最高の再興へさぁ行こう cocoro通信 -3ページ目

最高の再興へさぁ行こう cocoro通信

石巻を中心に被災地支援活動をする cocoroのブログ。
髪を切ったり ライブしたり 物資支援したり 酒飲んだり 様々な偶然と縁で突き進み 夢はボランティアとしてではなく ただの酒好きドンチャン騒ぎ好きのバカとして 石巻の人たちと酒を飲むこと!

 
  
 
 旧約聖書だっけ?「ノアの箱舟」の話。

ノアは 洪水が来る!!

世界が呑み込まれるほどの大洪水が来る!!叫び続ける。

でも 誰も耳を貸さずに享楽的な世界は何も考えない。

やがて・・・止むことのない雨 襲いかかる洪水・・...

ノアが作った箱舟に乗り込んだ家族と

すべてつがいの動物たちだけが難を逃れ、

生き残り 再び世界に満ちて行った・・



似てない??

ノアっていたのかもね。本当に。

これ俺の妄想ね。

ノアの一族には口伝があった。

 「1000年に1度 10000年に一度 

 必ず世界を覆う大洪水があり 災害があり

 それに備えよって。」

ノアの一族は 代々それを叫び続け 初代 2代、3代目くらいまでは 

 周りにも賛同し 共に備え叫ぶ人も仲間もいた。

でも その仲間はやがて減り やがて忘れられ 

 1000年がたち 叫ぶのは ノアだけになっていた。。

そればかりか、叫び続けるノアの一族 またノアは

「変わり者の一族・末裔」扱いをされていく・・




今 東北に 現代のノアと呼べる人たちがいます

 

箱舟の舳先と言える場所なのかな・・

大切な家族を失い

失意の中 様々な活動や叫びを起こし

社会に訴え 想い届かなくても

今も この悲劇を語り 知ってもらい

二度とこのような悲劇が起きないように

伝え続けている

七十七銀行のご遺族 田村さん達。


七十七銀行は

 
 
この写真の真ん中あたりにありました。

震災発災時

多くの人々 他の会社の方々が

この写真を撮った 堀切山・女川地域医療センターの高台に

駆け上がる中

銀行の指示で 「屋上避難」を余儀なくされ

屋上に上った全員が流され

12名の方がお亡くなりになった。

いまだ還らぬ行方不明者の方もいる。


ご遺族の方に2年位前だったかな 去年かな?

一度 銀行跡地でお会いして

お話を伺ったことがある。


正直に書きます。

ご遺族の方は この事故を裁判に訴えるために準備をしていました。

署名を集めてらっしゃいました。

お話の中で

「このリアス式海岸の形状では 津波は

想定外の高さに遡上することは

容易に考えられ・・」

と仰っていました。


でも 僕には その訴えには

「無理がある・・」そう思いました。

何故なら 20mを越える高さ

 
 
この高さを越える津波なんて

映画の世界 SFの世界の話だと思った。

2011年を経験した俺らは

今は、その高さまで 津波は来るんだと

現実を見て知ったけど

20011年以前の日本人の

誰が こんな高さの津波が来るなんて

13mの高さのビルの屋上が

セイフティーゾーンじゃないなんて

誰が想像できた??

そう思った。

正直に・・・


でも・・何かが引っ掛かり

今年の初めに 明治・昭和の南三陸の

大津波に関する 昔のルポや記事を調べて読んだ。


すると・・

20m超えの
津波は来ていた。

過去に何度も
何度も来ていた。

宮城県の正式な
調査報告にも
その記録はあった。



そう・・

僕ら日本人は
津波の遡上高さが 
こんなになることを
過去に経験して 
知っていた。



それなのに 震災以前の

女川 七十七銀行周辺の浸水予想高は

5.3~5.9m

低すぎるだろう!!

ましてや この数字があるにもかかわらず

銀行側は 浸水高を1~2mと 
より低く見積もり
災害マニュアルを策定していた。


裁判で裁判長は

「屋上を超えるような20メートル近い巨大津波を予見することは
困難であり、屋上へ避難するという
支店長の判断が不適切だったとはいえない」

ラジオでこの判決を聞いたの覚えている。。。。

違う!予見できてたんはずなんだよね。

知っていたはずねんだ。

銀行が知らなくても

建築確認や防災指針を作る

行政側は 知っていたんだ。

経験していたんだから。


でも じゃぁ何故こんな悲劇に?

