一歩、高山寺へ。

 

晴れた日。

滝尻王子から高山寺まではそれほど時間がかかりません。

が、お昼です。

 

旅に出ると、どうしてこんなに食欲旺盛になるのでしょうか?

宿の朝食ではいつもよりも多く、しっかりと摂っているのに

お昼になると急にお腹の虫が鳴ります。

仕事の時や家にいる時にはたまに昼食をとるのを忘れてしまっても、

お腹の虫が鳴るのは夕方当たり。

けれど旅では、

腹時計がきちんと作動します。面白いですね。

これも、人間が原始時代から持っている、危機を察知する能力なのでしょうか。

いつ食事にありつけるかわからない、という危機感がそうさせるのでは・・・。

人間も元を正せば「野生の生き物」。

アフリカ・サバンナのライオンやチーターと同じなのかしら?

 

紀伊田辺駅に隣接する駐車場に車を止め、「銀ちろ」という庶民的な和食のお店へ・・・。

和歌山は黒潮のお蔭で、マグロやシラスなどがとても美味しいそうです。

東京のスーパーに出回っている物は、地元の方々によればあまり美味しくないと言いますが、

最速輸送でも、やはり鮮度が落ちてしまうのでしょう。

いつも美味しいマグロやシラスが食べられるのはとっても幸せだ!と、

魚好きの私には羨ましい限り

 

運転手役の旦那様はうな丼を召し上がり

(運転は疲れます。本当にご苦労様です、頭が下がります)、

女性二人はというと・・・、

ご飯の上に釜揚げシラスがどっさりで、歯ごたえのあるマグロ等のお刺身がついていて、

温かい茶碗蒸しと出汁の効いたお味噌汁がついた

「さざなみ弁当」を頼みました。

 

シラスがこんなにも柔らかく、匂いがないのには驚きました。

ホクホクです。

スーパーで購入するシラスは、やはり匂いがプーンとします。

一日経つとその匂いが強くなるので、私は時々、乾煎りしたシラスを、

千切りした大根とシソにパラパラと撒いて和風サラダにしますが、

銀ちろのシラスは魚とは思えないさっぱりとした味わいで、

しかもご飯がグングン、進んでしまいます。

海は、生命の源。

お魚はやはり、獲れたてが一番!美味しかった。

 

心もお腹も満足したところで、今回の旅の目的のメインの一つ、「高山寺」。

合気道の創始者「植芝盛平氏」のお墓参り。

そしてそこには博物学者の「南方熊楠(ミナカタクマグス) 」も眠っていました。

若い時のお顔立ちはそれこそイケメン少年。

博物学者というよりも植物学者として位置付けられていて、

当時の時代の傾向に憤り、自然林伐採などに猛反対したという、

気骨のある方だったそうです。

熊野古道が今なお残り、世界遺産に認定されたのも、

この地に南方熊楠が居たからといっても過言ではない、とおっしゃる方もいますね。

 

妙法山阿弥陀寺とは印象は異なるものの、オーラは勝るとも劣らない、『高山寺』。

高山寺の地からは縄文時代の土器が発掘されていますし(高山寺貝塚)、

お寺自体、古墳の上に建立されているそうです。

 

駐車場に車を止めると目の前に「多宝塔」という二重の塔が見えました。

逆光に黒々と浮き立っています。

長い歴史を感じさせる木造の塔。

金銀の装飾などまったく施されていない塔だからこそ、

海風や雨風に耐え抜き建っているその姿は、

見る者から感嘆の言葉すらも奪ってしまう存在感がありました。

 

その右手には真新しく見える、本堂。

地震等の対策だけでなく、建物を維持するために改修工事が行われたばかりだと伺いました。

やはり柱や扉は朱色に塗られています。

紀伊田辺市は海がすぐ近くにあるので、塩害から建物を守るために水銀入りの塗料を用いたのでしょう。

 

多宝塔と本堂の間の石畳を少し歩くと、

これも歴史の長い木造の小さなお堂が目の前に迫って来ます。

そこを右に曲がってみると、そこにもいくつもの小さなお堂が並んでいます。

そして再び右に曲がり、本堂の裏手に入ったところで

私は息を飲んでしまいました。

 

またまた小さなお堂がいくつもあり、箱庭のような作りになっています。

多宝塔と同じようにきらびやかな装飾などひとつも施されていないのですが、

その庭園内に漂う空気は、

そのお堂を建てた昔の人々の息遣いや思いがはっきりと伝わってくるようでした。

まるでタイムマシンに乗って過去に遡ったような錯覚に陥ります。

 

