声について part5

 

すべてにおいて言えることだと思うのですが、

何かを成すには、絶え間ない地道な努力と忍耐が必要です。

そこには、スポットライトは決して当たりません。

その訓練、内的作業(精神的な訓練)をしているときは、

誰もそれに気づいてくれないものです。

それでも、していかなければならない・・・。

 

声を定着させるために、“この声で”訓練を続けなければ・・・。

私はそう思いました。

日々の稽古は変わりなく、続きました。

 

そうこうするうちに、アニメーションではなく、

洋画の吹き替えのスタジオに見学に行くよう事務所から言われ、

外国ドラマの吹き替えのスタジオに

毎週見学に行くようになりました。

 

私のデビュー作は

「六神合体ゴッドマーズ」のフローレ役、

となっています。

はじめての主役ということで、“デビュー作”と位置付けられたのでしょう。

セリフらしいセリフのある役を戴けて、はじめてそれがデビューになるのだ、

という解釈なのかしら?

 

けれど、この世界に長く居ながら、

私は未だ、「デビューの定義付け」がはっきりとはわかっていません。

『もしかしたら、ひと声でも、デビューになるのではないかしら??』

などと考えたりします。

 

そういう考え方からすると、

フローレはデビュー作ではなくなります。

フローレ役の前に小さな役で、私の声はすでにテレビから流れているのですから…。

 

一言二言ではなく、

セリフらしいセリフが戴けた私の声がテレビから初めて流れたのは、

実は、フローレではありません。

「六神合体ゴッドマーズ」のフローレ役の前に、

外国ドラマの吹き替えで、

私は初めて、セリフらしいセリフを戴きました。

 

見学に行っていた外国ドラマ「刑事デルベッキオ」。

それが私の最初の作品です。

 

刑事デルベッキオの声を、大ベテランの俳優・近藤洋介さんが担当していらっしゃいました。

そしてその相棒の刑事を、

当時若手のホープでその演技力が高く評価されていた「玄田哲章さん」が担当していました。

私はその玄田哲章さん演ずる刑事の“妻”役でした。

 

この時点ではまだ、「六神合体ゴッドマーズ」のフローレ役のお話は来ていませんでした。

 

外国ドラマの見学を始めてから一か月ほど経ったころ、

突然、音響監督さんが、私に「役」をくださったのです。

その音響監督さんに、私は一度も演技を見てもらったことはありませんでした。

スタジオの音響監督さんの席から少し離れた場所に、

折り畳みの椅子を置かせていただき、

そこに座って、スタッフの方々の邪魔にならないよう、

分厚いガラスで覆われた収録スタジオ内を見、

スピーカーから流れてくる演技者の方々の演技を、

ただ、しっかりと聞いていただけでした。

 

今でも何故だかわかりません。

私はただ見学をしていただけ…。

私の演技をご覧になったことのないその音響監督さんが、

玄田哲章さん演じる刑事の妻役に、なぜ私を選んでくださったのか…。

 

当時、アテレコの世界、つまり、外国ドラマや洋画の吹き替えに新人が入り込むのは、

とても難しいと言われていました。

アニメーションの方が、新人がデビューしやすかったのです。

私と一緒に事務所に所属することになった新人の女の子二人は、

すぐにアニメーションの仕事が入り、レギュラーも持っていましたが、

私はアニメの仕事では、セリフは一言、二言。

 

私は当時、洋画や外国ドラマの吹き替えに魅力を感じていましたので、

アテレコをしたいという気持ちが強くありました。

けれど、新人が入り込む余地がない、とまで言われていた時代ですので、

役を戴けることなど、ずっとずっと先の事だと、覚悟していたのです。

 

収録日の三日前に出来上がった台本に目を通したとき、

私は正直、「どうしよう!」

と思いました。

とても怖かったのです。

 

次回は、続きですが、

当時のアテレコの収録の仕方が、今とはずいぶん異なっていたことに、

少し触れてみます。

時代の流れを感じます。

ずいぶんと長く生きているのね、私。

感慨深いものがありますね(笑)

 

では、少し早いけれど、

皆さん、おやすみなさい。

明日、5時に起きる予定ですので…。