それは 前回の記事の様に

想いが 言葉になり 
言葉はやがて文字になり
形骸化していった・・


本当はモニュメントじゃない

「人のチカラ」で
伝えなくっちゃいけなんだよね


モニュメントも大切

でも それを語り継いで

訴え続け

叫び続ける人々がいなくちゃ

同じことが繰り返される・・・
 

日航ジャンボ機の事故のご遺族は30年伝え続けた。

空の安全を 会社の在り様を。

 大川小のご遺族も4年半叫び続けている。

そして 七十七銀行のご遺族の田村さんたちも・・


おそらく舌筆に尽くしがたい想いもあったはずだ。

非難も 無理解もあるだろう・・

ノアの様に 好奇な目 冷たい視線もあるだろう・・

でも・・

伝え続ける・・
 
悲しみを 無駄にしないために

失われた命を 1000年生かすために

叫んでる。


田村さん達は
僕らの心の中に
箱舟を作り続けてくれている。

僕らは それに乗り込むか否か・・
それは 僕らの課題なんだ。

今回の祈りプロジェクト
このイベントの発想って
実は、この七十七銀行の事故も
僕の中で大きく影響しているんだ。

箱舟を無駄にしないために。

 

「あれから時は 流れ 街も変わった・・

 俺たちは何を伝えたんだろう・・

 祈りはいつでも届かず 時代は変わるのさ・・・

 風よ激しく 雨よ冷たく 怒りを忘れはしない。

 悲しみは昨日へ 微笑み取り戻せ

 誓いの鐘をならせ 傷みを忘れるな

 希望の歌を胸に

 叩き壊せ 冷めた心を 憧れ取り戻して

 一人誰にも言えず どこにも行けぬ

 臆病な涙を捨てて

 you can change your mind

 幻想の未来に向かって 彷徨いながら

 時代を突き抜けろ 

 あの闇の向こうに 夢がきっとあるはず」


 

この石碑は 東日本大震災の津波に関する石碑です。

甚大な被害を受けた、女川町にあります。

この石碑を作ったのは 女川中学校の卒業生有志。

ここに書いてあるのは

 
 
「千年後の命を守るために」

この場所は 女川の津波被害の

ある意味、象徴的な高台

女川市民病院の脇にあります。

ここは 津波襲来時

 

手前の海・・

車が浮いています・・・

この場所、本当は

 
 
この高さがあります。

車の大きさで想像できるかな?

ここが全て津波に呑み込まれ この高さすべてが

水で埋まりました・・

車の後ろの建物は・・

 
 
引き波で、横倒しになったビル

盛り上がった海の写真には写ってないでしょ?

この高さのビルをすっぽり 飲み込みました。

津波の威力の象徴だったけど

今はもう解体されて無くなってます。

 

これが現在。

砕けたコンクリートが痕跡だね。

女川はいま 街の整備が進んでいます

駅も出来て
 

工事も急ピッチで進み

 



 
 
 
 
 駅からまっすぐに伸びる 目抜き通りも整備されてきています。

もう何度通ったか分からないくらい 足を運んだ女川・・

道が整備され 最初に来た時と ものすごい勢いで

様変わりしている。



きっと・・有史以来 女川はこの

破壊と再生

何度も繰り返してきたんだろうね。

その度 

人は海を恐れ それでも海と生きてきた

長渕剛がね 震災当時

憎い
憎い
私は 自然が憎い
憎い 憎い 私は 海が憎い
たわむれ 優しく 大きく 父のような海だったのに
恐くて憎くて たまらない 許せない 絶対に許さない
こんなに あなたを 愛して 生きてきたのに
なぜ 海よ あなたは 私たちを壊す?
なぜ 何もかも奪い去る?
なぜ こんなにひどい事をする?・・・(後略)」

こういう詩を詠んだ。

俺は違和感をすぐに感じた。

果たしてこうなんだろうか?

確かに憎いだろう 確かに戦い挑み

自然の猛威 脅威に 人間は打ち勝つ力を

持つだろう・・

でも・・

「女川に生きてきた人たち」はこう思うのかな?

そう思ってた。

その答えが あった。
 
 
これ見て 泣けた。

そう 

今までも海と生きてきたんだ

これからも海と生きていくんだ

それでも海と生きるんだ。


だからこそ 

伝えていかなくちゃ

いけないんだよ



過去に 女川には何度も津波があり


その度に戒めの

石碑が生まれてきた


 

刻まれた「文字」
 
大地震の後には津波が来る・・・

これは 女川の出島という島にある 昭和の大地震の津波の

戒めの石碑。

ここは お世話になってるハルタクの阿部さんの

ご実家のそば・・

阿部さんのお母さんは 津波に呑まれ お亡くなりになった。

そうなんだよ

石碑があって 裏に高台もあった

でも・・





この石碑

 

 
 
