このところ急に寒くなったので、慌てています。

 

衣替えの準備などしていなかったので、

「スワッ」とばかりに押入れからファッション・ケースを出し、

アイロン掛けに入ったのですが、

そうそう、壁に防音用のクロスを張るんだったと、

Amazonから届いていたクロスを張り始め、

アイロン掛けをしては、クロス貼りをし、

クロス貼りをしてはアイロン掛けをし、の繰り返しで、

まだ両方とも完了していません。

部屋の中は、引っ越しをしたばかりのようになっています。

 

衣替えの時期、私は、仕舞う洋服を洗った後、

アイロン掛けをして丁寧にたたみ、ファッションケースに入れます。

几帳面と思う方もいるかもしれませんが、違うのです。

この方が「効率が良い」のです。

シワシワのままケースに入れて半年後に出した服は、

そのシワを取るだけで、卒倒しそうな時間が必要。

自分を実験材料にして、

丁寧にたたむのとシワシワのままとでどちらが時間がかからないか試してみた結果、

今の方法が効率が良く、時間もかからないことが分かりました。

それからはずっとそうしています。

クリーニング代の節約にもなるので…。

 

さて…。

「パトレイバーTHE MOVIE」は、

当時としては画期的な作品だったと記憶しています。

ストーリー展開のテンポが良く

観る人を飽きさせないエンターテインメント性の高い作品だったと、

多くの方がそう評価していたのを覚えています。

まだ、携帯電話が行き渡っていない時代だったと思います。

この一、二年後に、携帯電話はあっという間に

若者にまで広まっていったのではないかしら?(ガラケーでしたが)

 

テクノロジー音痴の私は、

「THE MOVIE」の収録現場で、

共演者の方々にわからないところを教えて頂いたりして、

スタジオ内や待合室で、「へぇ~!」「へぇ~!」を何度発したことでしょう。

千葉繁さんが演じていた「シバシゲオ」が、

台風のことに気づく前後のセリフの専門用語が全く分からず、

方舟が「共鳴する」というところははっきりとわかったものの、

機械の説明などは、私にはチンプンカンプン。

まだPCなどを持っている方が少なかった時代の作品です。

 

「THE MOVIE」では、レイバーの起動OSが「HOS」。

HOSは、旧約聖書の略、だとか…。

「バビロンプロジェクト」が「バベルの塔」から来ているのは

多く方がすぐに分かったのではないでしょうか。

バビロンプロジェクトの中枢「方舟」が、

旧約聖書で世界を混乱させることになったと説明されている「バベルの塔」と

繋がっているかもしれないことも、

パトレイバー・ファンの方々はすぐに反応されたと思います。

(旧約聖書、また、読んでみよう!)

 

とにかく、旧約聖書の言葉やエピソードから、

「パトレイバーTHE MOVIE」は現代、

否!、

当時の直近の未来を予想して作られたような気がして、

ウ~ン、と唸ってしまいます。

それが、初回収録から9年後に、

今度はサウンドリニューアルということで、

最収録をするということになりました。

 

このサウンドリニューアル版の「パトレイバーTHE MOVIE」に行きつくまでの“道のり”は、

声優としての私には、

とても長く、歩くのに相当苦労した道でした。

今現在振り返ると、その後に同じような道を何度か歩むことになっていますが、

この第一回目の“道のり”は、

未熟だった私にとって、真っ暗闇の中を手探り状態で歩んでいたという、

ちょっとキツイ感覚として記憶の中に残っています。

(今も未熟か!( ̄∇ ̄😉ハッハッハ)

初期のOVAは1988年の初めころからの収録だったと記憶しています。

この世界に入って9年目になっていましたが

(私は、9という数字に因果関係があるようです)

それ以前の1985、6年ころから、

私は、自分の演技に疑問を抱くようになっていました。

「イやな演技だな」と思うようになっていました。

 

深夜放送の外国ドラマ「ヒル・ストリート・ブルース」の

第2期の収録が始まっていた頃です。

自分の演技を見直しても、言葉に存在感や説得力がなく、

セリフに締まりがなくなっているという気がしてならず、

どこか「嘘っぽい」と思える演技になっている。

何かを変えなければならないと思いながらも、

その「何か」の正体がつかめずに、混沌として、

このままでは自分自身の演技が「腐っていく」のではないかという気がしてならず、

暗中模索の時期でした。

 

