腹立たしいが、私にはTの兄たちへの信義がある…。 我慢した…。
やがてT(S)が言う…、「半年待って下さい」と………。
半年が経った、
1992年の年の瀬も押し迫る12月になって、彼は「野口」へ加わった。 奇しくも同じ年の同じ月、12月の28日に、浅倉先生の理事長解任議案が満場一致で可決された。
今、Sが幸せなのか、否か、そして彼が目を瞑る人生終焉の瞬間に何を思うか、私には想像が付かない…。 何故、そんな事を言うのか…、そう、もう一つだけ話して置かなくてはならない事があるからだ。
未だつい最近の出来事であるが、私は大所高所に立ち、熟慮を重ねた結果、「野口」存続に係る大騒ぎを惹き起した当の本人と会い、「JM、過去を水に流してくれないか?」「そして、一緒に後進の“教育”を工夫して貰えないだろうか…⁇」、と提案した。
しかし、事もあろうに、
RH(私が「野口」へ引っ張り込んだのだが…)、
AT(彼にも長きに亘り多くの支援をして来た……)らが悪乗りし、
“協力”には浅野の“完全引退”が“必須条件”だ、などと言い出す始末となったのである…。
私「はあ??」「そうなの?」「それ、復讐⁇」「それとも信念???」……。
驚く事に、かの事件(件の大騒ぎ)が勃発した際、「野口」サイドの旗手として闘い、大奮闘したハズのSが、たちまちJMと睦み合い、互いに[Tよ…]、[Jよ…]とエールの交換をし始めたばかりか、到頭終いにはJM&RHに止まらず、ATとまでも相呼応し、声を合わせ、私の“完全引退”のダメ押しまでして来たのである。
何をか言わんや、であろう…。
ここで皆さんに、是非、申し上げて置きたい事がある。
私はSを、他の人間とはハッキリ区別していた。 理由は簡単、彼を“戦友”だと信じていたからである。
Sはきっと「お人好し」なのであろう…。
だが、ここで確り自覚して貰わねばならないのは、煽てられてホイホイと他人と連み、大切な“友情(人)”を溝(どぶ)に捨てる様な言動は、「お人好し」の一字で片付けることなど出来ぬ、大変、深刻な裏切り行為なのだ、と……。
まして、一旦、自分自身が信念に基づいて執った行動の、メリハリを付けぬまま、当の相手と連むなど、決して許されず、変節漢にも悖る恥ずかしい行為である、と……。
医者属・変異種にはその様な人間も多く…、まして彼らは「お人好し」でもないので、更に始末が悪い……。
私、又また、敵を増やしたかな??!
構わない…、私は自分の言葉には責任を持っている。
そして、「野口」からは“完全引退”した。
でも、相変わらず、「野口」の為にお金は作っている…。
こんな処かな……??
さよなら!!!