収録が終わりました。

数日ほど経っていました。

キッチンで夕食の下拵えをしていた時です。

突然恐怖に襲われて、立っていられなくなり、キッチンの床に座り込みました。

あの時の手紙のセリフが思い出され、

もしかしたら私は、後戻りできないほど間違った道に足を踏み入れてしまったかもしれないと、

震えました。

床に尻もちをつき、両膝を抱えて泣いていました。

 

今考えると、相当の覚悟で臨んでいたのだなぁ、

と懐かしく思います。

意外とかわいかったのだなぁ、なんてね💛(自画自賛!)

 

Movie2が完成したとの知らせがあり、

試写のお誘いを頂きました。

試写室に行きました。

その時私が確認したかった場面は、

最後の「手紙のシーン」だけでした。

 

  『我、地に平和を与えんために来たと思うなかれ

  我、汝らに告ぐ、

  しからずむしろ争いなり

  今から後、一家に五人あらば

  三人は二人に、二人は三人に分かれて争わん

  父は子に、子は父に

  母は娘に、

  娘は母に・・・・・』

 

       (柘植行人のセリフ   「あれを覚えていてくれたのか」)

  

  『帰国したあなたが最後にくれた手紙にはそれだけしか書かれていなかった。

  あの時はそれが、向こうでの体験を伝えるものだとばかり・・・・』

 

 

まだ十分とは言えませんでしたが、この道を進めば良い  、と思いました。

そして、それ以降の私の方向が決まりました。

 

(やはり「柘植行人、あなたを逮捕します!」の表現は違う!! もう一度やりたい!)

 

 

1993年の「パトレイバーMovie2」から5年後。

今度は最初の劇場版「パトレイバーTHE Movie」を収録し直すということになり、

「パト1」では出来ていなかったリアルな表現を、

今度はとことん表現してみようと思いました。

迷いはありませんでした。

 

今、開催されている「新潟展」のお話を収録する前に、担当の内藤さんが

「最初の時より声が低くなっている、って言う人が多かったようですね」

とおっしゃいました。

最初の「パト1」では、

やはり私はどこかで“演技をして見せている”という感じでした。

セリフを言っている時に体の中心部分がリラックスしていなかったのです。

そして集中力が、すこし異なっていました。

固い感じの集中力だったような気がします。

 

リニューアル版の時は、その固さがなくなっているような気がしました。

特に、帆場の経歴を読むところでは、

“たった今、その書類を見た”というつもりになっていました。

日常の中にもあるように、

何の用意もせずに、開封したばかりの手紙を声を出して読むときと同じような状態に

自分を持っていくことができたような気がします。

リニューアル版は、その分良い塩梅に力が抜けていたので、

落ち着いた声になったのではないかと考えています。

 

 

このリニューアル版収録からそれほど日にちが経っていませんでした。

音響監督の斯波重治さんから、

地方のごく限られた場所で上映される小さな作品の依頼がありました。

魚の「ニシン」についてのストーリーで、

ニシンが来なくなった漁港の漁師のおかみさんの役でした。

ニシンを再び呼び寄せるには、

実は、森を再び生き返らせることが必要だということを、

町の人たちに熱心に語る“漁師のおかみさん”です。

 

音響監督の斯波重治さんは、

私がいつもキャリアウーマン等、都会的な役柄が多かったので、

それが少し心配になっていたらしく、

収録の前に一度お話をしたいとおっしゃったので、

オムニバスプロモーションの事務所に伺いました。

斯波重治さんは私に、このおばさんの役をどのように演ずるつもりかと尋ねました。

東北の人々は、冬が寒いので、大きな口を開けて話をしない、

ということを昔聞いたような記憶がありました。

都会人よりも、すこし粘るようなフラットな語り口にするつもりだとお伝えしました。

 

そして本番の日。

粘るようなフラットな話し方。

ところどころ中間音を入れて(つまり、すこし語尾がなまるような感じ)表現しました。

ラストシーンはみんなで写真を撮るところでしたが、おばさんが音頭を取り、

「はい、チーズ!」

で終わります。

その時も

「はい、チーズェ!」

と、なまってみました。

 

この舞台となった土地の方には、本当に申し訳ありません。

方言のことを何も知らないのに、感覚的に自分勝手に演じてしまいました。ごめんなさい。

 

方言を持っていない私は、

方言を持っていらっしゃる方がうらやましくて、うらやましくて仕方がありません。

方言は、なんとも心が癒されますよね。

津軽弁、秋田弁、福島弁等々、全国各地の方言って、いいなぁ~~。

“温い”のです。

日本人の良さが、そのまま言葉として形作られているような気がします。

いいなぁ~~

 

収録が終わり、皆が帰り始めた時、

斯波重治さんが収録スタジオに降りていらっしゃって、

突然、私の演技を褒めてくださいました。

「あなた、うまいねぇ!」

『えっ?!』

 

その瞬間、何年も前からどうにかしなければならないと人知れず苦悶していたこと、

「パトレイバーMovie2」での挑戦等々、

リアルな表現が出来るまでの間の“辛さ”のようなものが、

私の口から突いて出てきてしまいました。

 

私はそれまで、演技について語ることを避けていました。

語ったところで、それで演技が急に上達するのかというと、

そうではないからです。

やはり、辿らなければならない「プロセス」を、辿って辿って、

辿っていかなければならないのです。

ワープなど、出来ないのです。

 

斯波重治さんはそれをニコニコとしながら聞いてくださっていました。

そして、私が目指している「リアル感」を、端的に言葉にしてくださいました。

その言葉は、

リニューアル版のパンフレットの“音響監督斯波重治氏へのインタビュー”で

触れられています。

ナチュラルとリアルの相違のところです。

 

