リストのパラフレーズ考 | 近藤嘉宏オフィシャルブログ「Brillanteな瞬間」Powered by Ameba

リストのパラフレーズ考

「リスト・パラフレーズ」発売から
一ヶ月少々経ちました。
多くの反響、そして好評を頂き
嬉しい限りです。
更に多くの皆さまに
このCDをお聴き頂きたい、
リストのパラフレーズ作品の
密度の高い表現世界を
体感して欲しいとの思いから、
リストのパラフレーズの
存在意義や魅力、そして
僕の考えるパラフレーズにおいての
「あるべき表現」について
書いてみたいと思います。
 

リストはオペラや歌曲、

またオーケストラやヴァイオリンなど
様々な作品を
ピアノのパラフレーズにしています。
その殆どは非常に音数が多く、
至難な指の技術を要求しています。
これまでこれらの作品は
ピアニストが超絶的な物理的技術で
聴き手を驚かせ圧倒する、
そして表面的な分かりやすい
表現で盛り上がって楽しむ、
言わば曲芸的、娯楽的な作品として
アプローチされることが殆どでした。
実際僕もそういった「定説」に
毒されていた一人で
これまで殆ど手を付けていませんでした。
 
しかし数年前、
思いがけなくパラフレーズ作品に
集中的に取り組む機会を得ました。
そして実際に作品に向き合ってみて、
そういった捉え方が
極めてナンセンスで、
寧ろ魅力を貶めているということを
作品から思い知らされたのです。
 
特にオペラのパラフレーズ!
もう何回も言っているかもしれませんが、
僕はオペラオタクでもあり(笑)…
留学中はオペラを毎日
観に行っていたぐらいで…
実際オペラは
舞台上で様々なドタバタや
生々しい人間ドラマ、
激しい感情が交錯します。
けれどそれだけではない。
奥底に潜む様々な思いのひだや
人間(時には神)世界の複雑さ、
更には深い思索性や哲学を
含んでいることもあります。
 
リストの時代は
録音のない時代。
オペラは公演がなければ
楽しむことができない。
けれど大掛かりなものですから
そうそう手軽ではない。
そうした中で
リストが当時の人気のオペラや
自身のお気に入りのオペラを、
その様々な魅力を密度高く詰め込んで、
更にはピアノの持つ
様々な「深い」表現力を加え…
ピアノのパラフレーズにしたのは
とても自然なことですね。
 
リストは単なる娯楽のためだけでなく
様々な深い要素、
例えば細やかな感情のひだや
その揺らめき、複雑さ、
それに深い精神性や哲学性まで
パラフレーズに込めています。
というのも、
少なくとも僕は
そういった要素をこれらの作品で
表現するのは可能だと思いますし、
そうすることによって
より深い感動を与えるものとなると
感じているからです。
「オペラをピアノで
こんな風に華麗に
アレンジしちゃったよ、
面白いでしょ」という作品ではない。
だから演奏者は
「変化とコントラストを
これだけ付けて、
誇張とかしてみたら
カッコよくて盛り上がるでしょ」
ではいけない。
それでは作品の奥底に潜む
深いドラマや心情のひだは
表現できないと強く感じます。
リストが目や耳、心、
いや体中の感覚で
受け止めたオペラ。
その彼の身体を通して
表現されたオペラのパラフレーズ。
至難な技巧は
リストが自身が感じたオペラを
表現する上で必要不可欠だったもので、
結果的にそうなったのだと思います。
そのことは「パルジファル」の
聖杯グラールへの行進曲などを
見れば明らか。
これは非常にシンプルな譜面で
音楽自体が祈りに満ちています。
リストのパラフレーズは
「ソナタロ短調」や「巡礼の年」などと
何ら変わらない音楽世界を
持っていると僕は感じます。
 
ではそのような
細やかで深い表現をすれば、
オペラが持つ
劇としての生々しさはなくなるか?
そんなことはないと思います。
寧ろ音楽の深い部分で流れ出すはず。
ですから聴こえ方の種類は
変わるかもしれません。
間違いないのは、
表現の情報量自体が格段に増える、
ということ。
だからある意味
ドロドロした要素も
より多彩になると
言えるかもしれません。
 
これらのことを考え合わせると、
今回のCD「リスト・パラフレーズ」は
僕の新しい表現法
(1/19のブログをご覧下さい)を
聴き手の皆様に
プレゼンテーションする上において
恐らく最も分かりやすい
適した題材となったように思います。
僕自身の感覚では
リストのパラフレーズが持つ
様々な複雑な要素を
新しい表現法によって
うまく演奏に込めることができたと
感じています。
 
このCDを聴いてくださる皆様が
何かしらのポジティブな要素を
一つでも多く感じて下さって、
僕のリストのパラフレーズへの思い、
それからリストが表現したかったであろう
究極のピアノによるドラマを
心から楽しんで頂けますよう
願っております。