「演奏」を理解されること | 近藤嘉宏オフィシャルブログ「Brillanteな瞬間」Powered by Ameba

「演奏」を理解されること

弾きながら思うのは…

自分が熟考して導き出した表現

(それが100%の完成度でないにしても)に

自分自身がある程度納得し

それで良いならば、

演奏家という職業じゃなくても

良いと思うのです。

やはり聴き手に説得力を与えて

共感していただくというところまでいきたい。

それを一人でも多く。

 

確かに解る人が解れば良いという

考え方もあって、

実際に素晴らしい領域に達していても

なぜかそれほど多くの人に

その良さが理解されていないという

ケースもあります。

ですが演奏がトータルとして

ある高いレヴェルに到達したという

一つの証明として

聴き手に「理解される」ということは

やはりとても重要なことで、

バロメーターになるという

一面もあるのです。

勿論これはいわゆる「人気」とは

全く別の領域です。

ですから演奏家が聴き手に媚びることで

得られるものではないし、

逆にアカデミズムを身にまとって

得られるものでもない、

もっと本質的で普遍的なものだと思います。

 

本当の意味で欲される、

つまり理解を伴った深いレヴェルで

聴き手が自分の音楽に

ニーズを見出してもらえたら嬉しいし、

とても価値があります。

勿論人の考え方、

感じ方はそれぞれですし、

そう簡単にはいきませんが、

一人でも多くの方々に

理解していただけるように

演奏を突き詰めていきたいと思っています。

 

「人前で演奏する」、

それしか取り柄のない人間ですから…