<LisPonとの出会い> 教える 5
“機械室に居る人、誰???”
LisPon で、新しい試みのアイデアが出て来ました。
挙手した方々の中から2~3人をピックアップし、
直接LisPon に来ていただいて、
私の目の前で演技をし、私が面と向かってアドバイスをする、というのです。
実現しました。
そこではじめて、私は「作品」を書きました。
Practice、練習として書いたものです。
これが、私が「作品を書く」、正真正銘のきっかけです。
作品の登場人物は「男」と「女」。過去に結婚まで約束したのですが別れてしまい、
それから10年後に、とある駅のホームでばったりと会う。
過去は二人の口からほとんど語られず、
「男」が「女」をどう想っているか、「女」は「男」をどう見ているか、
そして二人が共通の過去をどう感じているかを、
直接的な内容のセリフにならずに演じるという、
ある意味「大人の演技」が必要な内容でした。
ワンシーンだけ、私の若いころの経験を取り入れました。(詳細は、語りません、ネ(* ̄▽ ̄)フフフッ♪)
「T君」が、男 。女役に、「Yさん」が選ばれ、スタジオに来てくれました。
「T君」は、とても繊細で物静かな雰囲気を持っていました。誠実な方です。
「Yさん」は、聡明で、凛としているのに柔らかく、女性にも男性にも好かれる「仄かな色気」がありました。
お二人は元々そういった要素を持っていて、それを何の衒いもなく自然と漂わせていたのが素敵でした。
微妙なセリフを実にリアルに表現してくれたお二人によって、
私の拙い作品は、余韻のある素敵な作品になったような気がします。
そして、私の第一作目の「会話劇」は、後日、養成所の生徒たちの、教材になりました。
コメディー「究極の、一言」では、
作家志望の娘を「Kさん」 。その弟を「R君」 。
そして蕎麦屋の女将の母親を、とても若い「Mさん」に演じていただきました。
「Kさん」は独特の世界観を持ち、摩訶不思議な世界を官能的に表現します。
それがいい~!とろけてしまう~~。
かつ、ごく普通の女性にも変身します。そのギャップが凄い。
「R君」は、セリフのリアル感とテンポが良く、声だけの配信なのに、
舞台俳優のように体を動かして演じていらっしゃいました。
迫力がありました。なりきり役者です。
「Mさん」。この方も独特の世界観を持っています。
例えば、「邪悪さ」を“美”に変えてしまい、聞く者を心地よく“惑わして”しまうという力を持っています。
声も年齢も若い「Mさん」は、天然の蕎麦屋の女将そのままを、軽快に演じてくださいました。
「最強の悪・長台詞集」3作では、
「S君」、「J君」、「Nさん」の3人に来ていただきました。
「S君」は、も~う、アメージングな低い声の持ち主。最高です。
淡々と語るのですが凄みと説得力、リアル感があります。
まったく気負っていない、力も入っていないのに、言葉がビンビンと響いてきます。
「J君」はプロを目指していて、演劇的な表現をなさる方でした。
やや高音の声。青年というイメージです。はっきりと前に出る演技で、華があります。
そして、「Nさん」。
まだ高校生でしたが、素晴らしい演技者でした。
『演技指導者も演出家も、決してこの方の演技を弄って
はならない。何も言わず、
自由に表現してもらうだけで、素敵な作品が出来上がるという不思議な力も持っている』
そう思いました。
2018年8月末、初めて出演させていただいたLisPon のイベント「リスフェス」でも、
私は輪廻転生と山姥伝説をもとにした「ヒマラヤ桜」という小作品を書かせていただき、
オーディションで選ばれた「Yさん」と「R君」と、
そして、なんと、
声優の「井ノ上奈々さん」が、快く参加してくださいました。
井ノ上奈々さんはじめ、出演者の方々の情熱的な表現によって「ヒマラヤ桜」は好評でしたので、
ホッとしました。
井ノ上奈々さんとはこの時初めてお目にかかったのですが、演技の幅が広い方です。
まったく違うタイプのキャラクターに変貌することができる。
そしてそれを、最後まで維持できる安定感があります。
井ノ上奈々さん、その節は、お世話になりました。
ありがとうございます。
LisPon のスタジオでお目にかかった皆さん、
声で参加してくださった皆さん、
元気ですか?
いろいろなことを新たに感じ、ワクワクし、刺激していただき、
素晴らしい時間を共有することができたこと、
ほんとうにありがとう。
またみんなの「声」が聴きたいな!
で・・・・。 (dorodorodorodoro~~、ti-nn~~)
<機械室に居る人、誰???>
『イベントで出番を終え、舞台から降りて会場の裏の細い廊下に入った所・・・。
細長く狭い機械室のような薄暗い部屋があった。
空間を様々な管が這っている。
扉は空いたまま。
清掃人が余った掃除道具を少しの間置いておこう、などと考えるような、
あまり重要とは思えない、小さな部屋だ。
すこしかび臭さが漂う。
その中に、
“男”がいた。
扉の前を行き来する人には目もくれず、立ったまま、達磨大師のように壁に向かっている。
出番を待つ、出演者の一人だろう。
彼の姿を見て、ふと、私は学生の頃の自分を思い出した。
本番前、あがり症だった私は楽屋でじっとしていられず、
舞台の裏にある、あらゆる小さな部屋に入り
(かび臭いところ、どぶ臭いところもあった、それでも我慢した・・・)、
そこでプレッシャーと戦っていた。
上がっていた息が少しずつ下がってくる…。
そうしないと、膝がガクガクしながら舞台に出ることになってしまう…。
私は当時、極端な、極端な、超あがり症だったのだ。
楽屋では、
“そんなに七転八倒していて、こっちが上がっちゃうから他のところで、七転八倒してよ!”
と仲間に毎回注意され、それももっともだと、
楽屋を出て、暗く狭い機械室のようなところを探し、そこに入る。
本番前の私の“癖”だった。
あるいは今は、ラグビーの五郎丸氏から広く知れ渡った、“ルーティン”というのだろうか?
(その方が、格好よく思える・・・?)
出演者と思しき男性を見ながら、
私はクールな表情のまま、
内心、「キャー、うれしい~~、私と同じことしてるぅ~」と、
心の中でクスクスと笑ってしまっていた。』
「松原タニシさん」。
その方でした。
“恐い間取り”の著者。
次回、松原タニシさん、登場です。
書いちゃいますね。
一応、ご本人のタニシさんに許可をとっています。
タニシさん、元気ですか?