「Less is More」 in 紀尾井町

先日、12月7日。

熊野で出会った若手の弦楽四重奏団「Less is More」のコンサートが

紀尾井町サロンホールで催されました。

熊野本宮大社で演奏された3曲も含めた、全12曲。

プラス、アンコールが1曲。(“SUGAR BEACH BLUES”)

今度は、楽器には最高の環境が保たれているホールでの演奏です。

 

“熊野本宮大社とサロンでの音”の、相違。

 

私が最初に感じ取ったものです。

熊野では大きな流れ星が描く尾っぽのような余韻だったところが、

サロンホールでは、意外な面白い消え入り方で、余韻が途絶える・・・。

 

大昔ですが、若いジャズメン達が作ったレコードの中の一曲に、

スパッ! という感じで演奏が終わる曲がありました。

それは、まだ続きそうな予感を聴き手に与えながら、

不意打ちのような、予期せぬ終わり方になっていました。

それまでのジャズ演奏の終わり方にはなかったもので、

若手ジャズメンにとっては、ちょっと遊び心を発揮して、

それまでの既成概念を壊す、というようなやり方だったように感じられました。

 

サロンホールの「Less is More」も、

王道のクラシックではもう少し長い余韻にするだろうところを、

敢えて短くしたのではないか、と思うような余韻の消え入り方だったので、

この大昔のことを思い出しました。

また、熊野本宮大社では、音が地面からゆらゆらと立ち上るように聞こえていたものが、

サロンホールでは、

真正面から大きく迫ってくるような音の膨らみと波動が感じられました。

この相違は、いったい何なのだろう?

 

音楽でも舞台劇でも、その日その日で実演者の“表現”は変わります。

最初から最後まで全く同じ“表現”を何度も繰り返すことは不可能です。

なぜなら、時は止まりません。

常に流れていきます。

その日その日の心の動きも、体調や体内リズムも何もかも、

時の流れの中にあるのですから、一瞬たりとも“同じ”ということはないのです。

また、聴衆も、時の流れの中で生きているのですから、日々、刻々と変化しているのです。

ですから、熊野本宮大社での私のすべてと、サロンホールでの私のすべては、

同一ではないわけです。

聴くものの状態も、熊野と紀尾井町サロンホールとでは異なっているわけですから、

同じ感覚を味わうことが無いのは、ごく自然なことなのだと思います。

 

私は週に3~4日、滑舌の訓練も含めて語りの稽古をしています。

季節や天気により、声が違って聞こえます。

室内の状況は同じで、マイクで拾う音量もいつもと変わらないのですが、

梅雨時、あるいは、湿気の多い日は、

音源となる当の本人の耳にすら、自分の声は響いては届きません。

そして湿度の低い晴天の日や真冬には、声がとてもよく響きます。

声があまり出ていなくても、雨の日よりもよく聞こえるのです。

体調の良し悪しでも響き方が異なって聞こえますが、

おおまかに、室内の湿度の違いで、自分の声が耳に届くその届き方が全く異なってきます。

 

弦楽器にとっては最悪の状況だった大雨の、しかも開け放たれた場所での熊野本宮大社の音と、

湿度や温度が最適に保たれた室内のホールでの音の響きが異なって聞こえたのは、

私のこの発声時の状況と似ているのではないでしょうか。

また、演奏をしている方々の耳に届いているその方々自身が奏でている音も、

自分たちの耳に返って来る音が、この湿度や温度によって異なると思います。

熊野の音とサロンホールでの音が異なって聞こえるのも、

その時の状況によるものだと思います。

そして、湿度の高かった熊野では、「弦楽器」自体にも、影響があったと思います。

 

熊野本宮大社の長い余韻は、私自身が“梅雨状態”だったのですからそう聴こえたのかもしれません。

そして、もし、

演奏家の方々の耳に返ってくる音が湿度によってほんの僅か聞き取りにくくなっていれば、

余韻を少し長く奏でるのも、“音を追う耳”がそうさせていたのではないかと思いました。

 

音楽家の方々は「ホール探し」をします。

自分たちの音が一番良く響く空間、一番良い状態に保たれる空間で、演奏したいと思うのも、

自然なことなのですね。

 

で、私はいたずらっ子なので、もう一つ別の想像をしました。

「Less is More」の方々は、

「スタジオと熊野本宮大社と、どこどこと、あそこでは、こういう終わり方をしているから、

今回は、ちょっと遊んで、短い終わり方にしてみよう!」

と、考えたのかもしれません✌(‘ω’✌)✌ルンルン

 

因みに、人間の“声帯”にとっては、湿気は大歓迎! 乾燥は最悪の状況になります。

楽器と声の違い、面白いですね。

 

今回、熊野本宮大社では漠然とした感覚でしか記憶に残っていなかった曲が、自分の中で、はっきりとイメージできたところがありました。

友人夫婦の奥様が一言いったその言葉が、多田泰教氏の曲の個性を見事に表していました。

 「流浪の民の音楽、という雰囲気がある」

どこの世界にも、どこの地域にも属さない旋律。雰囲気。

ときに、シェイクスピアが生きていた時代の劇中にたぶん流れたであろう音楽にも聞こえ、中央アジアの民族音楽にも聞こえる。

ときに、スペインの民族音楽のようなムードもあれば、

ルネサンスとバロックの境目の時代の音楽にも思える。

シルクロード的でもあるけれど、

チベットや中国やブータンまでにはまだ辿り着いていない、その影響をまだ受けずにいる、音楽…

という感じ。

今回、そんな印象を受けました。

 

12月7日の「Less is More」のコンサート。

タイトルは、 

『ONE AND ONLY NIGHT ~特別な一夜~』

クラシックの弦楽四重奏団。

そう認知されていると思いますが、

どの音楽にも属さない、興味深い世界を表現なさっていたような気がします。

ジャズだったり、民族音楽だったり、クラシック的なフュージョンかな~?だったり・・・。

クロスオーバーといったら良いのかしら? 

 

興味のある方は、「Less is More」の公式ページにリンクしてみてください。

  https://lessismore4.com/

 

私はミーハーです。前にも書きました。

ホールの受付にあった、「Less is More」のCDと、バイオリンの「石井智大氏」のCD、

全部で4枚、買っちゃった!  

毎日、繰り返し繰り返し4枚聴いています。

「Attractive Sound」・・・

楽しいです、自然と身体がリズムを刻んでいます。

ネギを小口切りしているときも、

掃除機を転がしているときも!!

 

さ、今日はこれからお仕事。

行って来ます!

寒いですね…。