そのころだったと記憶しています。

家の近くにレンタルビデオ店が開店したので、

面白い映画を探しに入ってみました。

少しして、見るところ50歳代初めと思える普通の感じの女性が、

娘さんを連れてビデオを探しているのが目に入ってきました。

その娘さんは、髪の毛をピンク色に染め、パンク系のファッションに身を包んでいました。

アクセサリーがジャラジャラと音を立てていたのをはっきりと覚えています。

あの頃のアクセサリーの流行はそうでした。

 

反抗期の娘さんとそのお母さんなのかな、と考えながら、

何気なく二人の会話に耳を傾けていると、お母さんが

「あった、あった、これじゃない」

と棚からビデオを引き出し、

「えッ?どれ?」

と近づく娘さんにそのビデオを見せました。

娘さんが言いました。

「何だ、日本語版じゃない、英語版が良いんだよ」

お母さんが

「日本語の方が分かりやすいじゃない」

と返しました。

その母親の言葉に、ピンクの髪の毛の娘さんが

「日本語版なんて、つまらないもん。臨場感、ないからさ」

 

声優の演技は「臨場感」がないように聞こえる・・・。

 

どう見ても、今で言うならチャラい娘さんが

「臨場感」という言葉を知っていることも驚きでしたが、

自分の演技のみならず、

すべての声優さんの演技を酷評されてしまったような気がしたのを覚えています。

 

お二人は、近くに声優の一人が居るとは思っていないので、

(わかるわけないですよね)

本音で話していたのですが、

ピンクの髪の娘さんの一言は、声優を生業としている私にはショックでした。

そして、

ショックはショックだったのですが、

私はその時、直感的に、

もしかしたらその娘さんの見方はある意味正しいのかもしれない、

と思ってしまったのです。

 

臨場感という言葉の意味は、

「まさに、その現場にいるような感じ」

というものです。

つまり、現実のリアル感を表すような言葉です。

 

自分の演技が「嘘っぽい」と思うようになっていた時期でしたので、

この娘さんの言葉は、痛烈でした。

ふと、

アッパーカットをくらってリンクに倒れ込むボクサーって、こんな感じなのかなぁ、

と思ったものです。

 

「そうか・・・、自分の演技には臨場感がないのだ…」

自分自身では最初からリアルな演技を目指していると思っていたのですが、

自分がまだそれが出来るほどにはなっていないことを思い知らされた出来事でした。

今まで自分は、何をしていたのだろう、

何を見ていたんだろう、

何を感じていたんだろう。

何を、表現していたのだろう…。

 

因みに、娘さんが反抗期に居て、本当に反抗的になっていたら、

お母さんと一緒にレンタルビデオ屋さんに来たりしませんよね。

見かけはパンク系ファッションのピンク色に髪を染めた派手な娘さんでしたが、

お母さんとは絆がきちんとできているからこそ、

一緒に店に来ていたのだと思います。(安堵・・・)

まさに、

「人は見かけによらぬもの」。外見だけではわかりません。

外見のイメージだけでは、その人間のことは全くわからないものです。

 

「臨場感が無い」という娘さんの批評はとてもショックでしたが、

あの出来事が無ければ私は気づくこともないまま、五里霧中状態で居たでしょう。

リアルな演技とは、この「臨場感」と深くかかわっている。

映像だけに評される言葉ではないのだ、

この臨場感をどう、出したらよいのだろうか…。

 

リアルな演技は、一朝一夕には身に付きません。

ああか、こうかと練習をして、それを一応録音してみるのですが、

どこか「棒読み」のようになっている。

これでは「大根役者」と言われてしまう・・・。

 

一度、洋画の吹き替えで試してみたことがありました。

ディレクターさんが

「お前、何やってんの?」

私は絶句。

優しいディレクターさんでしたから

「気分でも悪いの?」

 

嗚呼、私がリアルだと思って表現したセリフは、「気分が悪そうな感じ」に聞こえたんだぁ。

羞恥心が極まります。

私はすみませんと謝り、元の演技に戻しました。

それでOKでした。

OKが出たのはとてもありがたいのですが、

自分では、自分のOK演技に納得できないでいました。

 

そんな状態が続いていた時に、

「パトレイバー」のOVAが始まりました。

共演者の皆さんの生き生きしたセリフを聞いていて、

どうして皆、そう表現できるのだろう、

私は何をやっているんだろうと、半ば焦り、

そして自分の力の無さを感じながら、

「男女雇用機会均等法」施行から考えた役作りだけは、

そこだけはブレないようにしながら、

けれど、

それまでの演技を続けざるを得ませんでした。

 

