幸せに、私と一緒にダンスを踊ろう。
いつも言うでしょう。
神とダンスを踊る。
神に恋をする思い。
それがあってこそ、バランスの取れた、神の道というのを、踊りながら上がっていくことができるんだよ。
そんな、ぎすぎすしたゆとりのない思いの中で、全人類を幸せにしよう、この宇宙を幸せにしようなんて思っても続かない。
絶対続かないから、豊かさの中で喜びをもって、「仕事は喜びをもってするもんだよ」って、以前言いましたよね、あなた方にも、この人に言ったんですけどね。
でも、あなた方にも言いましょう。
難行苦行で仕事をするのはやめなさい。
喜びをもってしなさい、仕事というのは。
その中には何か、愛ですよ、喜びというものは愛し合う者たちの中にあるものです。
仲間を愛し合う愛。
人類を愛する愛。
そして、パートナーを愛する愛、ね。
動物を愛する愛。
芸術を愛する愛。
すべての中に愛が宿るのです。
そうしたときに、ウキウキとした喜びの中で仕事はできるのです。
あなた方どうですか。
つらい勉強をする時には、時間が流れるのがすごく長いでしょう。
残業でいやな仕事をやらされる時、いやでしょう。
でも、どうですか、レムリアの仕事をやる時は、嬉々としてやっているではないですか。
人というのはそういうものなのです。
喜びをもって仕事をしたのなら、それは少しも苦しいものではないのです。
義務でもなんでもないのです。
喜びの中で仕事はするのです。
それの根源は何かといったら、愛なのですよ。
最終的にレムリアの仕事をすることが全人類を幸せにしていけるんだと、神の愛に報いていける、愛を受けていく、返していく、恩義を返していく感謝の法になっていくのだということを思えば、どんなにつらい徹夜の霊言起こしの、テープ起こしの仕事であったとしても、CDを編集する仕事であったとしてもね。
大変なお仕事で皆さんやってくださっております。
見てます。
みんな見てます、私たちは。
その仕事を見ていて、ね。
あなた方が一生懸命愛の元にやってくださる姿を見て、あなた方が喜びをもってやってくださることを、私たちは見ております。
だから、神様の仕事、そして、それはこのレムリアの仕事以外のことにおいても、全人類を幸せにしていくというものに、すべての仕事に対して愛を持つのならば、それは義務ではなくて、喜びをもって仕事をしていく。
そうしたら、疲れなど少しも感じない。
エル・ランティも真っ青になるような、いつも嬉々として仕事ができるような、ああいう魂になるのです。
高橋信次という方、エル・ランティという方は、まあ、人類を救うのが大好きな方なのです。
本来はもっともっと上に行けるのに、行きたくないといって行かないから、いつまでも親分でいるのですけどね。
あの方はまあ、それは人類を救うのが大好き、人間大好きな方です。
あふれんばかりのあのエネルギーはどこから出てくるか。
こよなく、愛して愛してやまない人類に対する愛が、もうわき上がってくる方なのです。
だから疲れないのです、あの方は。
どこまでいっても疲れず仕事をしておられます。
精力的に、天上界に帰って来ても、おやりになっておられます。
我々が、こんなことまでするのかと思うような仕事まで、ご自分から率先されておやりになるのが、それが、エル・ランティという方なのです。
あなた方の中で、高橋信次と言ったほうがピンとくるのかもしれない。
でも、私たちの中では、意識体としてはエル・ランティなのです。
エル・ランティという方はそういう方なのですよ。
それは、今の仕事を少しも、その使命だとか、重圧だとか、義務だとかではない、ほんとうにもう、ご自分の命そのものが、その人類に対して救っていく、それがもう、楽しくて楽しくてたまらない。
それがあの方のお仕事であり、愛の究極の姿であり、生きる喜びであるからこそ、あれだけ不滅のエネルギーというものを放ちながら、あれだけの偉大なる仕事を、次から次へとなさっておられる。
それゆえに、多くの天上界の諸霊たちの尊敬というか、敬意というものを受けるものをご本人がお持ちなのであると、私は思うのです。
そのような喜びというものを、あなた方は高橋信次という方を身近で知られて、あの方の個性というものを知ることができた、ひじょうに数少ない幸せな方がたなのです。
高橋信次がやられたという八正道だけをまねるのではなくてね、あの方の個性そのもの、学んでください。
疲れを知らず、人類を救うことに、ただただ喜びをもって、嬉々としていつも仕事をしておられる。
それが、エル・ランティです。
神の仕事とは、あのようにしてやるものであるということ。
それを、あなた方はぜひ学んでいただきたいのです。
エル・ランティのそのお姿そのものが、神の子としての、見習うべきその模範的な姿そのものであるということ。
あなた方が高橋信次の弟子であると、もし心の中で思うのならば、その姿をまねて、あなた方の命を、あなた方の個性を通して、少しでもエル・ランティのように、人類のために、神の愛に報いるために、喜びをもって仕事をしていく。
愛を、不滅の愛を周りに発散して生きていく。
そのような姿を見習っていく。
それであってこそ高橋信次の弟子であったと、高橋信次を師であったと呼ぶ資格があるのではないかと、わたくしはそう思うのです。
だから、あなた方の中に、どうか今世の法というもの、数々のことが最終段階としてこの地球系神理を統合するために、ひじょうに難しい高度なものが次から次へと降りております。
だから、ひじょうに難しいこともあるかもしれない。
でも、一つひとつ私たちの世界では、順番に降ろしておりますから、ひとつたりといえども、なくってよかったものなどないということを考えて、一つひとつを学んでいただきたいと思います。
そして、どうか、私たちの言葉を聴いた者として、ご自分たちの使命の中において、できたら、難行苦行ではなくてね、この人にも言ってるんですよ、
「難行苦行じゃなくてね、喜びをもって、命を輝かして、この人生、今世を喜びをもって、感謝をもって、あとですばらしい思い出として語り合うことができるような、そんな人生としてできるような、そういう仕事を、残されたこの時の中で、刻んで生きてきてほしい。
そして、私たちの世界に帰って来てほしい」。
そしたら私たちは、拍手をもってあなた方を迎え入れようと、そういうふうにみんな待っているのだと、そのために、どうか私たちの手足として、頑張っていただきたいということを、天上界の諸霊一丸としてみんなあなた方に対して、そういう願いを持っているんだということをお伝えします。
多少長くなりました。
男女の法から超えたことまで話しました。
でも、これが今のわたくしの気持ちです。
私は次、芸術論でも出ますからね。
「マヌだらけになったら困る」とか、さっき言ってましたけど、どんどんマヌでいきましょう。
私も遠慮はしません。
でも、これはね、君たちのリクエストあってのことなんだよ。
なければ、出られないから。
リクエストをしてください。
そうすると、日蓮あたりが一生懸命調整をして、マヌを何回出そうか、いや次誰を出そうかと、一生懸命苦労しておりますので、リクエストがあれば出ましょう。
でも、たまにはこういう陽気な法もあっていいんじゃないかなと、私は思うので、ここんとこちょっとシビアなのが続いてますからね。
ですから、またお呼びください。
そしたら私はいつでも喜んでいきましょう。
では、今日はこれにて失礼いたします。
~マヌ~