「トリカラ娘」が「大工女子」へ

 

私は小さい時から父がすることを真似るのが好きでした。

当時は小さな平屋の一軒家で暮らしていて、

日曜になると、父が時々、ガタついた物置小屋の扉を修理したり、

コードが摩耗して切れそうになっているのを直したりするのを見て、

父と同じことが出来るようになりたいと思い、自分にやらせてと父にせがんだものでした。

その時必ず私が言うのが、

「トリカラ、トリカラ」

 

この言葉は、まだ私が幼く、口が達者でなかった頃の言い方です。

「ヒ・ト・リ・デ・ヤ・ル・カ・ラ」(一人でやるから)と、きちんと発音できなかったので、

いくつかの音が省略されてしまったものです。

・ト・リ・・カ・ラ」

赤字の部分がきちんと発音できなかったのでしょうね。

 

父が竹馬を作ってくれた時、私は「トリカラ、トリカラ」と言って

鋸を父の手から奪い取り、長い竹を切る。

勝手口の外扉の板が一枚外れそうになっていると、

これも「トリカラ、トリカラ」と言いながら、父の手から金槌や釘を無理やりもぎ取り、

コンコンコンと打ち付ける。

偶に、打ち付けている金槌が横にずれ、

自分の指をしたたかに打ってしまうということもありましたが、

それでも「トリカラ、トリカラ」と言った手前、涙をこらえて我慢する。

 

父は、危なくないことは、この「トリカラ娘」にさせていました。

指先の血豆くらいでは、ケガとは思っていませんでした。

 

大工仕事を見よう見まねで真似していたことは、

大学の演劇科にいたときに役立ちました。

校内公演の時は、倉庫に置いてある平台や箱馬などを実習室に運び、

学生全員で舞台を作ります。

男も女も関係なく、腰を入れて重い平台を持ち運んでいました。

金槌は「なぐり」と言われていました。釘の頭を殴るから、なのでしょう。

 

あるとき、不要になったビール瓶の栓を、先輩の男子学生が飲み屋さんから大量に譲り受け、

それを「コイン」に作り替えてお芝居で使うということになり、

2~3人の女の子が選ばれました。

ギザギザの部分を金槌で内側に潰してしまうと、舞台では「コイン」に見えます。

 

私たち三人は、実習室の外で、このごく単純な作業を始めました。

実習室の中ではほとんどの男子学生が舞台を組み立てていました。

平台は運べても、舞台を組み立てるとなると、女子よりもやはり力のある男子が先頭に立ちます。

 

私には、単純な作業をしていて途中でつまらなくなると、

自分なりに楽しくなるように工夫するというところがありました。

私は金槌を打ち付けながら、

ガーシュインのジャズを聴いているようにリズムを取っていました。

リズムを取りながら作業をしていると、大量のビール瓶の栓も苦になりません。

途中、私たちの様子を見に実習室から出てきた先輩の男子学生が、

私の横顔をのぞき込むようにして見て、

「おう、リズム刻んで、プロじゃん良いじゃん」

とからかい、

またこれもどこから見つけて来たのか、裏皮でできた巾着を二つ手渡し、

「出来上がったらこれに入れて持ってきて」

と言って、実習室に戻っていきました。

子供の頃は打ち付ける場所がずれて指先に血豆を作ったりしていた私も、

このころになると、キャリアがものをいうようになるのですね、

皆が予想していたよりも早くに、血豆なしで、大量のコインが出来上がりました。

 

一人でいると、何もかも一人でやりたくなるのが私の癖。

中古だった今の部屋の壁がいっそう古くなり、白いクロスの壁紙も黄ばんできたので、

真新しく見せようと、私はペンキ塗りを始めました。

ペンキ塗りも、子供の頃父から学んだ作業でした。

今、マスキングテープは、遊び心満載の可愛いものが多く、

文房具のカテゴリーに入っているようですが、

元来の用途は異なっていました。

昔は、ペンキが木目のヘリなどにつかないようにするために、

ペンキ塗りを始める前にヘリに張り付けていくものでした。

部屋の隅から隅までマスキングテープを張り、

家具には、ピクニックに行くときのビニールシートをかけます。

 

けれど一つだけ、

父の姿を見ていたのに、“なぜそうするのか”長い間知らなかったことがありました。

父は、頭に手ぬぐいをまいてペンキを塗っていました。

私はそれを、帽子代わりにしているのだ、とばかり思っていました。

つまり、ファッションだと思い込んでいました。

違うのですね。

 

部屋の半分以上にペンキを塗り、ペンキが無くなってしまったので、

私はそのまま近くの金物屋さんに走りました。

金物屋さんのおじさんが、店に入って来た私の顔を怪訝そうに見ています。

どうしたんだろうと思いながら、同色のペンキを買うと、おじさんがニコニコしながら、

「髪の毛と顔に、白いのがいっぱいついているよ。はかどっている?」

 

その時初めて、父が頭の上に巻いていた手ぬぐいの本当の「役割」を、私は知りました。

手ぬぐいは、頭にペンキが垂れて来ても大丈夫なように巻いていたのですね。

 

そう、こういう時は、笑ってごまかすのが一番。

 

「ついてました? 急いでいたから、鏡見るの忘れちゃって・・・」

「頑張ってね!」

「ありがとうございますぅ~。今度、鏡見てから買いに来ます」

「それが良いね、女の子だしね!」

私は38歳になっていました。

 

私がそれまで、ペンチやパテ、小さな釘やフック、電動ドライバーなどを買いに行っていたので、

金物屋のおじさんは、私が「大工女子」だということを知っていました。良かった…。

 

金物屋のおじさんは今も健在です。ご家族皆で、大きな店を構えています。

そしてその向かいにあった電気屋さんは・・・。

 

個人営業のお店がどんどんと廃業してしまう時代。

時代のあおりを受けて閉店し、そこにはおしゃれなお店が出来ました。

私がここに移り住んだ時にあった乾物屋さんは、マクドナルドとコンビニに変わりました。

 

変わらないものは何一つないのですが、ちょっと寂しい気がします。