 
刻んだ

「想い」は、いつしか

「言葉」から

「文字」へ変わり

やがて形骸化して

いくだろう・・



残念ながら それは世界中で繰り返されてきた歴史が証明している。

でも 俺らはこの時代に生きている「運命」を授かった。

何度も繰り返されてきては 

何度も潰えてしまってきた

「千年の祈り」

その結果が この悲劇だ。

それでも俺らは また千年の祈りを刻み始める。

千年の歴史の 

その最初のページを今書いているんだ



たった4年半だよ まだ。

この想いを 千年後につなぐかどうかは

俺たちにかかっている。


そう

伝えるのは

物言わぬ

「石碑」の仕事じゃない。

刻まれた

「文字」を 

「言葉」にして 

「想い」にして

人のチカラで 

繋いでいかなくちゃ

いけないんだ。

終わりなき

メッセージとして。

 
 


 
 
 

 
  
  
 


僕らは10月11日 石巻市日和山公園・鹿島御児神社さんの

境内をお借りして 震災から4年半が過ぎてなお

「海に空に大地に眠る魂へ  そしてそれを今も探し 呼び続ける想いへ」

祈りを届けようというイベント

「祈りプロジェクト」を企画・準備しています。

僕らは グループとしては脆弱かもしれない

でも すごく素敵なメンバーや人々に支えられています。


で 祈りプロジェクトの翌日は

 

恒例 石巻市糠塚前仮設住宅でのイベント

第二回 芋煮会&餅つき大会



その糠塚前の仮設住宅を取りまとめる

自治会長の阿部さん

 


その阿部さんとは 本当に紆余曲折もありました・・

前回記事で http://ameblo.jp/yoshiken1210/entry-12075496465.html

最初の頃を書いて


2回目のクリスマス会の準備をしている時・・

「小俣さん・・申し訳ないけど・・
       クリスマス会中止にしてもらえないだろうか?」


との連絡が・・

理由は

正直に書くね。

仮設住宅は様々な人がいます。

簡単に言えば 自治会活動に積極的な人と 消極的な人

もっと言えば 「無関心な人」・・

その無関心の人 非協力的な人の多くが

子供を持つ若い世代の親たち。


でも 自治会運営は主に年配者や熟年者・・

自治会が受け取った支援物資や権利は使う。

でも片付けや 活動には参加しない 若い世代・・

その態度に 自治会を主体的に動かす

年配者やもっと大人な世代が怒りはじめ

世代間の溝は生まれ やがて溝は亀裂になり

軋み始めた。

で 

あんな親の子供らの為に 

なんで俺らが体に鞭打って

いろいろやってやんなきゃ

いけないんだ!

と言う声が上がり

僕が子供らと約束した「クリスマス会」もやめてくれ・・

そうなったんです。

ここだけ聞くと 

何て酷い!!

仮設住宅で暮らす人たちは

スクラム組んで みな協力して 苦難を励まし合い

復興を目指しているんじゃないのか??


そう思われる人もいるかもしれない・・


でも

それは こっちの

勝手な決めつけや

思い込みで


よく考えてみてください。

あるでしょ?どこにでもご近所トラブル。

自治会活動内でのいざこざや 問題なんて。

被災地だから 被災者だから 仮設だから

清く正しく肩組んでなんて こっちの押し付けで

住んでる方々は 僕らと同じ

「普通の人」


揉めもするし 肩も組む  

普通の事・・



で 中止を言われた僕が言い放ったのは

「俺には関係ない 大人のいざこざに子供を質にとるような真似は嫌いです。
僕は子供らと約束をしました。たくさん子供たちは避難所とかでも 大人のいろんな姿
背中 見てきて もしかしたら失望してる部分もあるかもしれない。また来るね、っていって
二度と来ない人もいるでしょ?子供たちは待ってるのに・・
ここで僕らがいかなければ 子供らを裏切ることになる。それだけは嫌です。
大人を信じれなくなるような経験はこれ以上させたくないです。
大人のいざこざは僕には関係ない それは大人が向き合って話し合ってください。
僕は勝手にでも クリスマス会やりますから!!」

・・・今思えば、なんと非礼な・・(汗)