私は人前で泣いたことはありません。

涙ぐむこともほとんどなかったのですが、

この偉大な音響監督・斯波重治さんが褒めて下さったことに驚き、そして嬉しく、

苦しい時期をどうにか、どうにか乗り越えられたのだと思え、

涙腺が緩んでいくのが分かりました。

 

「パトレイバー」は私にとって、

私自身の成長の軌跡をそのまま描いているような作品です。

このアニメーションは当時、爆発的にヒットしたわけではないと耳にしていましたが、

これほどまでにファンの方々がいらっしゃることに、感激しています。

そのファンの方々が、

私の成長の軌跡をしっかりと見てくれているのだと思うと、

こみ上げてくるものがあります。

 

ありがとう・・・。

 

第二小隊隊長・後藤喜一を、

この先誰一人として受け継ぐことなどできないくらい、

魅力あふれる人物に創り上げた

“大林隆介さん”。

 

篠原重工の御曹司、篠原遊馬を、

他のアニメの主人公の声と同じ声を使いながら、

人格の全く異なる人物として表現なさった

“古川登志夫さん”。

 

特徴的な声ゆえに、そこだけをクローズアップされて苦しむことも多かったと思いますが、

泉野明役を、溌剌と、しかも賢明な若い女性として

誰からも愛される人物に作り上げた

“富永みーなさん”。

 

普段は知的で優しく、

冷静ではあるけれど決して温かさを失わない穏やかな

“池水通洋さん”。

太田功が、一人の女性に傷つけられる姿は、もう、見ていられませんでした。

かわいそうで…。

なのに、その女性を恨もうともしないそのすごさ!素敵。

 

進士幹泰役の

“二又一成さん”。

普段どちらかというと、甘えん坊のアウトロー的なムードの人でしたが、

妻の尻に敷かれながらも良き夫であり、

ここぞという時に冷静な判断をする、優れ者でしたね。

凄みのあるセリフが得意の二又一成さんですが、

上ずった声は、とても可愛かった!

 

故郷が関西であるのに、

江戸弁を操る榊清太郎役の

“阪 脩さん”。

大先輩です。

その張りのある声と存在感は、もう圧巻です。

 

シバシゲオこと、

“千葉繁さん”。

叫ぶたびに神経がプツプツと切れると聞いたとき、

命を懸けているのだと驚きました。

けれど私は、

普通の男性を演じるときの千葉繁さんの魅力を知っています。

穏やかで、

言葉一つ一つに味わいがあるのです。

 

熊耳武雄役の

“横沢啓子さん”。

横沢啓子さんの声は、何ものにも代えがたいほど、

キュートで健康的なセクシーさがあります。

頭脳明晰で鋭敏な方なのに、

ホンワカとした雰囲気を漂わせているのがとても不思議です。

 

福島隆浩役の

“小川真司さん”。

私が以前レギュラーをしていたニュース番組のキャスターの方が、

おっしゃっていました。

「俳優としての小川真司さんが、狂的な人物を演じていたのを観たことがあるけれど、

すごい演技だった!」。

それをお伝えしたかったのに…。

 

香貫花クランシーの

“井上瑶さん”。

お棺に入られるときにご自身で縫ったウエディングドレスを着ていらっしゃったと聞きました。

ある方が、

先に亡くなられた旦那様のピーターさんと結婚式を挙げていなかったから…、

とおっしゃっていましたが、

瑶さん、

亡くなる一年前くらいに、私の家に遊びに来て、

本棚にある本を一冊手に取りましたよね。

それは、精神世界のジャンルに入る本で、

夫婦になる人は何代もの前世で、

同じように何度も夫婦になっているという因縁を持っている、という内容でした。

井上瑶さんは、

ウェディングドレスを着て天国に行ったらすぐに、

そこで待っているピーターさんのところまで走って行って、

そのまま、天国の教会で結婚式を挙げるつもりだったのだと、

私は思っています。

 

“郷里大輔さん”。

山崎ひろみちゃん。

その太く、低い声ゆえに、

洋画の吹き替えでは親分的な役が多かったように記憶しています。

郷里大輔さんが山崎ひろみちゃんを演じている姿、

そしてその声、演技…。

山崎ひろみちゃんの役は、

郷里大輔さんのためにあったようなものだと思います。

郷里大輔さんの演技は、まさしく、「助演男優賞」ものでした。

富永みーなちゃんと一緒になって、

「ひろみちゃん、大好き!」とおしゃべりしていたのですよ。

 

 

時間は容赦なく、私たちを先へ先へと押しやっていきます。

それに逆らうことは、誰にもできません。

時の流れは過去の記憶に脚色を施し、

別のストーリーに書き換えてしまうという摩訶不思議な力を持っているようです。

人間の脳には、そういった面白い性質があるのです。

 

が、あの、「パトレイバー」という思い出。

 

この独特の雰囲気を持つアニメーション作品は、

時が経つにつれ、

アニメーションという枠を大きく乗り越えて、

現代を実際に生きる大人たちの心に

しっかりと刻まれているのですね。

 

30年以上経っても、

そこから受け取れるもの、

掬い取れるものは限りがなく、

アニメーションという少しばかりデフォルメされた表現体を使っていても、

その根底にあるのはやはり、

『人』。

 

大上段に構えて描くのではなく、

「普通の人々」として、

普通に描いているところが、

私には普遍的なもののように思えます。

しかもその普遍性にエンターテインメント性が加わっているという、

ともすればバランスを大きく失ってしまいそうな似ても似つかない二つの要素が、

どう云う訳か、

絶妙なバランス感覚を生み出している…。

 

「パトレイバー」は、娯楽性が高いにもかかわらず、

人の心をジンワリと温もらせる、

不思議で、

最上質の作品だと、

私は思っています。