『2019年8月3日、6日に思ったこと』

 

2019年8月3日。

NHK総合で、アニメ「この世界の片隅に」を見る。

やわらかい作風。素晴らしい作品。

だからこそ、現実何が起きていたかが、恐ろしいほど伝わってくる。

日常のさりげなさのその背後に、

まるで恐ろしい魔物がその大きな口を開けて普通の人々を飲み込もうとしている現実があるような・・・。

それが、私の頭の中のあの時代のイメージだ。

 

一人一人のすずさんが、そしてごく普通の人たちが、一見非力に見えながら、

実は、美しいほど謙虚で、一番強く、しなやかに生きていたのだろう。

そのすずさんたちによって、

今の私たちは、在る。

そんなことを考えていた。

 

2019年8月6日。

朝、5時起床。

5時半から、近くの巨大な公園を目指し、歩き始めた。

肺炎も完治し、それまでと同じ日課に戻るため、また、体調や体力を取り戻すため、

土曜日から、朝、一時間半、およそ7キロを歩いている。

 

今日は前日に比べ、暑い。

陽の光もいつもよりも強かった。

家に戻ると、私の恋人、雄のセキセイインコの“ピジュ”の声が聞こえた。

もう起きていて、「アチュイネエ」、「チョットマッテネ、チョットマッテネ」と言いながら、

就寝用の小さなゲージから出たくて仕方がない様子。かわいい。

 

昼間用の普通の大きさのゲージに入れる前に、一緒に遊ぶ。

新しい餌と、レタスと、お水、そして少量の生クルミと麻の実を用意すると、すぐに食べる。

寝ている間はほとんど食べ物を口にしていないと聞いていたけれど、そうかな? 

時々夜中に「カリカリ」と何を食べている音がしている…。

ピジュは食欲旺盛。

それが元気の源だと、小鳥店の店主さんが話してくれていた。

ピジュを昼間用のゲージに入れたところでテレビをつけた。

 

「広島平和記念式典」

8時15分。黙祷をささげる。

松井一実広島市長の平和宣言。

 

私は松井一実市長の「語り」が好きだ。品格を感じる。

心の中に思いを秘めながら、聞くものを煽るわけでもなく、非難するわけでもなく、

切々と訴えるような演出も全くなく、

松井市長の誠の思いが、自然な気持ちが、言葉にしっかりと載ってくる。

しかも、淡々と、冷静に、そして心の中は熱く…。

 

そんな語りに、いつも胸を打たれる。

平和への深く強い揺るぎない思いが、松井市長の中にあるのだろう。

ブレることなく根底にあるのだと感じる。

 

私もいつか、松井一実市長のような、「語り」ができたらと思う。

ナレーターや声優として、“聞かせる”というような作為は全く必要ないのだ。

「ただ、語る」

「根幹を、静かに語る」

それが、聞く者の心に、深く深く刻み込まれるのだと、私は思っている。

 

そして、二つの小学校の六年生二人の、子供宣言。

 

簡単なことなのに、大人になるとなぜ、それができなくなるのだろう。

子供にはできるのに、大人にできないのはなぜなのだろう。

子供の目線の鋭さに、大人である自分が恥ずかしくなる。

 

60年以上生きて来て、私は、いったい、何をしてきたのか?

一人の人間として、何を見せて生きて来たのか?

残りの人生で、私は何をすべきなのだろう・・・。

 

松井一実市長の平和宣言を聞きながら、

小学校六年生二人の子供宣言を聞きながら、

その臨む姿勢を感じ取りながら、

もう一度、いや、何度でも、己を正さなければならないと思った。

 

私は時々、自分の人生を顧み、自分に対する評価を見直すことにしています。

自信をもって生きることはとても良いことだと思いますが、

人間は、ミスをし、失敗をします。

ミスも失敗もない完璧な人間など、いないのではないかしら…。(だからこそ、素敵なのだとも思っています)

自分が自分に対して成す評価を見直すことで、

また新たな目標ができる…、それが私にとっての生きる糧。

何歳になっても、これで良い、と思わずにいたい。

これで十分とは、決して思いたくない。

それが、私の中にあります。

 

平たく言えば、もう60歳を超えたのだからと、そっくり返りたくないのです。

長く生きていても、知らないことが膨大にある。

出来ないこともたくさんある。

そういった自分を、しっかりと把握していたいと思うのです。

 

『2019年8月3日、そして6日に思ったこと』