その日、喫茶店のホットココアが、身体を温めてくれました。

時刻はすでに夕方の5時を過ぎていました。

 

何の策もない状態というのは妙なもので、

危機感を全く感じなくなっているようです。

家に帰る方法も見つからずに時間だけどんどん経っていくのに、

おっとりと構えてしまう・・・。

「これからどうしようかねぇ…」

という、何ともノホホンとした状態になっているのですが、

それでもどこかで戸惑っている。

とにかく家に帰らなければと思ってはいるのですが、腰が上がらない。

喫茶店の椅子に深々と腰を降ろしているだけなのです。

そういったアンバランスなところに私は居たと記憶しています。

 

母と顔を見合わせながら、一時間弱、喫茶店の椅子に座っていました。

「じゃぁ、行こうか」

何の策もないのにそれが合図になり、母と私は喫茶店を出ました。

そして元来た道をY駅のロータリーに向かい歩き始めました。

風が強くなっています。

冷たい粒が空から舞い落ちてきます。

黒雲と少し赤くなり始めた青空から

「小雨」とも言えない雨粒が落ちて来ていました。

 

私たちはロータリーに出て、

何の期待もせずに駅の改札口の立て看板をもう一度見ました。

そしてそこで母が言いました。

「あのバスに乗ろう。終点のS駅まで出れば、どうにかなるかもしれない」

 

母はとても目聡い人でした。観察力が優れているのです。

駅前のバス停に、小型のバスがゆっくりと滑り込んで来ていました。

そのバスが向かう終点は、

私の住まう街の駅の、二つ手前のS駅。

このロータリーのあるY駅とは路線が異なりますが、

その終点まで行けば、もしかして電車が動いているかもしれない…。

 

母と私はその小型のバスに乗り、

母には座ってもらい、私はそのそばに立ちました。

バスの窓から見える戸外は、

以前母に付き添って行った時と変わらない風景でした。

静かな住宅街の細い道を、バスは縫うように走っていきます。

 

と、防災頭巾をかぶってうつむいて歩いている小学生らしき男の子のそばに、

男性が付き添って歩いているのが見えました。

たぶんお父さんなのでしょう。

そして、バスが進むにしたがって、

防災頭巾やヘルメットをかぶった小学生らしき子供たちに

大人が付き添っている光景が何度も見られました。

けれど、ほとんどの子供たちが付き添いの大人の「手」をとっていないのです。

 

あんなに凄まじい揺れだったのに、何故なのだろう。

大人でも怖かったのだから子供にとっては恐怖そのものだったのではないだろうか、

なのに、子供たちは自ら大人の手を取ろうとはしない…。

付き添いの大人たちは、子供との間隔を少し開けて、

その顔色を伺うような様子でいる。

たった一組だけ、親におんぶされた子供の姿を見ましたが、

終点に到着するまで、ほとんどその光景が窓外に映し出されていました。

外はもう、暗くなっていました。

 

終点のバス停は大通りに面していました。

その大通りも、車がノロノロ運転をしています。

歩道に降りれば降りたで、歩道にも人が犇めき合っています。

皆、俯き加減で郊外に向かって歩いています。

 

終点のS駅の出入り口は、いったん地下に入る形になっていました。

そこまで行くと、その入り口に若い男の人が立っていて、

電車は動いていないと大声をあげて道行く人に知らせていました。

とうてい駅員さんとは思えません。

たぶんボランティアをかって出た若者だと思います。

髪形も少し長めです。

誰かがその若者に話しかけました。

若者は遜(ヘリクダ)るわけでもなく、ごく普通に、

ここからS駅の改札口の階に降りても、

そこには人が大勢待っていて身動きが取れませんと、

はっきりとした口調で説明をしました。

そして、話しかけた人と、何かを共有するように笑顔で頷きあっていました。

若者はそこにずっと立って、

尋ねて来る人に階下のS駅改札口の状況を説明し続けていました。

 

母と私はその若者の姿から、これは歩くしかないと判断し、

私の家に向かうことにしました。

このS駅付近の歩道が人、人、人で埋まるのを見たのは初めての事です。

まるで初詣客で犇めき合う明治神宮の参道のようでした。

 

S駅から私の家まではおよそ5キロほど。

大通りを歩いて行けば迷うこともありません。

私は杖を持ってきてよかったと思いました。

家の中では杖なしで歩けるとはいえ、

術後、こんなに長く歩くのは初めてだったからです。

人工股関節は頑丈ですが、

リハビリのウォーキングもこれほど長く歩いた試しはなかったので、

杖を持っているということだけでも余裕を持つことが出来ました。

ただ母の腰が心配でした。

母は先天性の脊椎の病気を持っていました。

 

