なにぶんこの人には思い入れが強すぎまして…
長くなってしまいましたあせる
でもね、これでもか~なり短くしたつもりですにひひ


《幕末の風雲児・坂本竜馬③》


“幕府を倒して大政を朝廷に返還する”“帝を中心に新しい国家体制を創る”
これは、左幕派(今まで通り徳川幕府による統治を望む人々)以外、もはやほとんどの人の常識でしたが、実は意外なことに、その後の具体的な新国家像というものを明確に描いている人はいませんでした。
薩摩の西郷隆盛、大久保一蔵(利通)しかり。長州の桂小五郎、伊藤俊輔(博文)しかり。土佐の後藤象二郎、乾(板垣)退助、公卿の岩倉具視しかり。先ずは“幕府を倒すこと”であり、維新後の新体制をどう創り、どう運営すべきか、明確な国家ビジョンを世の誰も持ってはいなかったのです。
だだ一人、坂本竜馬を除いては!

武力倒幕論者の巨魁、西郷隆盛と岩倉具視に大政奉還の大案を根回しするため、長崎から京に向かう途中、竜馬は船の中で新国家体制の草案を書き上げました。これは、のちに「船中八策」と呼ばれる傑作です。
この草案は維新後「五箇条の御誓文」にほぼ違わず引き継がれ、近代日本建築の基礎となりました。

大政奉還が成された一ヶ月後、竜馬は、京での潜伏宿であった近江屋で同士の中岡慎太郎と一緒にいたところを刺客に襲われ、その生涯を閉じます。
享年33才。

以下は、司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」の最後の一説です。
「天に意志がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。」




    武田義晴 オフィシャルブログ 「小田原そだち」 Powered by Ameba-100228_17022710001.jpg
坂本竜馬と中岡慎太郎の墓
(京都東山 霊山護国神社)




『新・幕末純情伝』
お楽しみに(^O^)