教えることを、始める 1
2011年初夏。
父と母の多重介護が始まり、私は仕事ができなくなりました。
まずは介護のノウハウを知ることに専念しようと思いました。
大学卒業後に声優の世界に入りたいと言ったとき、私は父と母の猛反対に会い、
二人の前で土下座をして、
「一生、パパとママの面倒を看ます。だから声優をやらせてください」
と頭を下げました。この約束は果たさなければならない…。
介護についてはとても難しい問題ですが、日々の介護で、私は外界と疎遠になりました。
この年の暮れに、それまで家では歩けていた父が歩けなくなり、高熱を発して入院しました。
退院したら父をどのように介護したらよいか…。
私は、身体障害者の手帳を持っています。 3級です。
私の両足にはチタンでできた人工股関節が装着されていました。手術からまだ一年も経っていなかったので、リハビリは十分でなく、筋力も戻っていませんでした。
歩けなくなった父をベッドから車椅子、車椅子からベッドと移乗させるには、覚悟をしなければなりません。
母は父が先に逝ってしまうことに怯え、精神的にとても不安定になっていました。二人を助けるためにはどうしたらよいか…。
私は大学の先輩の男性に電話で介護のアドバイスを求めました。
先輩は私より5つ年上でした。30年以上、お母様の介護をなさっていました。
雰囲気のある俳優さんです。
アドバイスをくださった後、先輩が私に尋ねました。
「良子、お前、仕事してるか?」
「してません」
「お前、外に出なきゃダメだ、追い詰められてしまう」
そして先輩は、『俺が見るところお前は教えるのにとても適している。俺の知っているところがあるから紹介する。とにかく引きこもっていてはだめだ』と、養成所を紹介してくださいました。
『アプトプロモーションの養成所』と、『プロダクション・エースの演技研究所』です。
私は、この二つの養成所でしか教えていません。
『お前は教えるのに適している』との先輩の言葉は意外でした。
大学では優等生で面白くない演技しかできなかった私は、声優の世界に入ってから少し変わり、どちらかというと「正統派」ではなく、「異端」になっていました。訓練方法も、先輩の方々のアドバイスに従ってするとまったく上達しない。(先輩の皆さん、ごめんなさい 🙇 )
そこで、自分自身を深く自覚することで自分なりの訓練方法を編み出し、それを続けていたのです。
こんな私が体系だった知識とスキルが必要な「教える」ということに、果たして適しているのだろうか?
先輩は、私のどこをみて、アドバイスをくださったのだろうか?
不安でした。
自信もありませんでした。
けれど、介護という抑圧された状況の中で、先輩がおっしゃった「追い詰められてしまう」ということは、当たっていると思いました。
追い詰められて悲劇を起こしてはいけないと、私は切実な思いを抱いていました。
外に目を向ける…。
教えることの始まりです。
“ワンポイントアドバイス”
「あ、え、い、う、え、お、あ、お」という発声練習がありますね。
これは「滑舌」にはほとんど役に立ちません。
これは、口がきちんと形を成しているか、声はきちんと響いているか、当たるべきところに息は当たっているか…、そして、自分の体調はどうかなどをチェックするためのものだと私は考えています。
癖がついていればそこで矯正出来るので、わずかばかりですが「滑舌」のためにはなるでしょうが…。
日本語の“音”は、子音と母音で構成されていますが、日本語はこの「あ、え、い、う、え、お、あ、お」で全てが作られていません。
母音は、無秩序に、あるいは無統一に並んでいます。それがセリフになり、原稿になっているのですから、「あ、え、い、う、え、お、あ、お」と訓練しても、滑舌にはそれほど役立たないのです。