こんにちは!!



Happy Birthday!!

昨日はBASARAの公演でした。来てくれた方も来れなくても応援してくれた方も本当にありがとうございました。

今日は皆様に少しでもジーザスクライストサムライスターを楽しんで頂ける為に「忠臣蔵」について少し解説してみようと思います。

あらすじ

江戸元禄時代にある事件が勃発します。

江戸城に宮中からの客人の接待役に播州赤穂藩主、浅野内匠頭(アサノタクミノカミ)が任命されます。若い殿様ですね。古いしきたり疎い方なので古参の殿様に色々教えて貰いに行きます。その人が

吉良上野介(キラコウズケノスケ)

です。とてもいい殿様だったと言う噂もあれば意地悪だったと言う噂もありますね。この二人、実は同業者で双方とも領地に塩田を持っていたのですが、瀬戸内の赤穂の塩の方が、三河の吉良の塩より品質が良く、たくさんとれその辺の嫉妬もあり意地悪を続けたという説もあります。
わざと違うことを教えて困ってるのをみて楽しんだり、明日までに畳何十畳用意しろ着ていく服はこれと教えて着ていくと自分以外全員違う服だったり、原因はハッキリされていないのですが、朝廷接待の儀礼を教えてもらうべき吉良さんに賄賂を贈らなくて意地悪されたからだとされていますが、他にも色々あるそうです。
浅野内匠頭はずっと耐えます。

しかし度が過ぎた嫌がらせにとうとう堪忍袋の緒が切れ持っていた短刀で吉良上野介を切りつけます。

これが有名な江戸城、松の廊下です。

元禄14年3月14日江戸城中、折しも京都からの勅使饗応の儀式の最中、接待担当の大名で播州赤穂(兵庫県)五万三千石の殿様、浅野内匠頭が、なんと儀式儀礼を教える先生役の吉良上野介に切りつけたのです。
「この間の遺恨覚えたるか」こう叫んだそうです。
幸か不幸か、吉良上野介は死ぬほどの大事には至らなかったのですが、浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし。喧嘩両成敗の鉄則に反したばかりに、これから1年9ヶ月にかけて一大ドラマが展開することになるのです。

ここで登場するのが、赤穂藩筆頭家老大石内蔵助(オオイシクラノスケ)

殿様の無念を晴らそうと家臣47人と吉良邸に討ち入る計画を立てます。討ち入りまで2年弱。家老の大石内蔵助はあくまでも恩赦特赦によるお家再興を働きかけ続けたのですが、虚しく日が過ぎていきます。家臣達からの仇討ちの督促や想像以上の世論の期待に耐えきれず、ついに内蔵助は決断をすることになります。 

殿の未亡人にも「意気地なし!」呼ばわりされます。しかし、ある日殿の未亡人に手紙が届きます。開くとそこには大石以下47人の連名血判書だったのです。
他にも色々とエピソードがあり、各自バラバラに江戸に潜入するんですが、ある1人が関所で役人に止められるんです。もちろん偽名ですし、商人や浪人のふりを怪しまれます。きつく問い詰めても本名を明かしませんが、役人はそいつの持ってるものに赤穂の家紋を見つけます。役人は全てを感じとりました。

黙って何も言わず関所を通したといいます。そして去っていく後ろ姿に役人は「見事本懐を遂げることを祈っております」と頭を下げます。

元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる総勢四十七名は殿様の命日に討ち入ります。めざすは両国松坂町「吉良屋敷」へ 。
 翌朝4時、まだ暗い。激闘2時間の末、見事、御首を挙げた四十七士は、主君の眠る高輪泉岳寺まで凱旋します。本所松坂町(スカイツリーのそばです)から首もったまま高輪泉岳寺(プリンスホテルの近く)まで行進です。そして殿様のお墓の前に首をお供えします。
幕府の沙汰は「切腹」本来なら処刑です。

武士の本懐を遂げたのは誉れである、というのと処刑なんかしたら江戸庶民で暴動が起きると幕府は考えたのでしょうね。
この快挙に江戸市民はやんやの喝さいをしました。この時代は、ご存知犬公方様の“生類哀れみの令”で庶民はビクビク暮らしており、又、貨幣改鋳という悪政によるインフレにも喘いでいたのです。
この事件は、そういう息詰まり状態を一挙に晴らした一大爽快事だったのです。

翌年2月、大名家(熊本細川家、松山松平家、三河水野家、長門毛利家の四つの下屋敷)にお預けとなっていた全員が名誉ある切腹を命ぜられました。この時点で四十七士は義士とみとめられたのです。 

最後に大石内蔵介の辞世の句です。
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮き世の月に かかる雲なし

こんな感じです。色んな事から引用させて頂きました。自分自身も忠臣蔵をやるのは初めてなのでとても楽しみです!!

ぜひジーザスクライストサムライスター!!お楽しみに!!


ディスグーニー Presents Vol.2 
舞台『ジーザス・クライスト・サムライスター』
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では戦国に戻ります!!