かぁ~っときちゃってね・・

で、ごり押しでクリスマス会をやって

帰り際 自治会の役員の方に

「小俣さん・・あれから子供たちの親と話し合ったんですよ。
でね 今回 彼らも協力してくれて。言ってもらえて良かったです
ありがとう」って。

子供の親たちも「またなんかあったら声かけて」と・・

あぁ~良かったってか 本当に失礼な事ばっかですみませんって

お互い笑いあったんだけど・・

でもやっぱり 非礼の極みだね・・


それでも・・・

やっぱり 亀裂はまた深まり

決定的に修復不能になり

そこまで行くと 部外者の僕にはどうすることも出来ず・・・

今は イベントには子供らは来てくれません・・・

残念ですが・・


そんなこともありながらも お互いを理解し合えて

僕らと阿部さん達は

お互いに信頼関係を紡ぎ 笑顔を紡ぎ

今日までやってきました。

本当に どこの馬の骨とも知らぬ 生意気で

勢いだけの僕だけど・・・・


素晴らしいメンバーのおかげで 仮設住宅の方々に

受け入れていただき 一緒にご飯食べ お酒飲んで

笑って 踊って 歌って

続けて偉いねって言っていただけるけど

多分メンバーみんな 続けてるって意識はないんですよ。

それよりも 引きあうチカラ

会いたいと思うチカラ

そこに居続けているのは 

本当は正しいことじゃない

次のステップに

早く進んでいっていただくのが 

本来の姿で

俺らはそんな暮らしの中での

さっと吹く風や

ちょいと差し込む光になれることが

目的。

だからあの場所で

「会い続ける」ことが 

必ずしも喜んでばかりは

いられない事なんだ。


でも・・・・

僕らはおそらく 仮設住宅と言うものがなくなって


ボランティアって枠が消えても

僕らは 行き続けるはずです。

あの街のどこかに あの人たちがいてくれて

きっと 会えば笑いあえる そういう・・・

あんま使いたくないけど 解りやすい言葉

「絆」のチカラは 

決して消えないだろうから。
 
 

10月の石巻市日和山公園・鹿島御児神社での

inori~祈り~プロジェクト

いよいよ迫ってきました。

で その翌日は・・

 
 
芋煮会でございます!!!

もう 3年半くらいのお付き合いさせていただいてる

石巻市糠塚前仮設団地自治会のみなさん。

 
  
  
  
  
  
 
 
・・・思い出がいっぱいだね・・

その自治会を取りまとめているのが

本当にこの人がいなかったら 僕らはここまで出来てたんだろうか?

ってくらいの存在

自治会長の 阿部さん

 
 
 
本当にお世話になっております。


出会いは 2012年の2月だったかな?

最初 僕も人見知りで ど緊張してしまうタイプなんで

笑顔ってか 顔がこわばってたんだろうな~

阿部さんの怪訝そうな顔 覚えてるモン・・

そりゃ いきなりどこの馬の骨かわからない奴が

「こちらの仮設で何かやらせていただく事はありますか?」って

今思えば 漠然としすぎだろ!!

で 話をさせていただき 多分いつもの様に

みんなに言われるように 暑っ苦しくしゃべったんだろうな~

覚えてないけど・・・

で 5月にイベントをさせていただく事になり

そこからお付き合いが始まった。

5月 郷土料理作りとJAZZライブ

その終わりに あれはたしか この
 
 さかえちゃんだったな

「あんたら 8月に何かやんなさい!!」って(爆)

なんかって なんだよ!!!???

でも その時に

「七夕」やろうって閃いて

「じゃぁ夏祭り 七夕まつりやります!!」って口走り

 
 
 
 

あぁいう状況下だったから 星に願いを 君に願いを・・見たくね。

で そのまた終わりに 今度は子供らから

「次はいつ??」と聞かれ

あっ 言ったのコイツね

 
 
アホのユウキ。

コイツが そう言うもんだから またまた俺が

「・・・ん~と  クリスマス会やるぞ!!」

・・・また口走る・・

流石に 阿部自治会長が 慌てて

「!!いいんですか??大丈夫??」

ほら 俺ら予算無く活動してるの知ってるから・・

でも 約束したことは 守らなきゃと

資金集めや準備を始める。

まぁ 僕らの活動は要するに

僕の不用意・思いつき発言で 回り続けていたようなモンで(汗)


そして クリスマス会をして

翌年は また夏祭りと

大人や子供たちと共に

糠塚前仮設住宅でのイベント開催を軸に

僕らは活動してきました。

でも・・・

2回目のクリスマス会を前に

阿部自治会長から電話

「小俣さん・・申し訳ないけど・・クリスマス会・・中止にしてもらえないだろうか?」

との連絡が・・・

その理由は・・・


続く。
 

 
 


10月がいよいよ近づいてきました。

たくさんの方々の支えで 僕らは石巻に行かせていただいてます。

そして 石巻でもまたたくさんの方々に支えていただいてます。

そんな魅力的な 大好きな

大将

要寿司 大将・石森さん!!!

 

寡黙な 頑固一徹 

握る鮨に 魂込める・・・


 


あっ 最初の「寡黙な」は 

間違い!!!(爆)

大間違い!!!


も~楽しい会話 笑顔がキュートな大将!!


