まだ気持ちの整理がつかず、どう言葉にすればいいのかわかりません。
YOSHIKIとしてのコメント、そしてX JAPANのリーダーとしてのコメントを
どのように区別すれば良いのかもわかりません。

NYでの公演とイベントを終えた直後に、HEATHの訃報を聞きました。
HEATHに会いに行くため、東京へ飛びました。

HEATHは、HIDEに紹介されて1992年にX JAPANへ加入しました。
ニューヨークのロックフェラー・センターで加入発表の記者会見を行い、
最初のコンサートは東京ドーム。最初のテレビ出演は紅白歌合戦。
そんな凄まじい状況の中、計り知れないプレッシャーを感じていたと思いますが、
彼はいつも最善を尽くして、X JAPANを支え続けてくれました。

バンドを再結成した後は、アメリカ、ヨーロッパ、南米、アジアと、世界中を一緒に回りました。
TAIJIの最後となったステージで、彼と一緒にベースを演奏することを提案したときも、HEATHは快く引き受けてくれました。
彼は、バンドのメンバーとしても、人としても、本当に最高のベーシストでした。

特にこの1年は、今まで以上にHEATHとの距離が近くなってました。
昨年の自分の誕生日、自分の番組に出てくれた時、収録後の控室で、今までにないほど長い時間、色々なことを話しました。
それ以来、明け方まで二人で何時間も電話で語り合ったこともありました。
今年の8月20日には、僕のディナーショーにも来てくれました。
まさかその日が、HEATHと一緒に立つ最後のステージになるとは思ってもいませんでした。

HEATHの望みを叶えられなかったのは、全て自分の責任です。
最後のお別れの場で、HEATHに謝りました。

YOSHIKIとしては、あまりの悲しみで身も心もボロボロで、今は言葉が上手くまとまりません。
今立ち止まったら、これ以上歩けなくなる気がして、
ひたすらに、怒涛のスケジュールをこなしています。

ただ、バンドのリーダーとしては、最後に果たさなくてはいけない責任が残っています。

「しんみりしないでください。明るく楽しく見送っていただきたい」
「メモリアルコンサートをYOSHIKIさんにオーガナイズ してただきたい」

これは、ご遺族より預かったHEATHからの言葉の一部です。
これから親族の方たちと話し合い、HEATHの願いを実現させるしかないと思っています。
そして、それを実現させるには、戦わなくてはならないことがいくつかあります。

HEATHへの想いは、語ればきりがないです。感謝してもしきれません。
心の整理ができたときに、改めて伝えたいと思います。

HEATH、今までありがとう。そして、安らかに眠ってね。
またいつか、一緒に音楽を奏でようね。

2023 年 11 月 11 日

YOSHIKI