先日、書いたように全てが前世と重なるんだ。
本を書いている中のエピソードから簡単に紹介してみる事にする。
さすがに、心身共にちょっと疲れ気味・・・。
もう何万人の人と出会い付き合いが有っただろう。
中には、20代の全盛期は芸能人とプライベートで遊ぶ機会が
沢山あった。
ブログにも書いたが(ガクトさん)初め、政治家では今は亡き浜田幸一
さんとも夢庵と言うファミレスで食事をした。
夢庵ですよぉ!しかも運転手の方は注文した物を食べている
んですが、浜田幸一(通称:ハマコー)さんは自前の弁当を出して
食べ始めた!
愛妻風ではあったが、ファミレスで持ち込み有りっすか?
驚きましたよぉ。 (; ̄ェ ̄)
僕は2003年頃から、TV数局に出演依頼の電話も有ったが、
全て断った。
軍事関係の時は、幕僚幹部の方々や全国の駐屯地、特に
特殊作戦軍(日本の特殊部隊)の方々や空挺部隊員。
その他、救難団、警察友の会。
大中小の企業社長様方(企業の社長は常にですが)。
そんな中で、こんなエピソードがある。
その時に日本にもスパイが入って来ていると実感した!
例に上げるとこうである。
これは、CIA(アメリカ合衆国中央情報局)の事でしたが、ある
アメリカのメーカー、貿易会社の日本担当社員と仲良くなり、仕事で
深く付き合うようになり毎月来日の度に、会う様になった。
(この方を仮に名前のイニシャル、R.Aさんとしよう)
日本へ毎月来日するようになって数年が経ったある日の事。
CIAからRAさんの働いている会社の社長に内密に一本の連絡が
来たのだと言う。
後日、RAさんは社長に呼び出されスパイの仕事を同時にするように
言われた。RAさんは断ったと言うが、それは定かでは無い。
仮にスパイをしていても断ったと言っただろう。
CIAからの依頼の理由は簡単。企業の社員として見つかり難く、
日本語にもたけていたから、情報収集がしやすい。
僕はそこからは深くは聞かなかった。彼RAさんも語らなかった。
実際、日本の大手企業と取引きをしていたので、冷戦後の今、
経済戦争の中では想像がつく。
そのスパイとの縁で、僕はアメリカに会社を持っていた。
僕は中々普通では経験できない様な経験や体験談が多い。
多すぎて、今思い出した事を書いてみた。
中には知人の社長で、アメリカ国外輸出禁止の軍事製品を許可無く
輸出してFBIに捕まった人もいたよ。
保釈金払ったみたいだけど、1億円だったって。(汗)
次回は今の僕が、本気で考えた支那(中国)でのクーデターの事に
ついて書こう。、か考えてる。
芳子&はるな。