他の事を考えるためにも余白が必要なのでメモして忘れる。そのために。現時点では吐き出す必要がある。


正義とは何かと考える。本当に必要かとも考える。

いろいろな職場をみて、自分の感情の変動も見ながら思った。

人間は感情で正義を捻じ曲げる生き物だと。


愛する者(あるいは尊敬する者)が、違法行為に至らぬ程度の間違いを犯す時、それを見てどうするか。

僕の過去を振り返れば、そんな時サポートする。自分がなかなかの損害を受けるとしてもなんらかの形で支えたいと思った。

なぜか?その人が好きだから。


自分にとって大好きな人が正義を語ったらすんなり入るけど、嫌いな奴が正義を語ったらイラッとするのが人間。

過去に自分がバックもダッシュもできない場面で助けてもらった事がある。その方にとってメリットはない。そんなの普通ならめんどくさいだけ。

でも助けてくれた。

僕も不利益な救助をした事がある、だってその人が好きだから。

老若男女を問わず人はそういう理不尽を実行する生き物だと思うし、そこがまさに人間らしい素晴らしさ(愚かしさ)だと思う。

ヒトラーを暗殺しようとした人、張飛を暗殺しようとした人、多分正義があったと思う。

信頼関係が無い関わりの中で正義の剣を振り回すと失敗する。その正義は届かないし響かない。

反対に信頼関係さえ構築できていればだいたいの不義はさざ波のように消えては現れを繰り返し、、おおかたなんとかなる。


しかしその万能薬たる信頼関係とはなんとめんどくさいものか。当然、コスト(時間、労力、適宜お金)がかかる。それぞれみんな限られた心的資本を振り分けて生きなければならない。みんなの心は原子力で駆動してはいないのだ。エネルギーには限りがある。

周りが好ましい人ばかりならエネルギー消費を最小限に抑えられ、疲れなくてすむ。現実はそうもいかない。

周りには明らかに間違った判断をする他者がいるし、その人からみたら僕も愚か者だろう。


同じ課題をクリアしたのに他者(他の猿)が自分より多く報酬をもらった時、猿は激怒するという。

公正平等は初期設定の正義なのだ。


一方で正義を語る者達の哀れな姿とはなんと哀しいものか。


正義は大事!わかってる。不義はダメ!わかってる。でもそこに「やさしさ」という感情を混ぜた時、必ずしも白と黒で判断できないグレーゾーンがあって、おそらくそのグラデーションこそが人間の良さだと思う。