出会いは 楽天が初優勝した まさにあの夜の

僕らの根城 石巻のHOME ダイニングバー・GINGA。

たしかライブ後の打ち上げで 酔った大将が

楽天の優勝についてと 鯛だかなんかの魚のさばき方を

交互に話すっていう 意味不明なスピーチ

指先は不思議な動き・・今思えば 鮨を握る動き!!

そう!!

Air  Sushi!!!!


それから 意気投合させていただいて

ライブには 可能な限り顔出してくださり

手土産に桶寿司の差し入れとか(イエイ!!)

ライブこれない時でも「わりーな 仕事でいけねぇ~」と

気にかけていただいてて

大将は無類の音楽好き!!

それと今回の弾丸石巻で判明した

愛葉さんの
ファン!!





大将には 本当にかわいがっていただいてて

いつだか 一人弾丸石巻で市内をウロチョロしてたら

僕がいるのを知って

「今夜 一席設けるから飲もう!!」と電話くれて

何軒はしごしたかな~

確か バルみたいなとこに入ってワインを飲んでた時

すでにお互い酔っ払いで

大将が「飲め ばかやろ~!!」っていったから

僕  「飲んでるわ!うっせ~ジジィ!!」って

大将の頭を バチコ~ンって叩いた記憶が・・あるような・・ないような・・

で その後たしか

「次 ○○行きましょう!!」

「おう!!」

っていって 店出たら お互い違う店に行ってしまい

自然解散・・・どんだけ酔ってんだ!!??


お店に顔出せば 美人の娘さんお二人にも

「あぁ~!いらっしゃ~い!!」と言うや否や

やれ 寿司だ やれウニだ 本当のホヤの味教えてやるだの

ビールだ なんだと  皆さんに良くしていただいてる。

 
 
でもね・・バカな話ばっかしてても

ふっと真面目な話をお互いすんの。

本当に 短く 一言二言ね。


いつだか 車で駅まで送ってもらった時

「最初の頃 必死だったろ?俺もだけどあんま覚えてなかったけど
最近 あぁ そういえばこんなのあったな こうだったなって思い出すんだよ。
必死だったからな~」

と ぽつり・・


僕らの仮設とかでの活動は見たことないのに

僕らにいつも「ありがとう」と言ってくれる。

はにかんだ笑顔で 話しかけてくれて

「おい 最近ライブやんね~のかよ!!」

常に期待してくれる。

優しい 優しい 大好きな大将。

ちなみに 要寿司ってぐらいだから

大将の名前が 要 だと思うでしょ??

さにあらず!!

要は お父さんの名前!!

このエピソードだけでも 大将の温かさがわかってもらえるかな??


ボランティア・・本当に便宜上 解りやすい言葉だから

自分たちをそう呼んでしまうけど

多分 メンバー全員がそうではない想いを持っています。

それは「あの人に会いたい」

人が 人を想い 人と人を繋ぐ

目には見えない 

でも物凄く強い

チカラ

それに導かれ 支えられ 励まされ

僕らは 石巻に向かっています。


 
 

チャリンコ de ゴーの その3でもある 今回の

人のチカラは

この漢(おとこ)!!!

 

いつでも サイドバックリーゼント!!

渋くそれでいて甘い歌声

男気溢れる 音楽大好きな

頼れる漢!!

阿部さん!!!

先週 チャリンコdeゴーで 会社に伺ったら

お留守で会えなかった・・

勝手に会社侵入して 

勝手にポスターおいてきて すみませんでした・・

阿部さんには 当初から仮設やバーなどでの音響やカラオケ 時には車両まで

本当に 陰に日向に助けてもらっています。

この音響も
 

この音響も 
 

この音響も
 

この音響も
 
 
 
このカラオケ歌ってんのも
 

みんな阿部さんのおかげ!!

4月には BBQまでご用意いただいて(感謝)
 



出会いは 初めて行った石巻の夜

2011年4月・・

震災後 初ともいわれる

有料でのお店でのライブ。

僕は半分疲れで 立ったまま寝てる状態・・

ライブ終了したの 何時だったのかな?

もう そういう概念もない様なある意味異様なテンションの日。

ライブ終了後

阿部さん「飯食ったのか?」

僕ら 「いえ・・まだです」

阿部さん「そうか ちょっと待ってろ!」


それから どんくらい時間すぎたかな~

阿部さんが戻ってきた。

綺麗な 

本当にキレイな、おむすび

温かい味噌汁

そしてカツオの刺身

いっっっぱい お盆に乗せて。



「食ってくれ!!」 阿部さん、

「いえ・・そんな・・いただけません・・」僕ら

「いや 食ってくれ!!これしか俺らにゃ出来ねぇんだ、食ってくれ!」

その刺身の旨いこと・・・

おにぎりの旨いこと・・

味噌汁の味・・

マジに今もって人生最高の
カツオの刺身の味だ!!!


