<熊野の旅>

 

那智大社を出て、強風・大雨の中、妙法山の阿弥陀寺に向かいました。

林道をそのまま舗装したような山道でした。

脱輪でもしたら大変なことになる道を、

友人夫婦の旦那様の優れたハンドルさばきで阿弥陀寺に到着。

 

阿弥陀寺は観光スポットというところではなく、

そこにお参りする方々や神社仏閣が好きな方々がやって来る場所。

晴れていたら絶景が楽しめるような高台の駐車場に車を止めると、

途方もなく長い歳月人に踏み締められて滑らかになった石造りの階段が

すぐ後ろに見えました。

雨に濡れ、つるつるとしています。

風情があります。

その階段をゆっくりと昇っていきます。滑ったら大変、足の骨が折れます…。

 

阿弥陀寺は、妙法山の頂上より少し低いところに位置していました。

周りを大木で覆われていて、

その大木の無数の太い枝が強風で煽られ、ぶつかり合う音は

まるで大波が岩場に打ち寄せては砕ける音にそっくりです。

畏怖の念を抱かせるような音。

 

これは何かの罰かな、とふと思い、

罰が当たることなど何にもしてないも~~んと背筋をしゃんと伸ばし、

きっとこれは神事に向かう時の「禊(ミソギ)」のようなものなのかもしれないと、

自分に都合の良いように考え直して階段を昇り切ると、

朱色の鳥居門が遠くに見えました。

 

鳥居門に向かう途中の石畳の両脇に、

晴れていたらアサマリンドウの群生が見えていたかもしれません。

この日はとにかく、大雨、強風。

美しい紫の花が見えたはずの石畳の両脇は、水たまりになっていました。

 

私はこういう時、それもまた面白いと考える方なので、

その水たまりも自然が作り出した一面と思い、

出来れば長靴を履いて、水たまりをびちゃびちゃと歩いてみたい!

などと子供みたいなことを考えてしまいましたが、

石畳の両脇には竹で柵が拵えてあったので、「立ち入り禁止」。

 

やや低めで、歴史を感じさせる朱色の“鳥居門”を潜り抜けると、

目の前に本堂が見えました。

日本の「侘び寂」を感じさせる建物です。

大雨、強風の中でも、本堂は微動だにせず、そこにありました。

 

私はこの阿弥陀寺の本堂の屋根の大きさと、

それを頂いた建物全体のバランスが好きになりました。

屋根は多くの仏閣と比べるとやや多めのパーセンテージを占めていて、

しかも傾斜がなだらか。

たぶんご住職の住まいなのだと思いますが、右隣りに並んで建っている建物よりも

本堂の方が丈が低く、どっしりと腰を据えているという感じです。

阿弥陀寺は、「古刹」そのものというムードを漂わせていました。

 

係の人に名前を告げると、脇の入り口から建物内に招かれました。

お住職さんがいらっしゃって、

大雨の中をよく来てくださいましたと私たちを労ってくださり、

そして少しして支度が整い、私たちは本堂に向かいました。

 

外陣に座り、ご住職さんの読経を聞きながら、父と母の供養が始まりました。

ご住職さんの声は、まろやかでかつ繊細、そしてソフィスティケートされた声でした。

どうしても「声」に意識が行ってしまうのは、職業病です…。

 

父と母は特定の宗教を持っていませんでした。

そして私は、「苦しい時の神頼み」という不信心者です。

父は宗派を問わないお寺さんを探し、そこにお墓を作りました。

特定の宗教を持っていなくても、宗教の教えの多くが、

倫理観や常識というものに形を変え、社会に浸透しているような気がします。

そういった意味では、父と母は信心深い人と言えます。

父が選んだ、そして父母が入っているお墓は都内にありますが、

私もいつかそこに入ることになります。

 

阿弥陀寺は真言宗のお寺で、

しかも古来より「黄泉の国への入り口」として信仰を集めているようです。

私の守護神は「大日如来」。「易」ではそうなっています。

そして、阿弥陀寺の本尊は「大日如来」!!

因縁でしょうか?

 

その光明が全てを照らすというのが「大日如来」だと言われています。

ということは、私は自分で輝くよりも、人を輝かせるタイプなのかもしれません。

う~ん、どっちがいいのだろうか…。どっちも良いなぁ。

 

読経が終り、お住職さんのとても謙虚な尊いお話を聞き、

「もしよろしければ、お帰りになる際“ひとつ鐘”をついて行ってください、

亡くなられた方が極楽に行けますように…」

とのお誘いに、大雨の中を「ひとつ鐘」に向かいました。

 

この「ひとつ鐘」には伝説があります。

人が亡くなるとその霊が妙法山にやってきて、

この「ひとつ鐘」をついてあの世に旅経つと言うのです。

誰一人としていないのに、時折「ゴ~ン」という音が聞こえるときは、

亡くなった人の霊が鐘をならしてあの世に向かった時だと言います。

 

時代が変わり、その後は、亡くなってから遠い妙法山に行くのは大変だから、

生きているときに鐘をつきに行こうとする方も多くなり、

この世にいるときに阿弥陀寺を訪れ、「ひとつ鐘」をついて行くそうです。

そうすると、その方は亡くなった後、

あの世、極楽に行ける、という考え方がされるようになりました。

 

さあ、私は極楽に行けるでしょうか?

雨の中、鐘をつきました。

 

小さな鐘なのに、どういうわけか、広く周りを振動で包むような低い音でした。

心が休まる音…。

晴れていたらそこで瞑想にふけりたいと思うような深い音色。

 

極楽があるかどうかはわかりませんが、

これから最期の日が来るまで、

やっぱり、善い行いをし、悪いことをしないようにしていなければ、

お浄土にはいけない!と、思っている私ですが、

ただ、この阿弥陀寺の「ひとつ鐘」の音(ネ)は、

人の心を何とも言いようのない温かさで、やさしく抱きしめてくれるようでした。

長い余韻がゆっくりと雨に溶けていくときの感覚は、

人生の折々で、また一つ、余計な力は必要ないことを教えてくれるものでした。

 

そして私たちは、阿弥陀寺を後にしました。

大雨と強風はまだ続いていました。

 

明日は、田辺市に行こう。

合氣道の創始者・植芝盛平氏の墓参りです。

 

と言っても、親戚でもなんでもないのですよ。

ただただ、行ってみたいなあと思い、行っただけなのです。

ミーハーな、私です。