今に至る(裏)話 2015年 | ぼくとゲームとももいろクローバーZと奥澤村

今に至る(裏)話 2015年

この年の春から夏にかけて。

ももクロのタブーの一つが解消されたのがこの時期でした。

まあそれについていまさら特に語るものでもないでしょうが。

エコパスタジアムには行けませんでしたが、『東海道中桃栗げ』の中での呟きからの一連の流れは、個人的な思いではありますが、誰もがその道をあきらめながらも探していて、突然示されたわずかな突破口を、その壁を作ってしまった当事者たちも必死で掘り抜いた結果なのではないかと、お花畑な想像ではありますがそうではないかと今でも信じています。

 

さて、その間の3B juniorですが、前年末に決意した通り『少し離れた場所から』それでもちゃんと見守ってはいました。

 

矢島博では実はお目当てだった子の他に、二人名前を覚えた子がいました。

内山あみ。

あの日近くにいたお兄ちゃんが必死に「あみぽん!あみぽん!!」と叫んでいたので覚えてしまいました。家に帰って改めてお写真を拝見して、なるほど中々かわいい子ですね。とは思ったものの、個人的な好みではなく、あくまでその日の思い出の一つでしかありません。

 

そしてもう一人

雨宮かのん。

あの日ステージ上で明らかに一人だけ別格の存在感を示していた。例のお目当ての子の一件が無ければ、普通に雨宮かのん推しとして今3Bjr現場に通っていたのではないかと思います。

 

でも、これがおそらく運命なのでしょう。彼女の魅力、実力を認めながら、そこに足を踏み込む前に少し遠ざかる選択をしてしまった。

 

その年の夏

行けなかったエコパスタジアムの、この時も外周エリアで開催されていたAGOフェス。

そこで行われた3B juniorライブや浅草公会堂で行われたワンマンライブ。それらの動画を見ていて、楽曲に惹かれて繰り返し見ていくうちに、一人の子をいつも目で追うようになって行きました。

その時期にその子の事はちゃんと認識していました。整った顔立ちの子だなとは思いながら、それまで特別視はしていませんでした。

 

9月になり、もはや自分の中では確信に変わっていた感情を、それでも「自分は少し離れた場所から見守ると決めたんだ」と抑えながら、せめて1年はこのスタンスで行こうじゃないか?

そんな自制の気持ちは日々積み重なる思いの前に簡単に決壊してしまいました。

 

『愛来推します。』

 

9月中旬。

40も過ぎて自制もろくにできない、みっともない宣言をしてしまいました。