今回は『主の祈り』について皆さんと
一緒に考えてみたいと思います。

主の祈りを毎週日曜日の礼拝で唱えて
いる教会もあれば、唱えていない教会
もあるかと思いますが、ほとんどの
教会で唱えられているのではないで
しょうか?

主の祈りとは、イエス・キリストの弟子達が、神様にどんな風にお祈りすればいいんですか?との質問を受けて、
イエス様が弟子達に教えられた祈りと
いうことで、とても有名な祈りです。

『天にまします我らの父よ、
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、
我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく
なんじのものなればなり。
アーメン。

多くのクリスチャンが暗唱できる祈りですが、そして私も毎週日曜日の礼拝で唱えている祈りですが、なぜこの
主の祈りを繰り返し祈り続ける必要が
あるのでしょうか?

それは私達人間がこの『主の祈り』と
真逆の生き方を毎日しているからなのです。

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名を
あがめさせたまえ。

クリスチャンなら日曜日に教会へ行き
神様を賛美します。
ところが普段の生活の中ではやはり私も含めて、神様ではなく、自分が
あがめられたいのです。

人から褒められると嬉しいし、元気に
なりますが、怒られたり、否定されたり、悪口を言われると落ち込んだり、
相手の人の事が嫌いになります。
そう、自分があがめられたいのです。

御国をきたらせたまえ。
多くのクリスチャンが、イエス様の
再臨や携挙を待ち望んでいます。
ところが、毎日の生活の中ではやはり
私も含めて、老後二千万円問題や、老化の問題や目の前の生活や楽しみ、
または心配事で頭が一杯です。
毎日本当に真剣にイエス様が来られるのを待ち望んでいるクリスチャンは
少数なのではないでしょうか?
ただし、カルト宗教や異端は終末の
預言を悪用するので注意も必要です。

みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
これは私も含めて本当に残念ながら
多くの人が自分の考えや思い、希望を実現させたいと思っていますね。😅
人がそれぞれの正義を振りかざして争う事もそうですし、自分さえ良ければそれでいいという思いもそうですね。
自分のおこころをなそうとしてます。

我らの日用の糧を、
今日も与えたまえ。
私もついつい自分が会社で働いていただいたお給料で、つまりは自分1人の力で生きているかの様に錯覚していますが、なんと思い上がっていたことでしょうか。
働かせていただける会社があり、共に
働く人々がおり、お客様がおり、日本の国があり、地球があり、太陽があり、宇宙があり、それら全てを創造された神様がおられるのです。
自分1人だけの力で生きている人なんて誰もいないのです。
ちなみに一部のカルト宗教や異端は
神様(本当は宗教の教えやルール)を
崇めますが、人間を軽視します。
家族や同僚や友人、他宗教の人達を
軽蔑し、大切にしないのです。
しかし本当に神様が創造主だと信じるのなら、何教何宗であろうと人は全て神様の子どもなのです。
人を軽視する教団は要注意です。

我らに罪を犯す者を、我らが
ゆるすごとく、我らの罪をも
ゆるしたまえ。
これは、本当に難しいですよね。😅
私も含めて人は自分の間違いや罪は
ゆるして欲しいんです。
しかし、人から何か悪い事をされたら
『倍返しだ❗』となってしまいます。
人を赦す事は本当に難しいです。

我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
私も含めて、こころみにはあいたく
ないですよね。
しかし、時には怖いもの見たさや刺激を求めて人は冒険したくなります。
もちろん時に冒険も必要な場合はあり
ますが、そこを悪用されてしまって
詐欺の被害や事故に遭遇してしまう事
があります。
また男性であれば家に帰れば家族が
待っているのに、わざわざ刺激を求めて綺麗な女性のいるお店に飲みに行く事もあります。😅

さて長くなったのでそろそろまとめに入りますが、私達人間は無意識的に
『主の祈り』と反対の生き方をどうしてもしてしまっているのです。

じゃ、だからダメなのか?
頑張って『主の祈り』の生き方を
していく様に努力するのか?

カルト宗教の教えだとそうですよね。
しかし、本当の福音は違います。
『主の祈り』と正反対な生き方しか
できない私達の為にイエス様は十字架で身代わりに死んで下さったのです。

また自分の力では出来ない『主の祈り』の生き方だからこそ、神様の助けと聖霊の力を求めて、日々『主の祈り』を祈るのです。

今回は長くなりましたね。
読んでくださり、ありがとう
ございました。