「裸の王様」、「王様の耳はロバの耳」たちが教えてくれるもの | 浅野嘉久公式ブログ

経営者になると、これはもう王様の世界が拓(ひら)ける。

が、最初から、決して賢い王様の世界は啓(ひら)けない。

だから、皆、一度ならず失敗する。



修業僧の様に清廉だった、あの東芝の土光さんでさえもそうだったという。

今、医学会の頂点に立つ日野原先生も、ある出来事で“覚醒した”、とその著書で言われている…。



“挫折”は自ら招くことが多い…。



私にもチャンスはあった。

しかし、未だに裸の自分にハッとする時がある。

耳の形もロバではないが、おかしい…、中々ポロリとは落ちない……。



医師諸君、時々裸の自分に気が付かず、耳の形も確かめていないんじゃないの???





解説:

裸の王様

ある国に、新しい服が大好きな、お洒落(しゃれ)な王様がいた。 ある日、お城へ仕立屋と称する二人組の男がやってくる。 彼らは何と、馬鹿の眼には見えない、不思議な布地で衣装を作ることができるという。 王様は大喜びし、大金を払い、彼らに新しい衣装を注文した。

彼らはお城の一室を借り、早速、仕事に取り掛かる。

王様が役人を視察に送ると、仕立屋たちが忙しく縫ったり切ったりする所作、即ち、「バカには見えない布地」を使い作る衣装が役人の目には全く見えない。

役人は大いに困惑するが、王様へ自分たちには布地が見えませんでした、と報告する訳には行かない。 そこで、「仕事は順調に進んでおります」と報告した。

その後何度も、視察に行った家来たちは皆、「仕事は順調です」と言う。

とうとう最後には王様が直々に仕事場へ行く。

しかし、「バカには見えない布地」は、王様の目にもさっぱり見えない。

王様はうろたえるが、家来たちに見えた布が自分に見えないなどとは言えず、布地の出来栄えを大声で賞賛した。 周囲の家来たちもそれに調子を合わせる…。

いよいよ、王様の新しい衣装が完成する。

王様はお披露目のパレードを開催し、見えもしない衣装を身にまとい、大通りを行進する。 集まった国民も馬鹿と思われるのを憚(はばか)り、歓呼して王様の衣装を誉めそやす。

そうした中で、沿道に居た一人の小さな子供が、「王様は裸だ!」「王様は裸だよ!」と叫ぶ。 途端に、群衆は騒ぎ始める…、「裸か?」「裸じゃないのか?」…。

ざわめきは広がり、ついに国民の皆が「裸だ!」「王様は、裸だ!」と叫び出す。

それでも、馬鹿な王様のパレードは果てしなく続いて行く…。



王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳は、ギリシア神話の中の一部で、一般にはシャルル・ペローの寓話としても語られている。 子供演劇として演じられることもある。

日本では、劇団四季がこのタイトルでの子供向けミュージカルを上演している。

初演は1965年で、脚本は寺山修司であった。

劇団四季の株式会社化以前、ニッセイ名作劇場として上演されている。

作曲はいずみたく、演出は浅利慶太。

原典では、王の耳がロバの耳に変わってしまったのをいち早く知ることとなった理髪師が、厳しく口止めをされ、秘密を守る苦しさの余り、森の中の葦に向かい、「王様の耳はロバの耳」と叫んでしまう。 すると、葦がその言葉を繰り返し呟く様になり、いつの日かその葦の前を通る人々へ伝わってしまう…、というのが筋である。

四季のミュージカルでは、森の木々が葦に代わりこれを言いつのり、秘密を守りたい王は木々を切り倒すよう命令する。 民衆はこれに反抗して、真実を語るよう王へ迫る。 王と民衆との間で合戦となるも、終いには王が負けて、真実を隠そうとした自身を恥じ、悔いた途端、ロバの耳がポロリと落ちるというハッピーエンドストーリーに仕立てられている。




裸の王様、王様の耳はロバの耳