3月12日の朝。

私は母を起こし、夜中に何度も襲ってきた余震の事を話しました。

母はまったく覚えていません。

熟睡していたようです。疲れていたのですね。

 

朝食は、昨日買った「助六弁当」と「稲荷寿司」の残りで済ませました。

食べ終わると

母はおもむろに電話台の下にある電話帳を開き、

私の街のSS駅の番号を調べ、

電話で運行状況の確認をしました。

電車は平常通りに動いているとのことでした。

 

急ぐ旅でもないのに、母は一人置いてきた父を心配し、

これから帰ると父に電話を入れました。

電車は平常通りに動いているとは言え、

実家の周りがどうなっているか想像がつかない分、心配です。

建物の外壁が壊れていたり、電柱が倒れていたり…。

もう少しここに居てからにしたらという私に、母は、父が心配だからと支度をはじめました。

私は母に、

家に着いたら知らせてほしいと、玄関先で母を見送りました。

母にとっては、父と一緒に居るのが一番安心するのです。

何やかんや言っても、母は父が大好きなのです。

 

一人になり、改めてざっと部屋を見渡してみると、

やはり床の隅あたりに、壊れて散乱した置物の破片などが残っていました。

改めて掃除をし直し、それを終えると私は部屋の点検に入りました。

エアコンの後ろの壁の部分が割れていないか、

台所の流しの上や下の棚の中は惨状になっていないか。

本棚、収納スペース内の状態、押し入れの内部、

洗濯機のホースは外れていないか、そして台から落ちていないか。

トイレのタンクや便器は割れていないか、電気温水器は傾いていないか等々。

水道の蛇口もゆっくりと開き、

流しの下の扉を開けて、どこかに漏れがないかを確かめました。

そして玄関の扉の蝶番、取っ手、外廊下の外灯など、

手で触りながらチェックして行きました。

 

外廊下の壁の部分に、斜めに亀裂が走っていました。

どうやら中までヒビわれていたわけではなく、

漆喰の部分だけのようでした。ホッ…。

外付けで室内側にカギがついている網戸は枠から外れていません。

取り外すときに難儀する大きさのものです。

(大掃除の時、私はいつも、エンヤコラっと、網戸を枠から外して洗浄します)

外廊下の柵もしっかりとしていました。

 

部屋の内部や外部をチェックしていくうちに

気が付いたことがありました。

耐震用の金具や大きな突っ張り器具で抑えていた家具でも、

まったく影響を受けていないように見えるものと、

はっきりと影響が出ているところがありました。

東側の壁を背に3台ずらっと並べた本棚の中身がほとんど動いていません。

あんなに大きな揺れだったのに…。

この本棚は20年以上前に購入したものです。同じものが3台。

旧モデルのもので、売れ残っていたらしく

大幅に値下げをしていた時に購入しました。

(やりくり上手、プラス、買い物上手の私です)

しっかりとした造りの本棚でしたので、それで動かなかったのかと思いましたが、

それは違ったようです。

 

この時の地震は、どうやら、南北に向かって大きく揺れていたようです。

突っ張り棚でも、南側や北側の壁を背に嵌めてあったものが外れて倒れ、

東側や西側の壁を背に嵌めてあったものは、

その体をしっかりとキープしているのです。

置物もほとんどずれずに棚の上に乗っていました。

この気づきは、友人の一人“クニちゃん”と一致していました。

理系女子で成績優秀なクニちゃんも、どのように揺れたかを分析していました。

“ホワホワした雰囲気で、冷静な分析家”

これがクニちゃんの個性です。

そして、どこか“天然”です。それが良いのですね!

 

震災後の何日間かはテレビがラジオ化しているので、状況が全く分かりませんでした。

専門家らしき人が地震について説明している“声”を聞きながら、

その声に奇妙な緊張感が絡んでいるように思え、

質問をしているアナウンサーらしき人も、

戸惑っているような、

これから何が起きるのだろうかと戦々恐々としているような、

どこか落ち着かないムードが、その声の裏側にあるような気がしました。

情報を得るには新聞しかない日が続いていました。

 

新聞を開くと、関東から東北地方までの日本地図が大きく描かれています。

「死者」「行方不明者」の文字と数字が目に入って来ます。

“ウソッ”と思ってしまう…。

そして、「○○町・壊滅」、「○○市・壊滅」と、

『壊滅』の文字が夥しく記され、浮き出て見えます。

私はその時、その『壊滅』の意味が理解できませんでした。

「壊滅」という言葉の意味は分かります。

けれど、イメージが浮かんでこない。

「どういうことなんのだろう・・・」「何がおきたのだろう」…。

漠然とした不安、恐れ…。

まったく把握できない状態で、イメージを抱くことすらできません。

3月11日に、いったい何が起きたのだろう。

皆、どうなっているのだろう・・・。

 