なるべく早くに帰りたいと思うのは、たぶん母も一緒だったでしょう。

大通りにはレンタカーの店がありました。人が順番待ちをしています。

けれど、その店の駐車場には台数が残り僅か…。

順番が来るまでにはすでに家に着いてしまっています。

戸外はまた一段と気温が下がり、肌寒くなっています。

大通りの歩道の人混みの中を、母の手を引きながら歩いていくと、

大きな郵便局の建物がありました。

外壁をタイルで覆われた、ちょっと洒落た建物です。

その外壁を見ると、長く大きな亀裂が入っていて、

いくつかのタイルが歩道に散乱していました。

一度局員が片づけたのだと思いますが、

その後にまた、タイルが剥がれ落ちたような痕跡がありました。

 

その郵便局の建物の隣に、スーパーがありました。

外は肌寒さを通り越し、とても寒くなっていました。

母も私もこのままでは風邪をひいてしまいそうだったので、

私たちはそのスーパーに入り、

二階にある衣類売り場で、¥500の赤札がついていたフリースのチョッキを購入。

店内で着替えました。

Y駅の商店街の喫茶店と同じように、ここのスーパーも客は私と母だけでした。

皆、家に向かって黙々と歩いています。

 

フリースのチョッキを身に着け、

スーパーの店内で身体が温まってくるのを少し待ち、

母と私はまた、歩き始めました。

こういう時、女同士というのはとても心強いものです。

おしゃべりに華を咲かせることが出来るからです。

おしゃべりをしながら歩いていると、歩くことの辛さも忘れ、

何時間か前に襲ってきたあの凄まじい揺れの恐怖も忘れて、

過去の楽しく可笑しい話を思い出しては声を上げて笑ったりできます。

ただ、何を話したのか、それだけは思い出せません。

母と一緒にケラケラと笑って歩いていたということだけが記憶に残っています。

それが、何もなかった平穏な日常とはまったく異なる状況下での

母と娘のやりとりだったのでしょう。

二人の心の内にはやはり、

すさまじい揺れの恐怖心が確実に刻印されていたような気がします。

 

私の街の一つ手前のK駅を通り過ぎたところに

公衆電話ボックスがありました。

この時ハッと父の事を思い出しました。

婦人科の病院を出た時に何度か携帯電話を使ったのですが繋がらず、

それから何時間も経っています。

ちょうど、大学生のような男の子が電話を切るところでした。

母に公衆電話なら繋がるからと伝えると、

母はボックスに入り父に電話を掛けました。

繋がりました。

 

揺れが収まってから、父は何度も婦人科に電話を掛けたそうです。

もうとっくにお帰りになりました、と看護師さんに言われたことが余計に不安感を強くさせてしまい、

母が一人でどこを彷徨っているか気が気ではなかったそうです。

「ヨシコが偶然来てくれていたのよ、私を驚かそうとして…。

だから今、ヨシコと一緒にいる。今日はヨシコの家に泊まる」

と母が説明をすると、父は安心したようでした。

 

今でも不思議に思います。

あの日、母を驚かせようと、

ただただ悪戯心をくすぐらせて婦人科病院に行っただけなのに…。

母に付き添っていられたこと、

それを聞いて父が安心したことには、

何か意味があるのかもしれない。

もし私が病院に行っていなければ、

母はきっと、病院に泊まることになったかもしれないし、

あるいは、あちらこちらを歩き回り、交番にお世話になっていたかもしれません。

父との連絡も、私との連絡も取れず、不安な一夜を過ごしたかもしれません。

 

父が安心したところで、母と私はまた、私の家に向かって歩き始めました。

途中コンビニが2、3軒あり、そこでおにぎりを買おうとしましたが、全部売り切れ。

サンドイッチも、菓子パンもありません。

家に帰って何か作ればよいだろう、ただ、疲れるだろうなぁ…、

そんなことを考えながら、また母と一緒にケラケラと笑いながら歩いていると、

やっと、私の住む街の区域に入って来ました。

 

そこに、あまりお客さんが利用しない個人営業のコンビニエンスストアーがありました。

商品も品数も、普段からあまり工夫していないコンビニです。

おのずと客の足も遠ざかります。

けれど、それが功を奏したのか、

中に入ると、おにぎりやサンドイッチはなくなっているものの、

「助六弁当」と「稲荷寿司」がいくつか残っていました。

翌朝の分も考えてすぐにそれをゴソッと買い、また母と歩きます。

 

そこから歩いて60メートルほど先に、私の住まう共同住宅(マンション)があります。

慣れ親しんでいる街の雰囲気がいつもと違うことが分かりました。

静かです。妙な静けさです。

すべてのものが床に突っ伏して身動き一つせず、息を殺している…。

人の呼吸音すらまったく聞こえてこないような、怖い静けさ…。

 

共同住宅の外階段を、住人の何人かが昇ったり降りたりしているのが見えました。

エレベーターが止まっているのです。

腰の悪い母の後ろに立ち、

私は母の体を押し上げるようにして部屋の階まで昇り、

玄関の鍵を開け、恐る恐る扉を引きました。

照明のスイッチを入れました。

明かりがともりました。

室内が照らされました。

 

その瞬間、

何故だか怒りのようなものがフツフツと湧き上がって来ました。