男装の麗人 川島芳子と今の僕8
僕は11月2日、長野県松本市に行ってきた。前日の1日は深夜2時
に帰宅し、シャワーを浴びた後再度、スーツに着がえ4時に車で
出発した。午後松本市を出て、家に戻り3日の本日3時に仕事を
終えた。やっぱり帰りは眠くて眠くてヤバかった!仕事中から自宅に
帰るまでもね。
なのでブログ更新ができなくてスイマセン。(涙)
長野県に入ると朝、霧が凄くて晴れる様子ではなかったが、9時から
ある会長と会い話をしていると、次第に窓から日差しが入るように
なり、良い天気になった。
とても気さくな方で、初対面とは思えない様に話が進んだ。
4時間あまり会談をしただろうか。最後は会長秘書の運転で、案内板
が有る、旧川島芳子の住んでいた場所とは違う、松本市に越してくる
、最初の自宅後へ行く事になった。
現場に到着すると、そこは新しい家が立ち並んでおり、昔の面影は
無い。街全体が変わってしまっているが、昔から変わらないのは、
山や川などの風景ぐらいだろう。移り住んで住んで歩いて廻らないと
不明ではあるが。景色が良いので少しの間、住んでみたい気持ちに
もなる。
会長との話の中で、芳子時代に僕が逢った人たちのほとんどが、
亡くなってしまい、会える方が限られてきた。しかもかなり高齢だ。
それは仕方ない事だ。みんな年齢と共に亡くなり、来世へと生まれ
変わるのだから。僕の秘書であった、小方も亡くなってしまい、
生前芳子時代に大変お世話になった、礼を言う事すら出来きなく、
この世を去ってしまっていた。
(小方とは小方八郎、芳子時代僕の秘書をして大変世話になった)
(左から、小方八郎、そして昔の僕、川島芳子、頭山満)
みんな居なくなってしまう。前向きに動いたつもりが何か悲しくなる。
本当、僕は改めて孤独なのに気がつかされる。
人が生まれ変わるなどと、何人の人が理解してもらえるだろうか?
同じ様に前世の記憶が有る人は、解って頂けるだろうが。
僕が男装の麗人、川島芳子の生まれ変わりの話もした。すると会長は
否定する事も無く、僕の話を興味心身で聞き質問もしてきた。
話の中で川島芳子に一度、会ってみたかったとも言っていたので、
僕が生まれ変わりと聞いて、僕に逢えたのが嬉しそうに見えた。
とても人柄が良い会長でしたので、年明けにはまた会いたい。
話の中で『川島芳子は生きていた』と言う生存説は、小方や会長も
否定していた。簡単に言うと当然だがお金儲けだった様だ。
会談の最後は記念撮影をして、一緒に外出した。
同じ戦中の時代、満洲国に地に足をつけていた1人として。
簡単ではあったが、次回色々話を書こう。
今後も生きている限りは色々な人と逢いたい!
芳子&はるな