そんなやり取りから 関係は始まりました。



僕の中には 幾つかこの活動を続けていけてる

「ガソリン」があって


この夜の 一宿一飯の恩義じゃないけど

この「飯」への 感謝は

本当に死ぬまで忘れないと思うくらいの

僕のガソリンになってるんです。

この恩義は なんとしてでも返さなくちゃって。


ンなこと言いながら

恩義還すどころか 上記の様に

音響お願いしまぁ~す!!だの

カラオケ貸してくださ~い!!だの

甘えっぱなし(涙)

すんません・・・本当に・・・

優しくてね~ 本当に面倒見が良くて

そこにおんぶに抱っこに 高い高いまでしてもらいながら(汗)

僕らは こういった素敵で 素晴らしい「人のチカラ」に支えられながら

石巻で活動しています。

10月も仮設では 阿部さんのカラオケで 

皆さんと楽しい時間を作らせていただきます!!

 

日和山から見える

門脇・南浜地区・・

空き地には緑が誇るように広がり

道路が新しくなり

工事の槌音が響き

大型クレーンがキリンの首の様に

動き回り

工事の人の声、誘導の警笛の音が風に乗って耳に届く・・

初めて行った 2011年4月の日和山・・

そこは

「無音の街」だった。

ただただ 車 家屋 船 大型タンク・・すべてが形を亡くして

あるはずない場所に 様々なものが積み重なり

焼けただれ 濡れ 朽ち 灰色の世界・・

遺体だってあの頃はそのままだった・・

生きる人の聞こえるはずはないけど でも今も

この世界中に満ちてるはずの「心臓の鼓動」の音も

「血液の通う、流れる音」も消えた

音の無い街・・

だから ここで音楽を奏でたいと思った。

日和山から決して消えない音を放ちたかった・・

それが2011年の日和山ライブのきっかけだった。


今は 様々な音に満ちた日和山からの景色。

大学生グループが来た。

「わ~いい景色ぃ~」

背伸びをする女の子

笑いながら 見下ろす街を背景にピースサインする男の子に

「それ あかんやろ!」と笑いながら突っ込む仲間たち。。。

どんな風に見て 感じたかな?

4年半・・過ぎたんだね。

それから 神社の近所のお宅を回り

イベント開催の挨拶と 音が出る事の説明をして

あるお宅で

「あなたが初めてですよ~こうして挨拶していただけたの~
 いや 内容はイマイチわからないけど(苦笑い)
 とにかく ありがとうございました。何かあればご協力しますよ」

そう言っていただけて やはり回って良かった~と。

人見知りなんで お宅の前まで3回いって

やっとピンポン押せたのだ(汗)


で、

日和山を下りて

石巻で老舗の楽器店 「サルコヤ」さんに

ポスターのお願い。

「絆の駅」っていう アイトピアにある震災資料館的なとこにも

子供が集まる「石巻子供センターらいつ」に伺い

様々なお店が集まる 屋台村的な新しくできた

橋通りコモン https://www.facebook.com/hashidori.common

っていう 以前 復興商店街マルシェってのがあったんだけど

そこが閉鎖になり 新たに始まった 商業施設。

そこにもお願いしたり・・

朝も 早くから動き回り始めました。

でぇ~

さて・・

いよいよコイツに乗る時が来た・・

ここからは長距離移動!!

車は贅沢!!(涙)

ならば これしかない!!

ホワイトスネイク号!!
見参!!


 
 
コイツ・・

ペダルが軽すぎて 
踏み込んで
結構必死に漕いでも
進みゃぁ~しない(泣)
これが今回の 愛車です・・・とほほ・・
でも
人のチカラ(脚力)

みせてやろう

じゃね~か!!!


続く。
 

9月15日

夜行日帰り もう慣れっこ!!

弾丸石巻 行ってきました!!

新宿を23:30発

石巻に6:40着・・・

ここからが一番の問題・・・

なんせ、

石巻駅周辺

朝は

何にもない!!!



震災以前から いわゆる「シャッター商店街」

震災後も加速度的に シャッター化が進む・・


でも!!!

これを「復興の胎動」とは言えないけど

最近は店も出来てきて

それも結構オシャレで

店主の「意志」がしっかり

ある店が出来てきた!!


今 石巻はオモシロくなる

予感に満ちているぞ!!



で、

ついに駅近くに

ファミマが出来て そこに

テーブルと椅子 

電源コンセントがある場所が誕生した!!!

