私の祖母はとにかく変わった人だった。
慈悲の鬼と仏を持ってるような方だった。
お坊さんというよりは、完全な行者のような拝む方だった。
ずっと、頼まれない限りは葬式はするな!人の悩みを聞いて人の為に拝む事を生前に大切にするように私に言っていた。
とにかく何をするも豪快な方だった。
歳をとられてからは、通力というのは衰えてしまい、なくなってしまっていたが、若い時はとにかく何でも言い当てて何にも考えずにただ信者さんの為に祈られていた。
数多くの奇跡を目の前で見させていただいた。
だから、私は祖母の清らかな心の信仰が好きだったように思う。
そこには、恥もなく、プライドもなく、地位やら名誉もなかった。
本当に世間を何にも気にせずに真っ直ぐな信仰だった。
お布施のほとんどは各仏閣や各神社に奉納されていた。
そんな祖母は私にこんな事を生前いっていた。
拝め、拝め、拝め、と繰り返し言われていた。
当時の私は拝んで何になる?
と思っていたが、拝んでいたら、何かしらんけど導かれる現象が起きる。
だから、今となればおかげさまでその意味がよく分かるようになれた。
私は亡くなってないから、あの世はあるのかもわからん。
が、しかし、こんな事を言ったら変な奴と思われるかもしれんが、この真相が本当か嘘かはわからんが、祖母が大宇宙からの声を聞いた事が一回だけあったという。
生前にもう一度あの声だけは聞きたいと私にずっと言っていたから、きっと本当なんだろうと自分は思っている。
それは、祖母がたくさんの方を救って飛躍される前に起こった事のそうだ。
寝ていたら、神秘的な声が聞こえてきて、声をかけられた。
その時刻は朝の三時頃だったようだ。
その内容は透き通る優しい慈悲の声で祖母の名前を呼ばれて起こされたようだ。
また、身体を横になったまま話しを寝ながら聞いていたら、優しく諭され、しっかり正座をして話を聞くように説かれ、様々な事を10分程教えていただいたと私に言っていた。
神仏に対して話を聞く態度なども優しく説いていただいたと祖母はその時を振り返り呟いていた。
その内容はこれからこのような事が起こるから安心しなさい。とお説きなられたそうだが、それらが本当になった事を私に嬉しそうに言っていた。
そんな祖母だが、私の祖父(祖母の夫)の大病になった時、一生懸命に親様(お不動様)に祈っていたら、いきなりわんわん泣き出しては私達に桜の咲く前に亡くなってしまうという事を伝えはじめたのだ。
だから、私は祖母に対して、
ばあちゃんそれは辞めてくれ。
それは、空耳の可能性もあるし、そんな人の亡くなる事は言ってはいけないから、それはいかんよ。先はわからんやんか!と言った。
が、しかし本当にそのようになってしまった。
そんな祖母は私に生前ずっと言っていたこと、
あなたは大丈夫。大丈夫。
拝め、拝め、拝め。
こんな事しか言ってくれなかったが、
なんだかわからんが、大丈夫になっていく。
難しい局面にぶつかってもするすると抜け出させてくれる。
そんなばあちゃんの遺言に救われてる自分は祖母に感謝しかない。
拝む、すがる、まだ若い時の私はそんなの意味がないやんか!と言っていたが、なんだかそんな自分が一番祖母の言葉に救われているように思ったのだった。
慶祐