庭園の真ん中に小さな池があります。

池の中央には小さなお堂が建っています。

池には蓮の緑が浮いています。

池の淵からその小さなお堂に向かって細い外廊下のような板が渡されていましたが、

立ち入り禁止になっています。

ご本尊など尊いものがそこに納められているのでしょう。

その立ち入り禁止の表示も“楚々”としている。

お堂を正面にして右側にも、別の小さなお堂があり、

そのお堂も、慎ましやかなムードを漂わせている…。

きらびやかなものとは全く無縁の、

けれど、それを建立した人々の『思いの錦』が、風雨に耐えている木造の姿から想像できます。

そこに木材を運んで来る人、

木材を組み合わせる人、

池を作るために土を掘る人、

植物の種を撒き、苗を植える人々、

その多くの人々が身に着けているもの、

そして建立する人々のお互いを見る目の色、表情等々・・・、

そういった映像が目の前に映し出されて来るようでした。

 

同じような錯覚に陥った場所があります。

沖縄の今帰仁城跡(ナキジンジョウアト)。

ミニチュア版万里の長城とも思える、石を積み重ねた外塀しか残っていないのですが、

高台に位置し、そこから東シナ海に向かう白い砂浜が一望できます。

東シナ海から吹いてくる風を全身で受け止めると、

何百年、何千年も前の人々が海からの恵みを浜に揚げ、

牛車に乗せて城に向かってくる映像が、見えてくるのです。

 

その時と同じような素晴らしい錯覚を引き起こす、『高山寺』の小さな庭園。

つましく、慎ましく、利他的で、

「和を以て貴(トウト)しと為(ナ)す」という人々の生きる姿が見えてくるようでした。

(因みに、高山寺の多宝塔には聖徳太子の像がおさめられているとか)

 

日本のアイデンティティは「和」なのではないでしょうか。

すこし壊れかけているような気もしなくもないですが、

ラグビーの「one team」と、基は同じなのではないかしら? 

元号に「和」の字が多いのも、関係があるのかもしれませんね。

 

時を忘れてずっとここにいたい。

小さな蓮の池の前で、そこ浮いているように見える小さなお堂の前に立ちながら、

「日本の美の究極は室町時代にある。モノトーンのグラデーションだ」

というようなことを魯山人が語っていたと、

何かの本で読んだことを思い出していました。たぶん新書だったと思います。

 

高山寺の寺伝では、最初のお寺は別の名称で奈良時代に建立されたと言います。

室町時代よりも何百年も前に、高山寺の礎が築かれたそうです。

その年代に高山寺のいくつもの慎ましいお堂が建てられていたかどうかはわかりませんが、

このお寺のお堂と庭園は、

魯山人の「モノトーンのグラデーション」をそのまま映し出しているようでした。

建物の木々は相当古いもののようですが、

きらびやかな色彩が一つもないところに、これほどの「美」があるとは…。

 

何故もっと前に、このお寺を訪ねなかったのだろう…。

日本という地は「美」の宝庫だということは前々から何となくわかっていましたが、

日々に追われ、堪能する時間を持たずに来た長い年月を顧みて、

私はずいぶんと勿体ないことをして来たのだなぁ、と反省頻り。

私は日本に、日本人の一人として生まれました。

なのに、日本の事をほとんど知らない。

足元をきちんと見ていないし、地に足をつけていないのと同じことなのかもしれない。

これからは少しずつ、日本の慎ましやかな美から究極の美まで、この目で見ていきたいと思います。

 

さて、「植芝盛平翁」のお墓参りをしましょう。

紀伊田辺駅の近くにある「イオン系」のスーパーで、

すでに私は小さな仏花を購入していました。

私は持参した「WAONカード」を使いました。

旅先に何故持ってきていたのか自分でも全然わかりません。

でも、持っていたのです。

その日はちょうど20日。

20日と30日はほとんどの商品が5%引きになるスーパーです。

ラッキー!

 

日本の美などと高尚なことを語りながら、ちゃっかり5%引きで仏花を購入する私は、

なんて「ヤツ」なんでしょう、

植芝翁に失礼ですよね…。

でも、

でもネ、

仏花は食品じゃないから消費税10%になっちゃいます、

だからネ、やりくり上手の私はネ、どうしてもネ、そうなってしまうのです、ネ (^▽^)/(o^―^o)ニコ