うぉぉぉぉ~!!!!

やったぁ~!!!

居場所が出来たぁ~!!!

いや いつも弾丸石巻の時は 

僕らのオアシス「ダイニングバーGINGA」の2階を借りて

朝着いたら GINGAにいって仮眠させてもらったり 

朝ごはんまで用意してくれていたり・・(ママありがと~)

時間を調整できる場所があるんだけど

GINGAは

「火曜日定休日」

そう・・昨日は火曜日(涙)

いや 多分お願いすれば 使えるようにしてくれるのは

分かってるんだけど 店休日にママに負担かけたくないじゃん。

だから 今回は 「どっかで暇つぶす!!」覚悟で駅に降り立ち

朝飯どうすっかな~

漁港まで4キロくらいか・・歩くのめんどいな・・お金節約しないとだから

タクシー乗れないし・・

モスバーガー・・徒歩じゃ・・行けっけど・・

また戻ってくんのダルい・・・

さて・・どうすっか・・と思案してたら

ん??ファミマかぁ~

ちと寄るか・・

で 最初の

うおぉぉぉぉ~!!!!!に戻る・・

そう!!

椅子にテーブル 電源まで!!

それにコンビニだから

コピー機も 文房具も トイレも

食べ物 飲み物も買える!!

ここは「cocoroオフィス」じゃないか~~~!!と

隣の隣で おでん食べながら寝てるおっさんをしり目に

 

ポスターや チラシを どこに何枚依頼するか

場所の確認や 枚数の確認作業を始める。

いや~助かる!!

快適!!

店員さんの対応もスマート!!

途中 知らないおっさんに

プロ野球 元中日の立浪について話しかけられつつ(謎)

作業開始!!

で 整理し終わり 時間は・・・

まだ8時・・・


え~い!!いいや 動きだそう!!

と 今回は節約旅なのでレンタカーはあきらめ

レンタ自転車を・・・

営業時間9:00からやん!!(涙)

いいよ!!歩く!!

ってんで まずは 石巻の夜の〆に必ず行く

ショットバー・Bug

 
 
・・・怪しい雰囲気・・・

ここのマスター・ユウスケさん!!
 
 
優しいんだわ 本当に・・・

別に書くかもだけど 昨夜石巻から帰ってきたら

メールがあって 今の僕の「苦悩」を分かってくれてて

救ってくれるメールが すって届いた・・

凄く 救われ 凄く気合が入るメール。

いつもありがとう ユウスケさん!!


で、ご覧の様にBugはど~見ても夜の店

で 今は朝8:00・・

勝手知ったるナンたらで Bugのドアの隙間から

ポスターを差し込み Bugへの依頼終了!!(なんて適当な!!??)

でも すぐに夜貼ってくれて
 

歴代ポスターたちと新たな歴史!!

それから GINGAのポストにチラシやポスターを入れて

日和山を目指します・・

日和山・鹿島御児神社

 
 
この鳥居の下が 今回のステージ。

海と空 そして大地を見渡せる場所。

神社さんに挨拶とポスターの依頼、そして

愛葉さんが巫女舞をご奉納されるご拝殿を見させていただき

軽く打合せて

その公園のしたにある

工房かざみどりさん

 
で コーヒー飲みながら

シュークリーム食べて
 


なぜか腱鞘炎の話で盛り上がり(汗)

10月11日の打合せして

山を下りました。

つづく・・


 

 
 



僕らは10月11日 石巻市日和山公園・鹿島御児神社さんの

境内をお借りして 震災から4年半が過ぎてなお

「海に空に大地に眠る魂へ  そしてそれを今も探し 呼び続ける想いへ」

祈りを届けようというイベント

「祈りプロジェクト」を企画・準備しています。

僕らは グループとしては脆弱かもしれない

でも すごく素敵なメンバーや人々に支えられています。


この方もその一人・・

工房かざみどりの

鴬出さん親子。
 

お店は
 
 
出会いは2011年

初めて行った石巻

帰り際 「被災地を目に焼き付けてくれ」

そう言われて 最後に言った日和山で。

鴬出さんのお母さんは 涙ながらに「あの日」の事を話してくれました。

津波に襲来から 夜 聞こえる叫び声 呼びかける声

津波と 燃え盛る南浜の街・・・

やがて間遠になる 助けを求める声・・

「是非またいらしてください」そう言われ

本当にそれから あの年はほぼ毎月行ってたな~。

それからのご縁で 前回の日和山ライブでは

サブステージ的に かざみどりでもライブをさせてもらい

 

本当にご縁を結ばせていただいてます。


行くたび 今の現状を話してくださり

時には 僕の言うに言えない愚痴や弱気に

お母さんが励ましてくれたり

鴬出さんが 笑いかけてくれたり・・

何度か 本当に救われたよな~・・・しみじみ・・



僕らメンバーは かざみどりさんに行く理由は

もう一つありまして、それは

絶品シュークリームがあるから!!!