時とともに東日本大震災の様子が明確になって来ます。

そして、私の住む街の雰囲気が変化しているのが分かりました。

どこかギスギスしている。

2、3日経つと、そのギスギス感が強くなっていくのが感じられるようになりました。

近くのスーパーに買い物に行くにも、

玄関を出てエレベーターホールまで行くその間に、

突然、足が止まり、行きたくない、という思いが生まれてきます。

何か嫌なことが起きそうな予感がするのです。

青く突き抜けた青空の日ですら、

薄曇りの日の薄暮の頃のように、空気が澱んで感じられる。

共同住宅のエントランスから一歩歩道に降りるときの訳の分からない不安感。

歩いて3分ほどのところにあるスーパーに向かうにも、

一歩一歩を、これでもかこれでもかと踏み締めるようにして歩いてしまう。

スーパーの入り口ですれ違う人たちの顔、顔…。

見覚えのない人たちばかり。

(もちろん単なる錯覚、思い込みなのかもしれませんが・・・)

それまでの日常とは異なる“感覚”の中にいるようでした。

 

私の住む共同住宅の斜め向かいに大きなドラッグストアーがあります。

朝9時開店。

その店の前に、

リュックを背負い、あるいは大きな袋を抱え、

まるで登山にでも出かけるかのような恰好の人たちが列を成し、

開店前から店の前に並んでします。

中には大きなワゴン車を路上に止めて、列に並ぶ人もいます。

皆、厚底のスニーカーを履き、帽子を被っています。

 

まだ10代だった頃に、私は第一次オイルショックを経験していました。

ティッシュやトイレットぺーバー、セロテープ等々が品薄になり、

雑貨店や薬局、スーパーマーケットの前には、

それを求める人たちが開店前から長蛇の列を作っていました。

皆、イライラ、ギスギスしていて、

順番待ちで並んでいても、一触即発、喧嘩が起きそうな雰囲気でした。

それと似たような光景・・・。

 

空気が澱んで停滞しているように思えるのに、

あっという間に混乱が起きそうな気配が、そこかしこに感じられる。

列を成している人たちは、この町ではなく、

別のところから、ティッシュやトレイットペーパー、そして

カセットコンロのガスを買い占めに来ているようでした。

品物を抱え込む人たちの姿は、人間の持つ漠然とした不安感や恐怖心を煽ります。

この先には「危機」しかないような、追い詰められていくような感覚を植え付けます。 

 

私は前々から、ティッシュでもトイレットペーパーでも、余裕をもって蓄えていました。

今も変わりません。

過去のオイルショックの経験が影響しているのでしょう。

ドラッグストアーに並ぶ必要もなく、

いざという時のために、日用品は実家の分までストックしてありました。

ちょっとずつ時間をかけて蓄えていたものです。

実家の近辺は物価が高かったので、

週末に父母の世話をしに行くときなどは、

不足している食材やら日用品を前もって聞いておき、

この町で購入して持っていくのが習慣でした。

買い占めに便乗する必要はありませんでした。

心と、お財布の中身の余裕は、ある程度ありました。

 

今、この時、同じことが起きているような気がします。

新型コロナウィルスでマスクが無くなるのは理解できますが、

ティッシュやトイレットペーパーの棚は空っぽ…。

誰かがこれから先を不安に思い動いたことなのでしょうが、

それが、多くの人の不安感を煽り、伝染していき、買い占めに向かわせてしまったようです。

群衆というものの“恐ろしさ”の一つが、

ここにあるような気がします。

もちろん群衆のパワーが良い方向に向かった時は、

多くの人が心を一つにして素晴らしい感動を得られるのですが…。

私は今のところ、この混乱に影響されていません。

紙を大切に使って行けば良いと思っています。

 

私は、

テレビという機械が知らぬ間に日常生活になくてはならないものになっていたことを、

2011年のあの時痛感していました。

子供の頃はラジオだけで何とも思わなかったのに、

映像が見えないことが居心地悪く思え、

身動きが取れないような感覚を生んでいました。

街中のギスギス感も、心を委縮させてしまう。

また、目で見る情報が全くなかったので、

震災後の状況をどう理解し、考えたらよいか全くわかりませんでした。

私は隣の駅にある家電量販店に行き、小さめのテレビを依頼しました。

在庫が無いので取り寄せるのに少し時間がかかると言われ、

品物が到着するのを待ちました。

そしてやっと、

小ぶりのテレビが届きました。

 

テレビに映し出される、あの、津波の映像。

 

震災から何日も経って届いたテレビに映し出される映像は、

その時を映し出しているのではなく、

その何日も前の出来事を見せていたのですが、

息ができません。

リビングの真ん中に突っ立って、

ただその映像を息を殺してみているだけ・・・

 

遠くのカメラが撮っている福島の原子力発電所の映像。

 

静かです。

何事も起きていないように見えます。

ただ、時間だけがゆっくりと過ぎているとしか思えません。

 

けれど、あの時、あそこに、

最悪の状況を回避しようと必死に活動している人たちがいたのですね。

遠くのカメラがとらえている映像では、想像できませんでした。

すでに廃墟になっているとしか思えません。

人ひとり、あそこには残っていない、動物一匹すら残っていない、

そして残っていてほしくない・・・。

 

静けさの中に潜む、恐ろしさ・・・。

水素爆発。

 

周りに住む人たちは?

皆、逃げたのだろうか、逃げているのだろうか…・。

逃げていてほしい…。

 

見えない恐怖に心が騒いでいました。