そして、

1989年の「パトレイバーTHR MOVIE」の収録があっても、

まだ、暗中模索が続いていました。

自分が目指そうとしていることは、もしかしたら前進にはつながらず、

後退するだけのものなのかもしれない・・・、

と不安に襲われることもしばしばでした。

 

「パトレイバーTHR MOVIE」は、本編を収録し終わった後、

公開に先立ってプロモーション映像用に、アフレコなどが何度か行われました。

麻布等のスタジオで何回か収録をしたのを覚えています。

ほとんどのレギュラーが出演していました。

 

その一つ、麻布にあるスタジオで収録していた時です。

そのスタジオの1階に喫茶室がありました。

一人一人順番に声を収録していたので、順番待ちで皆、喫茶室に控えていました。

四人掛けのテーブルに腰かけていた時に、

ちょうど斜め前の席に

“古川登志夫さん”が座りました。

私の隣に誰がいたのか、向かいが誰だったのかは覚えていません。

皆で何気なく、

「パトレイバーTHR MOVIE」のストーリーの面白さなどを話し始めて、

少しして、演技の話になり、

私がもっとリアルな表現ができないかと思っていると話すと、

“古川登志夫さん”が少し身を乗り出して、静かにおっしゃいました。

 

「そうだよね、今、ここで話しているような、自然な表現が出来たらいいなぁって思うんだよね」

 

そうなんです!

その言葉通りです!

私の考えていた「臨場感」は、

まさに、“古川登志夫さん”がおっしゃったことでした。

 

私は演技のことについて人にあまり語らずに来たのですが、

ほんのちょっと自分の思いを口にしただけで、

“古川登志夫さん”はそれを察してくれたのかもしれません。

『大先輩の“古川登志夫さん”が、同じことを考えている!

もしかしたら、私は間違っていないかもしれない…。』

背中を押された感じでした。

 

“古川登志夫さん”とは一緒にお仕事をする機会は多くはないのですが、

いつも、何かの折に、一言感想を述べて下さいます。

その度に「しっかりと私を見ていて下さるんだ」と、うれしく、

心が温まります。ほんとうに、ありがたいと思っています。

そしてあの時、この言葉を聞けたこと、感謝しています。

 

大先輩の一言に、それまで一歩進んではまた一歩下がり、

結局は一歩も前進していない自分は、「覚悟」を決めなければ、と思いました。

覚悟を決めても、まだ見えない先に何があるのかを想像すると、

大きな不安に襲われます。

それでも進もうとしたのは、

“古川登志夫さん”のこの言葉があったからだと思っています。

 

私は、

仕事場への行き帰りの車中で、

時間つぶしに立ち寄った喫茶店で、

街中の往来で、

普通、人は、どんな話し方をしているのかを、耳を欹てて聴くようにしました。

 

その「普通の話し方」が、一人一人、どういった生理的状態から発せられるのか、

その生理的状態に、どう自分を移行すればいいのか・・・。

 

それは、『とても感覚的な』ことなので言葉で説明するのは難しく、

けれど、

「どんな人の内側にも“確かにある感覚”であり、

それを捉えること、

捉えたら再現すること、

再現したら、いつでも自分をそこに移行できる“的確なギア”を自分の内側に作ることで、

やっとリアルな表現にシフトできる“感覚”」

としか、私には説明できません。

 

言葉は伝達方法として、とても優れたものです。

その言葉によって、「理解」されることが多いと思いますが、

「感覚」を言葉で説明するのはとても難しいと思います。

それを補う一つの手段として、

「オノマトペ」があります。擬音語です。

若い方々は、この擬音語を新たに生み出し、

巧みに使っています。

その擬音語で、(私のように)長々と説明するよりも、

瞬時に感覚を共有できるのでしょう。

新しい言葉に対しての好き嫌いは、

老若男女、人それぞれですが、

生み出された新語の中には、

その一言で、映像が鮮明に浮かんでくるものがたくさんあります。

 

 

今回で「パトレイバー」について書き終えようと思い、

キーボードを叩き始めたのですが、

私はどうしても文章が長くなってしまいます。

若い方々のように“簡潔”に説明することができないのですね。(;´д`)トホホ

 

サウンドリニューアルへの道のりと、

音響監督の斯波重治氏や、

レギュラーの方々についても、

お伝えしたいことがたくさんあります。

 

嗚呼、また、長くなっちゃう~~。

では、次回。

 

「パトレイバー30周年突破記念」新潟展が、昨日から始まっていると思います。

くれぐれも、ソーシャルディスタンスとマスク、

忘れないようにしてくださいね。

 

おやすみなさい。