 


これはマジにヤバい!!!

旨いってレベルを越えて 本気で薦められる一品!!

石巻に行って これを食べなきゃ帰るに帰れないって皆が言うほど。

そんなかざみどりの鴬出さんには

今回の祈りプロジェクトにも ご協力いただき

控室として お店の一部をお借りさせていただけることになり

またお昼ご飯「石巻焼きそば」をご提供いただけることになりました~!


僕らの今までが 石巻や 街の人たちへの何かになったのかは

分からない。

でも こうしてお力添えを頂ける・・

本当にありがたいことだよね。

僕らはこうして たくさんの人のチカラに支えられて

走り続けています!!


さぁ 10月まで もう少しだ!!

cocoroオフィシャルサイト
http://cocoro-ishinomaki.jimdo.com/

 


 


 
 

10月11日 石巻市 日和山公園・鹿島御神社での

「祈りプロジェクト」のイベント。

僕らは ボランティアという立ち位置のグループだけど

多分 その力は 最弱と言っていいほどのグループ・・

あっ 資金的にね

でもさぁ 実は、ふふふ 自称:最強なんだよな~(^^)

それは 「出会いの神様」に守られてるから!

縁も所縁もないような石巻で これだけ継続して活動出来てるのは

一つには 俺と同じように 銭金・星勘定そっちのけの 

愛すべき仲間がいるから。

そして こんな微力な僕らを物心両面で支えてくださる 

「称賛なき英雄」の たくさんの方々がいるから。

そして・・現地石巻で 僕らを支えてくださる方々がいてくれるのさ

もう 最強だよ!!

俺自体は音楽素人

でもメンバーの半分はミュージシャン。

そうなれば音楽と言う活動が大きな要素になるのは自然な事。

でも 確かにアコギ一本で歌うのも悪くないけど

音響設備があれば、なおヨシ!!

でもさ それこそ震災当初 そんな業者なんてツテもないし

あの状況下で出来るはずもない・・

でも・・俺たちは出来た!!

最初の日和山ライブ!

 
 

この音響をしていただいたのが

今回の「祈りプロジェクト」でもお願いする

武山さん

 
 
本当に武山さんにゃ お世話になって 迷惑かけて・・

あっ もうすぐ誕生日だ!

去年はみんなでお祝いしたね~。



僕らのグループ内で 以前物凄い

「事件」って言っていいことがあった。

武山さんを巻き込んでしまった。

石巻の人たちが「今を生きるのに精一杯なのに なんなんだ!」と

叱責もされた・・

当事者同士でラチがあかず

僕もその中に入り仲裁しようとしたけど

結局 僕らは一度信用を無くし

グループも壊れかけた・・


僕は 武山さんに謝罪に行った。

怒ってるんだろうな・・

そりゃそうだよな・・

こんなことになって・・

あわす顔無い・・

でも 筋を違えたことしたケツはしっかり拭かなくちゃ・・


武山さんのお宅へ行った。

玄関で

「おぉ~ケンちゃん!・・二階に行こう!」

そう言うなり 武山さんは2階に・・

2階には リスニングルームがあって

一度以前 そこで音楽を聴かせてもらったことがある。

とことこ2階に上がり

リスニングルームに通され

一番いい椅子に座るよう促され

武山さんは、電気を消して 大音響でJAZZのライブ盤を流し始めた。

30分ぐらいかな 無言で2人で聴いていた。

最初は 謝罪の言葉の切り出しばかり気になっていた。

でも 音に包まれながら 次第に音楽へ没頭していた。

ライブ盤だから 曲の合間に観客の歓声や嬌声が聴こえる。

演者もノリノリ お客もノリノリ


やがて CDが終わり 沈黙・・

武山さんがポツリと

「音楽っていいよな ケンちゃん」

そう呟いたら もう俺号泣して ただただ謝って

何言ったか覚えてないけど

とにかく謝った。

それからどうしたんだっけ?

記憶ないけど 多分ご飯食べて帰ったんだろうな・・

武山さんは いつでも僕らをハグで迎えてくれて

時間が合えば 一緒に飲んで騒いで

今回も 仕切りが素人な僕でも

音響の準備をしてくれている。

ミュージシャンのメンバーがいて

現地で音響のプロに出会う・・

出会いの不思議だよね。

こうした 

人のチカラに支えられて 

10月の「祈りプロジェクト」は

動いているんです。