教える 1
前回のブログの後、アニメーションの仕事で稽古の日々となりました。
少し間が空いてしまいました。
私は不器用なので、切り替えが下手くそです。(;´д`)トホホ
一つの役柄を与えられると、それにのめり込んでしまうので、
同時に二つ、三つの事を上手にこなすことができません。
また、稽古をしなければ落ち着かない、というタイプです。
稽古をして初めて肝が据わる、と言ったらいいのでしょうか…。
やっと収録が終り、翌日の29日は、養成所の授業の準備をしていました。
昨日(30日)、プロダクション・エースさんの演技研究所で、一つのクラスの最終授業がありました。
プロダクション・エースさんにはかれこれ6年ほどお世話になっています。_(_^_)_
教え子たちは何人になるかな?
相当の人数になっていると思います。
授業は男女混合。一クラス、18人~24人ほど。2時間半の授業です。
(もっと時間があれば良いのにぃぃ!! わがまま言ってごめんなさい 🙇)
教えるにあたり、私が最初に肝に銘じたことがあります。
「自分のやり方を決して生徒に押し付けない。
生徒が持つ特徴や個性、潜在能力を見つけ、それを引き出すようにする」
これって、とっても、とっても、難しいのです。
毎回毎回、反省頻り…。
私には私の感性があり、ポリシーがあり、価値観があり、歴史があり、そこに蓄積された経験があり…、と、
私は「私」としての人生を歩んでいて、その間に一度も「別の誰か」になったことがありません。
それはすべての人がそうですよね。
ですから、私は、私以外の何者にもなれません。
私のアドバイスはすべて、『私』から生まれ出て来るもので、
その『私である』ということが、
別の個性を持ち歴史を持っている生徒たちへアドバイスをするとき、
「私だけの感覚」、「独りよがりの感覚」で応じてしまう危険性を、常に孕んでいる…、
そこを気を付けなければならないと考えました。
長く生きていると、蓄積されたものも豊富になり、たくさんの答えを持っていると思われがちですが、
それは違います。
もちろん、「持って然るべき“自信”」があり、「持って然るべき経験」、「持って然るべき知恵」があるから
こうして生きていられるのですが、
だからと言って、すべての事に答えを持っているわけではなく、
むしろ、すべての事の答えをまだ探している、と言った方が、
今の私そのものを、そのまま表していると言えます。
長く生きていればいるほど、自分がどれほど「無知」であるかが分かって来ます。
私は時々、
「自分がどれほど無知であるかを思い知るために、私は生まれて来たのではないか・・・」
と思ったりします。
私が私以外の何者にもなることができない以上、
生徒たちに教えるとき、
今の私のキャパシティーをもっともっと広げることが必要だと考えています。
そしてありがたいことに、私は生徒たちを教えながら、生徒たちからたくさんのものを発見させてもらっている。
理解できないもの、ピンと来ないもの、頷けるもの、否定的に見てしまうもの等々も含め、
良いこともそう思えないことも、
多くのものを発見させてもらっている。
それを一つ一つ、
今までの自分の視点から少し外れたところに敢えて自分を置き、
再度見てみる、考えてみる、感じてみる…、精査してみる。
この作業を私は、「内的作業」と称しています。
この内的作業は、とても難しく、苦労が多く、だからこそとても重要になります。
これが私のキャパシティーを広げていくことに繋がるのではないかと思います。
私たちの仕事だけでなく、たぶん多くの仕事には「100点満点」がなく、
また絶対的な物差しが無いのではないかと考えています。
規範がなく、絶対的な物差しもなく、完璧な方程式や定義がない中で、
私たちは生きているのではないでしょうか。
だからこそ、考える。
何かを発見し、何かを捉えようとしながら、身に着けようとしながら…。
今日よりも明日、明日よりも一か月後、一年後、三年後・・・、
そのキャパシティーがもっともっと広がれば、
ピンポイントで的確なアドバイスが出来るのではないかと、
そんなことを自分に期待しながら、私はレッスンに向かいます。
格好の良いことを言えば、
「自分との闘い」、「自分への挑戦」のようなことを、
教えることによって続けているのです。
“教える”ことを選択せず、生徒たちがいなかったら、私はそれを続けていられたかどうか・・・。
昨日最終レッスンを終えた養成所の生徒たちに、
8回のレッスンの中で、
どれほどのものを教え、伝えることができたのか…。
それは、今の段階では分かりません。
芸の道は“茨の道”。
困難、苦労、苦悩が付き纏う道です。
教えられたことを、学んだことを体現するには、
また、それまでとは別の訓練が、必要になります。
皆、頑張ってくれるかな?
さて、評価をしなければなりません。
それが一番、胸の痛むこと。
私はなんと、“罪深い人間”なのでしょう…。
私が生徒たちに願うことは一つ。
どんな職業についても、自分の人生を、この世に二つとしてない自分なりの色模様に、織り上げてほしい。
次回は、教えていたときのちょっとしたエピソードを書いてみようかな、
と思っています。