大相撲の立ち合いに思う。
今日は大相撲の中日8日目。今場所は、貴景勝が横綱になるか!照ノ富士は大関になれるか?カド番の正代、朝乃山の調子はどうだろうか。など期待を持って見ている。中でも目を見張るほど力強さが目立っているのが、大栄翔!!今場所、優勝するのでは・・・などと期待している。そういった状況ですが、大相撲の仕切りについて思うことがあります。スポーツのスタートの合図といえば、陸上であればピストルの音、柔道とか剣道なら審判員の「はじめ!」といったような掛け声で始まる。野球も審判の「プレイボール」という声がある。大相撲を見てみると、力士は土俵の上に上がって蹲踞(そんきょ)の姿勢から、仕切り線に手をついて、東西に分かれる。それを何度か繰り返しているうちに制限時間が来て、東と西に分かれた時、係の人が立ち上がり「時間です」の合図でタオルを渡され、これから勝負だ!と分かる。中央の仕切り線の手前に蹲踞して、相手の呼吸を見ながら、呼吸を整える。行司は軍配を裏返して、両者を見ながら、「見合って」という行事もいれば、「手をついて」という行事もいるし、スタートが明確な合図もない。ただ、力士同志が、この瞬間に呼吸を合わせながら、立ち会うのである。その立ち合いは絶妙である。力負けしないようなスキのないタイミングに両者がぶつかるのである。普通に見慣れていると格別に思うことでもないが、他のスポーツと比べて、スタートが分かりにくいスポーツという点では、不思議なのが立ち合いである。「息が合う」とか「呼吸を合わせる」といった日本伝統の競技だと思いながら見ています。